29、喜びのニュース
それから数日後。ロンは乗馬を楽しんでいた。
そこに、フローラたちがやって来る。
「フローラ」
ロンが手を振った。
「ロン様」
「様付けなんてよして」
「この間はごめんなさい。なんだか気が立っていて……」
フローラが、先日の態度を詫びる。立場上は、ロンのほうが上だからだ。
「気にしないで。フローラたちも乗馬?」
「いいえ。今日は馬小屋の掃除よ」
「掃除?」
「これも修行なの」
「大変ね……」
「そうよ。私は高貴の出なのに、いくら修行でも、こんな生活ばかりじゃ嫌だわ……」
思わず、フローラがグチを零す。
「そんなことないわ。私も手伝うから、早く終わらせましょう」
「え? 待って。あなたが掃除する必要なんて、どこにもないんだわ」
フローラが、慌ててロンを止めた。
だが、ロンはすでに髪を縛って、やる気を見せている。
「そんなことないわ。そういえば、最近メイド任せで掃除もしてなかった。たまには自分の手でやらなくちゃね。さあ、始めましょう」
ロンの態度に、フローラは思わず吹き出した。
「変わってるわね。あなた」
「そう? でも、私はただの村娘だったんだもの。掃除なんて苦じゃないわ。フローラはお嬢様のように育ったから、お城でもやっていけるんだわ」
「あなただって、やっていけてるじゃない」
「うん……頑張らなくちゃいけないし」
「うふふ。おかしな子ね」
「よく言われるわ。さあ、早く終わらせましょう。終わったら、一緒にお茶でもしましょうよ」
ロンはそう言って、フローラたちの仕事を手伝った。
その夜。ロンはサーに、今日の出来事を告げていた。
「へえ。じゃあ今日は、いつもより充実した一日だったわけだね?」
嬉しそうに話すロンに、サーが尋ねる。
「ええ。やっぱり仕事は必要だわ。私なんて、じっと座っていることのほうが苦痛なんですもの」
「ハハハ。そのようだね。まあ、ロンが良ければそれで良い。しかし、側室候補生にロンの知り合いがいるとは知らなかったな」
「知り合いっていうか、お城で知り合ったんです。フローラっていうの。とても良い子よ」
「それはそうだろうね。ここまで残ったのは、余程の令嬢に違いない。礼儀作法もロンより上の人ばかりだ」
「サー様ったら、ひどいわ!」
「ハハハ。おまえは、からかい甲斐があるからだよ」
「もう、サー様ったら!」
二人はじゃれ合うように抱き合う。
「アハハ。ごめんよ。しかし、良い友達が出来て良かったじゃないか」
「ええ……そういえば、前にゼムン将軍の姪とかって言ってたわ」
「ゼムン将軍の? そういえば、そんな話も聞いたな……まあ、ゼムン将軍の姪ならば安心出来る。仲良くやりなさい」
「はい」
二人は笑い合った。
それから数ヵ月後。
ロンはいつも通り、自由気ままに過ごしていた。フローラと知り合ってからは、フローラの休憩中に話をする機会も多くなっている。
その日もロンは、フローラやギイルとともに、テラスでおしゃべりをしていた。
「今日は、他のみんなは一緒じゃないの?」
ロンがフローラに尋ねる。いつもは他の側室候補生たちと会うことも多い。
だが、フローラは首を振る。
「みんな仲が良いわけでもないわ。休み時間は個々に過ごすことが多いわね」
「仲が良くないって……?」
「私たちはライバルだもの。王様は側室を受け入れる気はないって言っているそうだし、先が見えないじゃない? みんな苛立っているのよ」
「そう……」
「でも、ロンはいいわね。王様に愛されるなんて……」
「ええ……」
ロンは否定もせず、ただ少しはにかんで照れた。
「もう、ご馳走様ね。ギイルも嫌になっちゃうんじゃない?」
「ハハハ。ロンは昔から正直者ですからね。だから王様に気に入られたんでしょう……」
ギイルが答える。
その時、城の鐘が鳴った。
「もうこんな時間? 急いで戻らなきゃ」
慌てて、フローラが言った。
「ありがとう、フローラ。またいろいろ話を聞かせてね」
「ええ、ロンもね」
