31、絶望
それから数分後、数人の家臣が、倒れているアクネを発見した。
アクネはすぐに寝室へ移され、キキとサーが駆け寄る。
「どうしたというのだ? こんなに衰弱して!」
慌てた様子で、サーが言った。
一同は、その一瞬の出来事に、何が起こったかのか知るよしもない。それは国王である、サーでさえも同じことである。
「力を吸い取られるように使い果たしている……陛下。ご覚悟くださいませ」
キキが言った。
サーは顔を顰め、アクネの手を握る。
「覚悟だと? どう覚悟しろというのだ。なんとかならないのか。死ぬな、アクネ!」
「ここまで呪いに蝕まれて衰弱した体は、どんなことをしても、私の力では回復出来ません」
「そんな! 呪いがこんなに早くに回るとはどういうことだ」
その時、アクネが目を覚ました。
「アクネ!」
「あなた……」
力なく微笑むアクネに、サーはより一層、強く手を握る。
「アクネ、死ぬな! 私の力を持っていってくれ。死ぬな!」
「駄目よ。もう……」
「アクネ。気を確かに持つんだ。君も王家の人間だろう。呪いなんかに負けるな!」
「あなた、お願い。この間の、約束を……」
アクネはそのまま、帰らぬ人となった。
「アクネ! アクネ――!」
しばらくの間、サーはそのままでいた。悲しみに、声すら出ない。
そんな時、ギイルがやって来た。
「誰も来るな! 今はそっとしておいてくれ。誰にも会いたくない」
涙を流し、肩を落としてサーがそう言うと、ギイルは一礼して背を向けた。
「待て……ギイルじゃないか。おまえの主人の、ロンのことか?」
思い止まって、サーはギイルを引き止める。
「はい。こんな時に申し上げにくいのですが……」
「良い。なんだ?」
「恐れながら……ロン様の姿が見えませんで、陛下ならご存知かと……」
サーに恐縮しながらも、ギイルが言った。
「いない? ちゃんと探したのか?」
サーも冷静さを取り戻して尋ねる。
「心当たりはすべて……」
「……私は知らない。もう一度、隅々までよく探せ。いないということはない。あいつは自由奔放だ。よくいなくなる」
「かしこまりました」
その時、サーはアクネの顔を見てハッとした。ロンのことがひらめいたのである。
「ちょっと待て! アクネ。まさか……」
サーはアクネの顔を覗き込んだ。
何も答えるはずもないが、サーの頭に、最悪の事態が思いが浮かぶ。
「……キキ。すぐにキキを呼べ! それから、城中の者に声をかけ、ロンを探すように命じろ。隅々まで探せ!」
サーの言葉に、城中の使用人がロン探しを始めた。
突拍子もない場所まで探させたが、ロンが見つかることはなかった。
「十分、考えられます……」
サーの部屋で、キキが言った。
目を泳がせ、サーは頷く。
「続けろ」
「門番の話では、城を出た者はここ数時間見られません。そしてなにより、魔法の泉の水が枯れ果てました」
「枯れ果てた?」
「一滴もないのです。ロンが城から離れた証拠……」
サーはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「しかし、まだロンの消息が途絶えてから、何時間も経っていない。今まで、そんな一気に水が枯れ果てるなんてことは……」
それを聞きながら、キキは顔を顰め、何度も頷いた。
「陛下……これは推測じゃが、もしやアクネ様が衰弱なさった原因は、ロンにあるのでは……?」
「……ロンがアクネに何が出来る? 理由もない」
「ですから、陛下も最悪の事態を感づいているはずです。ロンが何かをしたのではない。アクネ様がロンに何かをしたのです。恐らく、テレポートか何かで、ロンを飛ばしたに違いありません。その証拠に、確かに一瞬、空間がねじれた……あれは、命に替えるような大きなエネルギーが発生した証拠です」
「では、城から外へテレポートさせたと言うのか。城の周辺を探せば良いのだな?」
「いいえ、陛下。残念ながらそうとは言えません」
「じゃあなんだ? 城の中にいるとでも言うのか。散々探させたんだぞ」
苛立って、サーが言う。
だがキキは冷静に、サーを見つめていた。
「城の中でもなく、周辺でもありません。考えられるのは、もっと遠く……国の最果てか、元黒魔族の陣地か、それとも隣国か、もっと遠く離れた国へ行ってしまったか……」
「馬鹿な! 我々王家のテレポート術は、せいぜい距離が限られている。この私とて、エネルギー増幅の杖を持ってしても、城から周辺に出るのがやっとだ。城から城下町へ飛ぶことさえ不可能だ」
「陛下。ご存知のはずです。ロンの父親が、命をかけて施した封印が、数年間、黒魔族でさえ破ることの出来なかった強力な力だったと……」
「……では、アクネが自分の命と引き換えにしてまで、ロンをどこか遠くへ飛ばせたというのか?」
「恐らくは……アクネ様の考えそうなことじゃ。最後まで、アクネ様はロンに心奪われていたというわけです」
キキの言葉に逆上するように、サーは思わず立ち上がる。
「デタラメを言うな!」
「デタラメなどではございません。もはや明確でありましょう。アクネ様は、一度は悪魔に魂を売った身……私でさえ解けない呪いを持っていた以上、アクネ様は改心なさったとしても、その不安や憎悪の心によって、いくらでも悪になるのです。呪いがかかってからは、アクネ様のお体の半分は、悪魔であると同じなのですから……」
絶望に打ちひしがれ、サーは椅子に座り直すと、がっくりと肩を落とした。
「私は……どうすればいいのだ? 妻も失い、ロンも失い……それに、ロンは身重の体だ。どのようにして助けたら良いのだ。おまえの魔術で探し出してくれ!」
