25、脱走
「ロン……」
水一滴ないその場所で、サーは拳を握りしめた。すぐにでも駆けつけ、テオーを殴りたいしたい気分である。
「……こんな話は聞いたことがない。魔法の泉は、姿を映すだけのもののはずだが。それが、相手と触れられもし、話も出来るなど……」
沈黙を破って、キキが言った。
「キキ。すぐに黒の国に行く」
気を取り直し、サーが言う。
「何をおっしゃる……お気持ちはわかりますが、無理なものは無理なのです」
「だが、こうして泉でも触れる事が出来たんだ。このペンダントがあれば……もしかしたら、黒のバリアさえ通れるかもしれない……」
「……では、すぐに準備を……」
ペンダントに思いを託し、キキは部屋からたくさんの物を取り出す。
「陛下。これを……」
やがて、キキがマントを差し出した。
サーは首を傾げる。
「なんだ? この古びたマントは……」
「それを身につけておけば、身軽になり、魔法の銃弾も、ドラゴンの火さえも弾き返します。あとは、この清められた剣と盾を持って行きなされ。それらは皆、王家に代々伝わる伝説の品。何十年、何百年も、この魔法の部屋で鍛えられてきた品です」
「ありがとう、キキ。では行こう」
三人は兵隊を引き連れ、黒の門まで向かっていった。
黒の門の前には、依然変わらぬ様子があった。
「封印は解かれていないぞ。サー」
フェマスが、封印の剣を見て言う。
「ああ。でも形だけだ。一度、ロンが封印を解いた。その時、黒が封印の効力を少しでも抑えているに違いない。我々の魔術も、負けてはいないと思うが……」
「なるほど。不安定だが、ないよりましか」
「ああ……もはや封印が解かれているのも同然だが、これをきちんと解いたら、黒の人間たちがなだれこんでくるに違いない。きっと黒の者も、まだ誰でもこの門を行き来出来るわけではないんだ」
「その通り。封印は解かれてはいません。その証拠に、ロンをさらいに来た時、ドラゴンだけがやって来た。ドラゴンは、少々の封印やバリアの衝撃にも耐えられますからな。火を噴くことで突破も出来る。この封印は、解かれてはいませぬ」
大きく頷きながら、キキが言った。
「私は通れるだろうか……」
サーが黒の門に近づくと、すぐに黒のバリアがサーを弾き返した。
「サー! 大丈夫か?」
すかさず、フェマスがサーに駆け寄る。
「ああ、大丈夫だ。しかし、思ったより強いバリアだ……黒の力は衰えてはいない」
「こんなバリアでは、通ることは無理だ……」
フェマスの言葉に、サーは首に下げたペンダントに触れる。
そのペンダントは、代々の王家を守ってきた上に、いわばロンの父親の魂が宿っているといっても過言でないほどのパワーが宿っているに違いない。
「ペンダントよ……どうか私をロンともとへ導いてくれ」
そう言って、サーはもう一度、門へと歩いていった。そして今度は勢い良く、門の格子に触れる。
すると、凄まじいエネルギーに、サーの体は遠くまで吹き飛んだ。
「サー!」
フェマスが駆け寄ると、サーは傷だらけで横たわっている。
「サー!」
「大丈夫だ……」
「無理するな。キキ、治療を」
フェマスに促され、キキがサーの体に触れた。
傷は治るものの、思った以上のバリアの強さに、一同は途方に暮れた。
ロンは、牢の塔から普通の部屋へと移された。
部屋は豪華な造りだが、大きな城の最上階である。ドアの外には常に衛兵がいるほか、窓からも到底逃げられる場所ではない。
また、テーブルにはお菓子とジュースが置かれ、待遇も良かった。
「ロンターニャ様。もうすぐお食事の時間でございます。お召し替えを済ませ、一緒にいらしてください」
ボーイとメイドが入ってきて言った。
「……食事なんていらないわ」
顔を顰めて、ロンが答える。
「困ります。国王陛下がお待ちです」
「いりません! そう伝えてください」
ロンはそう言って、テーブルの上のお菓子とジュースを退けて立ち上がった。
すぐにメイドが片付ける中、ロンのもとにテオーがやって来た。
「なぜ食堂へ来ない。ここへ来て、往生際が悪いぞ!」
テオーの言葉に、ロンは真っ直ぐにテオーを見つめる。
「……私は間違っていました。サー様が私を、国民を守れないはずがなかったんです。サー様を信じていればよかった……」
悔しそうに唇を噛んで、ロンが言う。
だが逆に、テオーは大きく笑った。
「ハッハッハ。何を言うか。確かにさっきはバリアを解いて、あのような形で現れたのだけは驚いたが、あんな若造に国が背負えるか」
「サー様は、立派な国王様だわ!」
「よろしい。どうしても私と食事をしたくないのなら、無理にでも来させるまでだ」
テオーは、冷たい瞳でロンを見つめる。
「……そんなことは出来ないわ。あなたが欲しいのは、私の心ではないはずよ」
