27、和平
「フェマス!」
ロンのその言葉に、一同は我に返った。
フェマスは封印の剣の側に倒れ込み、キキは少し離れたところに座り込んでいる。
「フェマス! キキ! 大丈夫か!」
サーも二人に駆け寄る。辛うじて、キキが口を開いた。
「私は大丈夫じゃ。しかし……」
「フェマス!」
もはやぴくりとも動かず、フェマスはただ横たわっている。
「虫の息じゃ……」
「お願い、生きて!」
涙を流しながら、ロンがフェマスの手を取って祈った。サーもその手に触れて、出来るだけの力を注ぐ。
その時、テオーがゆっくりと、サーとロンに近付いてきた。
「なぜ……他人のために無意味なことをするのだ? おまえたちの体とて、もはや限界まで来ているはずなのに……」
テオーの言葉に、サーが振り返る。
「大切な友だからだ。あなたにも大切な人間がいるはずだ。私には人の傷を治す力がある。王家の男子だからだ。その力があるのに、大切な者を死なせたとあっては、王の資格などあるまい」
サーがそう言うと、ロンがゆっくりとテオーの手を取った。
「何を……」
「お願いです。力を貸して……力が足りないの。このままだと、彼は死んでしまう! 力を貸してくれたら、もう一度話し合いましょう。お互いに生きる道が、必ずあるはずよ」
懇願するような目で、ロンはテオーにお辞儀をする。
テオーはロンに促されるまま、その場に跪いた。
「……何を」
「何も……ただ祈ってくれ。彼もまた、我々を助けようと、命をかけた男だ」
サーもテオーに願う。
敵に力を借りねばならないほど、フェマスの命を助ける道は他になかった。
「命をかける……なんて馬鹿なことをするのか。ザークリーもそうだった……私がどんな手を尽くしても、反発するばかりで国まで捨てた……私を捨てた。ずっと一緒の、双子だったのに……!」
テオーの目からは、涙が溢れていた。
その時、フェマスが咳き込んだ。
「フェマス! 少し回復したようだ、よかった……フェマスをすぐに城へ!」
サーはそう言うと、テオーの手を握る。
「ありがとうございました。私の大切な者の命を救ってくれて……」
「救った? この私が?」
訳もわからず、テオーは戸惑いを隠せないようだった。
顔色一つ変えなかった黒の王が、変わろうとしていた。
「そうよ。ありがとう。命を貸してくれて……」
ロンもそう言って、テオーの手を握る。そして、もう一度口を開いた。
「あなたも、父を愛してくれていたのね……今、わかったわ。ありがとう」
「愛など……」
その時、黒魔族たちが、ゆっくりと門の外へと出てきた。
「おお、黒の国から出ただけで、なんという日の光か……」
「なんと温かい気持ちだ」
黒魔族たちが、口々にそう呟いている。
ロンは、嬉しそうにサーを見つめた。
「サー様……」
「慈悲の心が芽生えた……フェマスの命と、我々の願いが浄化させたんだ。しかし、交渉はこれからだ……」
サーの言葉を聞いて、ロンはテオーを見つめた。
「あなたは、かけがえのない友達を救ってくれた……あなたは何を望んでいるの?」
「……もう良い」
静かに、テオーがそう言った。
「え?」
「……もう良いのだ。我が国の連中も、なんと穏やかな顔をしていることか……もはや黒に力はない」
「……じゃあ、私たちを帰してくれるの? 国民に危害も及ばないのね?」
ロンが言った。
「……ああ」
「ああ、ありがとう!」
思わず顔を綻ばせ、ロンはテオーの手をきつく握る。
「ロン……いろいろすまなかった。私はおまえの父と同じく、無理にすべてを奪おうとした。ザークリーの二の舞にさせるところだった……」
俯きながら、テオーは座り込んでそう言った。まるで人が変わったように、気力さえも失くしたように見える。
「……寂しかったのね。父を取られたようで……」
ロンは、テオーの前に座った。
「ああ……まるで何かに取り憑かれていたようだ。今はなんと暖かな気持ちなのだろう……」
「それは、国の呪縛だわ。先祖が残した環境が、黒の魔族を憎悪に満ちさせてたんだわ……」
「……ロン。おまえはザークリーによく似ている……真っ直ぐな心を持っている。すまなかった……私はおまえのおかげで、目覚めたよ」
テオーの言葉に、ロンは優しく微笑んだ。
「伯父様って、呼んでもいいですか?」