「陛下。残念ですが、私も万能の魔女ではございません。存在しているかすらわからぬ娘を探すことは、もはや不可能でございます……」
「存在しているかすらわからない? 何を言うか!」
サーの不安は、止め処なく溢れ出してくる。
「本当のことでございます。ロンは丈夫な体とはいえ、身重です。人一人をかなりの距離まで飛ばせるエネルギー下にいたならば、普通の人間ならば粉々に砕けていることでありましょう。私も出来るだけのことはしますが、魔法の泉も枯れた今、そういう類の魔術は存じません……」
「……とにかく、国中を探させよう。まだ方法はあるはずだ……」
サーはアクネを失った悲しみに暮れる余裕すらなく、頭を抱えるのであった。
しばらくすると、サーのもとにフローラがやって来た。
「誰だ。今は誰にも会わない……」
フローラは、そう言うサーに構わず、近くに寄った。
そんなフローラに、サーも顔を上げる。
「君は……」
「フローラと申します。王様に見てもらいたい物がありまして……」
そう言ってフローラが見せたのは、アクネからもらった指輪であった。
「その指輪は……アクネの物だ! どうしたのだ?」
サーが尋ねる。
フローラは言いにくそうにしながらも、思い切って口を開いた。
「実は先程、アクネ様から頂きました。私が死んだら、あなたが王様の妻になるようにと……」
「……アクネが?」
「お断りしたのですが、ぜひ持っていて欲しいと申されて……」
「その話なら私も聞いた。戯言だと思っていたが、こんなことになるとは……!」
「王様……」
「アクネは何を望んだのか。私はこれから何をすればいいのか、まったくわからなくなってきてしまった……」
独り言のように、サーが呟く。
「……お妃様は、ロンを気に入ってはいませんでした。私にも何度もグチを零されて……」
「それは私も聞いていた。だが……アクネは何が気に入らなかったのだ? アクネが子供を産めない以上、仕方がないではないか。なぜロンは駄目で、君なら良いのか。その違いが私にはわからない」
眉を顰め、サーは苛立ちを隠せない様子だ。
「理由もなく人を嫌いになることはございます。お妃様は、私を選んでくださいました。王様がお望みならば、私のすべてを差し上げます」
「……そんなことを言われても、今は何も考えられない」
「結構でございます。しかし、お妃様のご要望です。落ち着いたら、ぜひ私を……」
「……しばらく考えさせてくれ。ロンも探さねばならない」
「わかっております。しかし、王様。お妃様のご意思を、無駄になさらないでくださいませ」
フローラはそう言うと、静かにその場を去っていった。
一人きりになった部屋で、サーはまた頭を抱えた。
それからサーは、国中にお触れを出し、ロン探しに徹した。隣国にも依頼をしたものの、ロンの情報は何一つ得られなかった。
「気がついた?」
魔法国より離れた国の山奥で、瀕死の状態の少女が発見された。ロンだった。
「……ここは?」
きょろきょろしながら、ロンが尋ねる。
「ここは花の国よ。あなた、山の中で倒れていたの。大丈夫? 名前は?」
「花の国……名前?」
「私はベラダ。花の子サーカス団の、花形空中ブランコ娘よ」
可愛げにウインクする彼女は、ロンと同じ年くらいの少女である。
「サーカス?」
「そう。ここは私たちが修行する場なの。今は遠征の時期じゃないから、山で鍛えて、時期が来たら街を回るのよ。ねえ、あなたはどうしてあんなところにいたの?」
「……わからない」
虚ろな表情で、ロンが答える。
「わからない? じゃあ、あなたの名前は?」
「……わからない!」
突然、ロンが頭を抱えてそう叫んだ。
気が動転していることもあるが、あまりの衰弱に、物も考えられない状況なのは確かだ。
「お、落ちついて。大丈夫よ……きっと一時的なものだわ。かなり衰弱していたから。何があったか知らないけど、何も覚えてないの……?」
静かに、ロンは頷いた。
「可哀想に……でも大丈夫よ。ここにいれば安全だわ。ずっとここにいればいい。お友達になりましょう」
「でも私、何も覚えていない……」
ロンの記憶は何もなかった。
「そんなこといいじゃない。それよりゆっくり休んで。数日寝込んでいたけど、治りが早いみたいでよかったわ。打撲と切り傷が多いだけだったし。でも衰弱していたから、たくさん食べれば回復するわ。あとで食事持ってくるわね」
「ありがとう……」
「ベラダって呼んで。そうだわ、あなたの名前が必要ね。そうね……うん、そうだわ。マリン。マリンていうのはどう?」
ベラダが、一輪の花を見せてそう言った。
花の国でマリンと呼ばれる、小さな白色の花である。
「ありがとう……」
「気に入った? じゃあ、今日からあなたはマリンね。すぐに食事用意するわ」
そう言って、ベラダは部屋を出ていく。
ロンは何の記憶もなく、ぼうっとしたまま部屋を見渡す。山小屋といったその部屋は、ベッドとタンスしかない小さな部屋であった。
少しすると、ベラダが食事を持ってやって来た。
「ハーイ。さあ食べて。栄養たっぷりのメニューよ」
「ありがとう……」
その時、一人の大男が入って来る。
「あ、怖がらないで、マリン。この人は、私がいるサーカス団の団長、ビーンさんよ」
「ベラダから事情は聞いたよ。助けたからには、好きなだけいるといい。今までずっとベラダが面倒を見てくれたんだよ。これからも頼るといい」
団長のビーンという男は、見た目とは逆に、優しくそう言った。
「あ、ありがとうございます、ビーンさん」
ロンは緊張しながも、そう答える。
その日から、ロンはサーカス団の宿舎での生活を始めることとなった。