6、ささやかな学び舎
次の日。ロンは午前の仕事を終え、食事を終えると、足早にギイルのいる使用人棟側の庭へと向かっていった。
「ロン! こっちだ」
庭にはギイルのほか、数人の男たちが食事をしている。
「わあ。外で食事なんて素敵!」
思わずロンがそう言った。
「時々ね。彼らは僕の友達だ。うるさいけれど良い連中だ。さあ、時間もないし、始めようか」
ギイルはそう言って、本を開く。
そばにいた男たちは、軽く会釈をして食事を続けている。
ロンもお辞儀をすると、ギイルを見つめた。
「はい」
「じゃあ、まずは礼儀作法の基本から。王家の方へのお辞儀は、ゆっくり深々と。許しがあるまで顔は上げないこと。やってごらん」
大勢の使用人の中で、ロンの教育が始まった。みんな良い人ばかりで、気さくに声をかけ合っていった。
数日後。今日もロンは、ギイルのもとを訪ねた。
「ロン。待ってたよ」
庭では仲間の男たちが剣術をやっていた。すっかりおなじみのメンバーになり、ロンも打ち解けた連中である。
「わあ。剣術ね? 初めて見たわ」
「ああ、ロンもやってみるかい?」
男の一人がそう尋ねる。
「いいの?」
「本気かい? 女の子のするものではないがね」
「ううん、やりたい! 近所の子と小さい頃に遊んだわ」
「よし。かかってこい」
剣を持っていた大男が言った。
「いくわよ」
そう言うと、ロンは果敢に向かっていく。構えなどは知らないものの、ロンは剣を振りかざした。
「わあ、待った待った、降参だ。ルールも何もあったもんじゃない。そんなに振り回したら怖いよ、ロン」
「あら、そんなんでいいの? もし剣術を知らない不審者が襲ってきても、待ったはないわよ」
ロンが言った。
「ハッハッハ。ロンの勝ちだ」
一同が笑う。ロンも笑いながら、空を剣で切っている。
「しかし、ロンは身軽だな。ロンが空を飛べるっていうのも納得出来るね。それに、あの前王様のお気に入りになるなんて、ただ者じゃないよ」
「お気に入りになれたことは光栄だけど、私は私に出来ることを一生懸命やっているだけよ」
「立派、立派。しかしロンがここへ来てから、周りの空気が明るくなったよ。ここはむさ苦しい男ばかりの現場だしね」
「ありがとう」
ロンと男たちは、もう仲間となしていた。
「どうだい? 少しは城には慣れたかい?」
「少しだけ。でも、前王様以外は身分の高い方とは会わないし。だからやっていけるのかも……それにお城は広くて、とてもじゃないけど一人じゃ歩けないわ。前王様の塔とここと、従業員用棟のルートを覚えるのだけでヘトヘトだもの」
「ハハハ、言えてる。我々も主要の場所しか覚えてないからな。それよりギイル、ロンの勉強の進み具合はどうなんだい?」
男の一人が、ギイルに尋ねた。
「ああ。どんどん覚えるから凄いよ、ロンは。もう一通りの字は読めるようになったし、テーブルマナーもバッチリさ」
ギイルが言った。
「そりゃあ凄い。こっちは二十年勤めているが、テーブルマナーもろくに覚えられていないさ」
「アハハ。それはおまえだけだろ」
「おまえだって」
仲間たちを尻目に、ギイルは笑って立ち上がる。
「ほらほら、もう少しで休憩が明けるよ。ロン、前王様のところへ行こうか」
「ええ。じゃあね、みんな」
「また明日も来いよ」
「ええ、じゃあ明日ね」
ロンはギイルとともに、前王の塔へと向かっていった。
「毎日賑やかですまないね。勉強どころじゃなくなってきたな……あまり女性と話す機会もないからね、あの連中は。疲れないかい?」
ギイルが尋ねた。
「ううん、ちっとも。私もすごく楽しいわ」
「そうか。それならよかったよ」
「ええ」
二人は笑い合う。
やがて、ギイルが口を開いた。
「前王様とはどう?」
「とても優しい方よ」
「うん。前王様も、君が来てからなんだか明るくなった感じだ。その調子で頑張ってくれ」
「ええ、私に出来ることがあれば」
「いいや。ロンはそのままでいいんだよ、きっと」
「それって誉めてるの?」
「ハハハ。そりゃあそうだよ」
「あ、ギイル。最近、王様とは会わないけれど、やっぱり会えるほうが奇跡なの?」
突然、ロンが尋ねた。
「国王陛下かい? そうだね、僕もそうそう会えないよ。城は広いし、お忙しいしね。前王様のところに一日一度は来ていると思うけど、二人きりで会われる方が多いし、僕も時間外の時が多いんだ」
「そう」
「なんだい? 国王様にお目にかかりたいの?」
「ううん。ただ、見ているだけで力をもらえる気がして……私、王様があんなに若い人だと思わなかったから」
「そうだね……陛下は十五歳でアクネ様と結婚して、十六歳で国王になられたんだよ。とても頭のキレる素晴らしい方だ」
「十五で結婚、十六歳で王様に……今の私と同じくらいの年で、なんだか信じられないな。私、結婚とか何も意識したことないもの」
ロンの言葉に、思わずギイルが吹き出した。
「ハハハ、それはそうだよ。君は一般市民なんだから、そんなことは考えないで済むだろう? そのうち嫌でも意識するさ」
「ギイルって意地悪ね」
「ハハハ。さあ、気持ちを切り替えて。前王様に会うんだからね」
「はい」
二人は、前王の塔へと入っていった。
「おお、ロン。来たか」
「こんにちは、前王様。ご機嫌いかがですか?」
「ああ、良い。今日は庭で少しゆっくりしよう」
「はい」
一同は、庭へ向かう。
「心地の良い風だ」
「はい、前王様。ほら、空があんなに高く見えます」
ロンが芝生の上に寝転んで言った。
「よし、私もやるぞ」
それを見て、前王も芝生の上に寝転ぶ。
「なるほど素晴らしい光景だ。壁が高い分、なんと空の高いことよ」
「今日は暖かいですし、お昼寝にはもってこいの場所ですね」
「ああ、本当だ……私に娘がいたら、おまえのように伸び伸びと育てたかったな……」
「でも、王様があんなにご立派なのは、前王様のおかげです」
「サーか……そうだな。そう願いたいものだ。だがあいつには、厳しい教育しかしておらん。伸び伸びとは育てられなかったな……」
前王が、しみじみとそう言った。
「そんなことありません。王様はただご立派なのではないですもの。私のような人間を前王様に会わせてくださったのは、柔軟な頭があったからだと思います」
ロンが言った。
「おまえは面白い事を言うな。だが、そうだといいな」
前王にとって、ロンは娘や孫のような存在だったのかもしれない。気難しいと言われ続けながらも、本当に穏やかな優しい顔を、ロンには向けていた。
「……私もおまえのように自由に空を飛べたら、このような塔に閉じこもっているだけでなく、城をも抜け出していたものを……」
「空を飛べなくても、自由に飛び回ることは出来ます」
「……私は駄目だ。この塔からは出られない」