「……呼んでくれるのか? ああ、いいとも……」
テオーは、まるで父親のような優しい目を、ロンに向けている。
そんなテオーに、ロンももう恐怖心や憎悪感などは微塵もなかった。
「じゃあ伯父様。これは仲直りの印だわ」
いつものように明るく微笑むと、ロンはテオーの頬にキスをした。
「ありがとう、ロン……さて白の王、提案がある」
突然のテオーの言葉に、サーは身構えながらも頷く。
「なんでしょう?」
「平和条約を結ばぬか……国の者も、すっかり浄化されたようだ」
サーは力強く微笑み、テオーに跪いた。
「それは良い提案です。では、私からも提案が」
「なんだね?」
「この壁を崩しましょう。もはや黒も白もない。我々は、元は同じ種族なのだから……出来ることなら、互いに溶け合って生きましょう。あなたが平和を望むなら、私は王位をお譲りします。新生魔法国として、新しい王になられるが良い」
サーの言葉に、テオーは驚いた。
「……あなたに、欲はないのか」
「私は国の平和を望みます。今のあなたなら、国民も納得してくれるでしょう。無意味な争いは、もうしたくはない」
静かに微笑み、サーは口を開く。
だがそれを聞いて、テオーも微笑み、首を振った。
「……いや。私は引退する。私には正式な妻も、正式な後取りもいない。私は私の城を改築し、小さな屋敷の主として余生を送ろう。実は黒の魔族も、もはや大した魔術は持たないのだ。強い力を持つのは、私だけだ。私が死ねば、国は滅びる……だからロンを妻にしたかったのだ」
「……それほどまでに?」
「黒の心理作戦とはよく言ったものだ。黒の者は愛を知らぬが、その魔力は次第に衰えていった……私の権威は、地に落ちようとしていたのだ。これで良い。魔族は一つとなりて、平和となる。黒の人間はそう多くはないし、この暖かな世界に憧れていたのかもしれない。若いあなたがここまで統治しているとは知らなかった。黒の人間も、よろしく頼む」
それを聞いて、サーとロンは顔を見合わせた。
「わかりました。あなた方が快適に暮らせるように、一緒に国を作っていきましょう」
サーは、テオーと握手を交わす。そして首からペンダント外すと、ロンに渡した。
ペンダントを受け取ったロンは、そのままそれをテオーに差し出した。
「これは父の形見です。私の大切なお守りです。だけど、伯父様に差し上げます」
「しかし、これは……」
「このお守りは、私を十分守ってくれたわ。今度は伯父様を守る番よ。持っていてください」
「……ありがとう。では、私からはこれをやろう」
テオーは胸のブローチを外して、ロンに差し出した。素晴らしい宝石が光るそのブローチは、勲章のように輝いている。
「綺麗……」
「もう一つの、黒の王の証でもある。国一番の大きな宝石だ。今まで私を守ってくれた。きっとおまえも守ってくれるだろう」
「ありがとう、伯父様」
ロンはブローチを受け取り、つけて見せる。テオーは何度も頷いた。
「テオー殿。では私からは、これを受け取ってください」
今度はサーが、指輪を取ってテオーに差し出した。
さすがのテオーも、それに驚いた様子である。
「これは! 王家に伝わる指輪ではないか。私はもはや王ではない。そんな大事な物は……」
「受け取ってください。これは元々、あなたの国のものだ。私の父とあなたの弟君は、両国の平和を願っていた……そのペンダントとこの指輪が一緒になった時、平和が来ると願いが込められていたのです。どうか一緒にお持ちください」
「では、やはりあなた方が持っていれば良い」
「いいえ。我々の気持ちです。それに我々には、目に見えなくとも絆がある」
サーがロンの肩を抱く。ロンも大きく頷いた。
「そうよ、伯父様。私たちの未来の平和を、伯父様に託すわ」
「ロン……」
テオーは二人の様子を見て、優しく微笑んだ。
そしてサーは、テオーの手を握る。
「和解出来てよかった。今日は歴史に残る素晴らしい日です」
「……いろいろすまなかった。では、今後の準備をするとしよう。お互いに……」
「わかりました。落ち着いたら、城へ遊びに来てください」
「では、こちらにも来られるが良い」
「ええ、是非」
サーとテオーは、もう一度固く握手をすると、互いの将来に協力することを誓った。
一同は、合わさった世界での再出発を決め、とりあえずお互いの城へと戻っていった。