「そうだ。だが、食事も一緒に出来ぬ妻では困るからね。おまえはこの国の妃となるのだ。心などいらぬが、見せかけだけでも私の妻に相応しくなってもらわねば困る。さあ、来るんだ」
そう言って、テオーはロンに手を差し出す。
だが、ロンは顔を背けた。
「勝手だわ」
「もちろんだ。だが覚悟しておくが良い。意地を張っていないで来い。そうでなければ、飢え死にするんだな」
「私が飢え死にしても良いの?」
「困る。だが私が勝つか、おまえの意地が上なのか、しばらく小手調べといこうじゃないか。ハハハ」
「あなた、悪魔みたいな人……父が国を捨てたのがわかるわ!」
ロンがそう言うと、テオーがロンの顎に触れた。
「その気の強いところ、我々の母にそっくりだ……ザークリーは腑抜けだが、おまえを残してくれた。おまえは私の妻となるため、私の前に現れたに違いない。精々意地を張っていろ。すぐに片がつく」
「違うわ! 父は腑抜けなんかじゃない!」
ロンはテオーの頬を叩くと、メイドが後片付けをしていたホウキを奪い取り、最上階のバルコニーへと走り出した。
「何をするんだ、危ない!」
テオーの言葉を背中で受け、ロンはためらわずに飛び降りた。
ロンが飛行術を持つとは知らなかったテオーは、さすがに驚いた。だが、追いかける術はない。
初めて乗るホウキは言うことを聞かず、ロンは空まで覆う黒のバリアに激突し、傷付き落ちるように不時着した。
「うっ……イタタ……」
ロンが起き上がると、目の前には大きな壁がそびえている。
その時、何かの気配に振り向くと、そこにはロンをさらったドラゴンがいた。
「なんだ、おまえは。どこから来た」
ドラゴンが、そう口を開く。
「あなたは……ここは?」
「ここは私の巣だ」
「あなたの巣? そう……バリアが強くて出られなかったのね……」
残念そうに俯くロンの目に、ドラゴンの足が映る。
その足には何本も矢が刺さっており、ドラゴンはその傷口を舐めている。ロンをさらった時、衛兵が打った矢であった。
「見せて!」
ドラゴンに駆け寄り、ロンはその傷口を見つめた。
「何を……」
「矢を抜くのよ。舐めていても治らないわ」
そう言って、ロンはドラゴンに刺さった矢を抜き始める。
「可哀想に……」
やがて、矢を抜き去ったロンがそう言った。傷口からは血が流れ出している。
「可哀想?」
ドラゴンはロンに向かって、怪訝な顔をしている。
「ええ。可哀想……痛かったでしょう?」
「人間には関係ない」
「関係あるわ。私のせいで撃たれたんじゃない」
「人間の矢など、大した傷ではない」
「人間とかドラゴンとか、そんなものは関係ないわ。現に怪我を負って、血が出ているのよ?」
ロンはそう言うと、ポケットから薬の包みを取り出した。
「なんだ、それは……」
「傷薬よ。私、小さい時からおてんばで、生傷が絶えなくてね。薬だけは持ち歩いているの。良く効くわ」
「余計なことをするな。舐めていれば治る」
「でも、薬を塗れば、もっと早く治るわ」
そう言って、ロンは傷薬をドラゴンに塗ってやった。
途端、ドラゴンが呻く。
「痛い? でも我慢して。きっと早く効くわ」
薬を塗ってやると、ロンはドラゴンの足を撫でる。まるで子供をあやすかのように、ドラゴンの気が休まればと思った。
その時、テオーが家来たちとともにやって来た。
「ロン! もう逃げられないぞ」
「逃げてないわ。私はここにいるのよ」
真っ直ぐにテオーを見つめ、ロンが落ち着いた様子でそう言った。バリアを通れなかった以上、逃げ場がないのはわかっている。
「飛行術を持つとは知らなかった……そこまで魔術を持っているのか」
「おあいにくさま。私は飛ぶことしか出来ないわ」
「黒の魔族も、もはや飛行術を持つ人間はいない。白の者は他にもいるのか?」
テオーの言葉に、ロンは顔を顰める。
「……あなたは何を恐れているの? サー様の国民は、皆平和に暮らしているわ。あなた方を恐れはしても、滅ぼそうなんて考えてない。あなた方が危害を加えないのなら、皆あなたたちを受け入れてくれるわ」
「……何を言っているのか。すっかり白に洗脳されているな」
「私の国は、元からサー様が統治する魔法国よ。私は飛ぶことしか出来ない。それに、ホウキがないと飛べないし、完全に飛べるわけじゃない……魔法国の人々でも、飛べる人はいないと聞いたわ。確かにあなたたちの魔術は強く、危険なものかもしれないけれど、あなたが恐れることは何もないはずよ。お願いだから、平和な道を選んで」
そう訴えかけるロンに、思わずテオーは顔を背けた。
「うるさい! 私に白の心を語りかけるな。ロンを牢の塔に引き戻せ。ホウキや似た物は持ち込ませず、いらぬ家具は取り外せ」
テオーがそう言うと、ロンは家来達に、最初に連れて行かれた牢の塔へと連れて行かれた。