「ロン。我々も部屋に戻ろう。そろそろ日が翳ってきた」
フローラが立ち上がるのと同時に、ギイルが言う。
「そうね」
そう言って、ロンが立ち上がろうとしたその時、ロンは急なめまいに襲われた。
「ロン!」
慌てて、ギイルとフローラが駆け寄る。
「ロン! どうしたの。大丈夫?」
そんな声を聞きながら、そのままロンは意識を失った。
ロンが倒れたと知らせを受け、サーがロンの部屋に向かった。
応接部分には、医者に説明を受けるギイルやロンの使用人たちがいる。
「王様」
「ロンは? 大丈夫なのか?」
サーの言葉に、一同が拍手をした。
「え……?」
「おめでとうございます!」
「……もしや」
サーがみんなの表情に、期待の顔を覗かせる。
「おめでとうございます、陛下。ロン様、ご懐妊です!」
「ああ、本当か!」
サーが医者に詰め寄った。
「はい。おめでとうございます。ロン様の場合、少し気付くのが遅かったようですね。三ヶ月過ぎていますが、母子ともに健康ですよ」
「そうか! すぐロンに会えるか?」
「今は眠っていますが、問題ありませんよ。奥の寝室においでです」
逸る気持ちを抑え、サーは寝室へと入っていった。
すると、中にはフローラがいる。
「王様!」
「……君は?」
「あ、単独ではお初にお目に掛かります。側室候補生のフローラと申します。ロン様とは、少し親しくさせて頂いております」
ほぼ初対面のサーに、フローラが丁寧にそう言った。
「そうか、君が……ロンから聞いているよ。ゼムン将軍からもね。そうか、一緒についていてくれたんだね。ありがとう」
「いいえ……」
それだけの会話を交わし、サーはロンの側に向かう。
すると、ロンが目を覚ました。
「ロン!」
「サー様……あれ。私、どうして……?」
「ロン、やったぞ! 私たちの子供が出来たんだ」
サーの言葉に、ロンは驚いた。
「ほ、本当に?」
「ああ、そうだよ。国を挙げて、盛大に祝わなければ。ロンは安静にしていないと駄目だぞ」
サーの喜びぶりは、今まで見たことがないほどだった。
そんなサーに、ロンも微笑む。
「サー様ったら」
「こんな気持ちを抑えられるか。ああ、ロン。ありがとう!」
思わず、サーはロンを抱きしめる。
そんな光景を尻目に、フローラは寝室を出ていった。
その夜。ロンの懐妊のニュースは近隣国にも知れ渡り、すぐに各国から祝いの品が届いた。
それからというもの、城では盛大なパーティーが連日のように行われているが、ロンはそれに参加することはなく、静かに過ごしていた。
それからほどなくして、アクネが倒れた。
「サー様……」
ロンの部屋に来たサーに、ロンが心配そうに見つめる。
「アクネ様の容態は?」
「ああ、大丈夫。ストレスで倒れたんだ……」
「ストレス……」
「まあ、少なからず、危機感は感じているだろうから……」
「……私のせいで……」
そう言ったロンを、サーはきつく抱きしめた。
「おまえのせいじゃない。それに、仕方のないことだ……アクネだってわかっている」
「だけど……」
「だがすまないが、しばらくここへは来れない。アクネの側に居てやらねばならない……」
「ええ、わかっています……」
ロンを抱きしめたまま、サーは目を閉じた。そして静かに口を開く。
「アクネは……もう長くはない」
「えっ……?」
サーの言葉に、ロンは驚いて離れる。
「アクネは、一度は悪魔に魂を売った人間だ……」
「ドラゴンを呼んで、私を黒の国へ連れて行ったことですか?」
「そうだ。当時、黒の国との通信手段は、黒魔術を使うほかなかった。すなわち、悪魔と契約するということだ。だが、我が国でそれは禁じられている。悪魔に魂を売るということは、不利益な要求ばかりだからね」
アクネの命が長くないと聞いて、ロンは目を泳がせた。
「で、でも、悪魔を飼う黒魔族はもう浄化されましたし、なんとかアクネ様を救う手立てはあるはずです」