数日後。フェマスが目を覚ますと、傍にはロンがいた。
「ロン……?」
「フェマス。気がついたのね?」
ロンは嬉しそうに、フェマスの顔を覗き込む。
「僕は……生きてるの?」
「もちろんよ。ありがとう……あなたのおかげで、平和が訪れたのよ」
「平和が……?」
「そうよ。黒の魔族の心が、あなたの勇気によって浄化されたのよ」
「本当かい? ああ、それにしても体が痛む。僕はずいぶん眠っていたようだね……」
力はまだ出ないようだが、いつものように笑って、フェマスは軽く伸びをした。
「ええ。でも、顔色がいいみたい。毎日サー様とキキ様が、ご自分の力が無くなるくらい、あなたの治療をしてくれていたのよ」
「そうか……君も無事なんだね?」
「もちろんよ。ありがとう、フェマス。本当に、すべてあなたのおかげよ」
二人は微笑んだ。
しばらくすると、サーがやって来た。
「起きたって?」
サーが、フェマスの顔を覗き込む。
「ああ。ありがとうな、サー。毎日、僕のために力をくれたみたいで……かえって前より元気になったみたいだ」
「なにを言ってるんだ。こちらこそ、フェマスは命の恩人だ。しかも国に平和が戻った。数百年の冷戦が、君のおかげで終わったんだよ」
「それは、サーとロンの力だ。僕は何もしていないよ。ただ必死で……」
「十分だ。皆の力だ」
それを聞いて、フェマスは満面の笑みで頷いた。
「……それで、黒の魔族は?」
「城は早くも取り壊された。テオー殿は、別荘に使っていたという屋敷に移られた。新しい屋敷を建てるそうだ。黒の国民は、こちら側に家を持ったり仕事を探したりもしている。もはや互いにバリアはない。まだ国民たちも戸惑いがあるだろうが、これからは互いが努力することになる」
「そうか。よかった……」
「あ……私、部屋に戻ります」
ロンはそう言って、フェマスの部屋を出て行った。
「ロン?」
「気を使っているんだよ。二人で話せるように」
怪訝な顔をするフェマスに、サーが言う。
「そうか。べつにいいのにな」
「まあね。食欲は?」
「あるみたいだ」
「よかった。じゃあ、すぐに運ばせるよ」
サーはそう言うと、近くにいたメイドに命令した。
「……アクネはどうしてる?」
少し言いにくそうに、フェマスが尋ねた。
「元気にしているよ……」
「そう……これからどうするつもりだ? アクネとロン……アクネは何があっても、ロンを許せないと思う。僕にはわかる」
「フェマス……」
「そうだ、僕もアクネと同じだ。ロンをまだ愛してる……出来ればおまえに、消えてもらいたいくらいだ。おまえにはアクネという妻もいるからね」
それを聞いて、サーは悲しく微笑む。
「では私とロンが、両思いでなければ良かったね……」
「サー、冗談だよ。僕は理性が働いているし、アクネのようにはならない。ロンの幸せも願いたいと思ってるよ」
「わかっている。だが……私はロンが好きでも、アクネと別れることは出来ないよ。王家の者に離婚は許されていないし、なによりアクネは、妃としてよく働いてくれている。しかし、側室としてでもロンを選ぶなというのは、私としては辛いものだがね……」
「側室……ロンはそれで満足するのだろうか?」
途端、サーの顔が曇った。
「……傷つくのは目に見えている。でも、ロンは私と離れたくないと言ってくれた。傷ついてでも、一緒に居てくれると……まだ時間はある。じっくり考えたいと思う」
「そういえば、他の側室候補は? 大々的に募集して、十名程度に絞られたと聞いたが……」
「あんなことがあったからね……辞退した者もいるし、あの後でキキや家来の目に適わなかった者が七名いる。残った三名は、側室ならずとも上流社会に入れるような女性への訓練を積んでいるそうだ」
「そうか……」
「フェマス。君の気持ちを知っていながら、こればかりはどうしようもなくてすまない……」
サーの言葉に、フェマスは苦笑する。
「いいさ。僕は好きな人の気持ちを踏みにじってまで、一緒になろうとは思わない。おまえのことも大事だ」
「ありがとう……さて、そろそろ食事が運ばれてくるだろう。しばらく安静にしていてくれ。君の家族からも、心配する手紙が来ている。早く治して、顔を見せてやってくれ」
「ああ、そうするよ」
笑顔のフェマスを見届けて、サーは部屋を出ていった。