「いくら黒魔族の心が浄化されても、契約は消えない。黒魔術はいわば呪い。その呪いによって、寿命を縮めている節もある。もちろんキキが手を施しているが、呪いを完全に封じることは出来ないのだ……」
「そんな……アクネ様が?」
「……おまえは気にするな。心配しなくていい。お腹の子に障るといけない」
「……はい」
悲しい知らせを聞いて落ち込みながらも、ロンはサーの言葉を素直に聞いた。
数週間後。
「ロン。今日も、お祝いの品がたくさん届いたよ」
プレゼントの箱を抱え、ギイルがロンに言った。
「うん。ありがとう……」
「また、どうしたの?」
「だって、全然外に出させてもえらないんだもの。つまんない」
口を尖らせ、ロンが言う。
「つまんないって言ったって……しょうがないだろう? もうロンだけの体じゃないんだから」
「わかってるけど……」
「あと数ヶ月の辛抱さ」
「あと半年以上あるのよ?」
「そうだけど……いいじゃないか。念願のお世継ぎが産まれるんだ。ロンは事実上、この魔法国の母になるんだからね」
「魔法国の母か……責任重大ね」
重圧に不安げな表情になり、ロンはギイルを見つめる。
「そうだよ。だから、安静にしてなきゃ駄目だ」
「うん……」
「さあ、ロンの好きなフレッシュジュースでも作ってあげるよ。それで元気出すといい」
「ありがとう、ギイル」
平凡な毎日に飽き飽きしているロンも、国王の子供を授かったことに、自分の体を大事にしようと改めて誓うのだった。
その頃、庭ではフローラが掃除をしていた。
そこに、散歩中のアクネが通りかかる。
アクネは一度は倒れたものの、ストレス性のために、そう見た目にも悪いというわけでもなかった。しかし、自分からみんなが離れていく現実に、寂しさを覚えている。
心ここにあらずといったアクネがフローラの前を通りかかった時、アクネは足を滑らせ転んでしまった。
「お妃様!」
フローラが、アクネに駆け寄った。
「お妃様。大丈夫ですか? 人を呼びましょう」
「いいのよ……」
力なく、アクネが立ち上がって答える。転んだ拍子に擦りむいたその膝からは、血が溢れ出している。
「でも、血が……」
「このくらいの傷は大したことありません。それにこんなところで転んだなんて、あまり人には知られたくないものです」
「わかりました。でも手当てしないといけません。そこへ座ってください」
そう言って、フローラはアクネをベンチに促す。
「……あなたはどなた?」
初対面のフローラに、アクネが尋ねた。
「ご紹介が遅れました。私はゼムン将軍の姪で、王様の側室候補生のフローラと申します」
「王様の側室候補……そう……」
フローラは、ハンカチでアクネの傷口を巻いてやる。
「お妃様。これは応急処置ですから、お城で手当てを受けてくださいね。お送りしましょうか?」
「そうね……送ってもらおうかしら」
「じゃあ、行きましょう。お妃様」
「お妃様……今じゃ、あまり聞きなれない言葉ね」
「え?」
静かに微笑んでそう言ったアクネに、フローラが不思議そうな顔をする。
「みんな、ロン様、ロン様と、ロンのほうへ行ってしまって……もはや王さえ、私を見てはくれないわ……」
「そんなことはありません」
「お世辞はいいのよ」
「本当ですわ」
フローラは、必死な瞳でアクネを見つめる。噂でも塞ぎ込んでいると聞いていたので、なんとか元気付けたいと思ったのだ。
「……あなたは良い子ね。あなたみたいな人が王の側室なら、私もこんなに闘志を燃やすことなどなかったのに……」
アクネが悲しげに言った。
そんなアクネに、フローラも小さく頷く。
「それは……私も思います」
「あら。あなたも?」
「ロンとは友達ですが、礼儀作法も顔も、ハッキリ言って私のほうが上なのに、どうしてあの子ばかりというのが、私の本音でした。ロンが良い子だというのもわかるんですが、貴族出の私には、少し耐えがたいものもあります」
「まあ、私もよ。私たち、気が合いそうね」
「光栄です」
一瞬で打ち解けたように、二人は笑顔で城へと向かっていった。