24、魔法の泉
あまりに突然の出来事で、辺りは静まり返っている。
「アクネ!」
静寂の中で、サーがアクネの肩を掴む。
「どうして! どうして黒なんぞに魂を売った!」
「あの子が……邪魔だったからよ……」
アクネは涙を流していた。サーは無念にうなだれながらも、アクネを抱きしめた。
「誰が悪いのではないな。私が……あの子に惹かれたのが悪い……」
「あなた……」
「ロンは行ってしまった……これで国は平和になるのか……?」
サーは、ロンのペンダントを手に取って呟く。
「そのペンダントがこちらにあり、今封印をすれば、黒をまた封じ込められますわ……」
アクネが、静かにそう言った。
「……ロン共々か?」
「サー! ロンは……ドラゴンはどうした?」
駆け寄って来たフェマスを、サーは悲しく見つめた。
フェマスは、サーが持つペンダントを見つめ、目を泳がせる。
「そのペンダントは……」
「ロンは行ってしまった……テオーがロンを欲しがっているのは本当らしいな。しばらくは、冷戦状態に戻るだろう……」
「アクネ……アクネがやったのか? 国のバリアを解いたのは、アクネだと聞こえたぞ!」
フェマスが、アクネの肩を掴んで言う。
アクネは顔を顰め、俯いた。
「そうよ! 私はあの子が憎かった。お義父様の心を一瞬で捉え、私のサーまでもを奪った……あの子が憎かった! だから、あの子を売ったのよ。あの子の大切な物を奪ってやったのよ!」
半狂乱になって叫ぶアクネの頬を、フェマスが叩いた。
「おまえこそ悪魔だ!」
「やめろ、フェマス! 私が一番いけなかったのだ。アクネの気持ちを、わかってやれなかった……」
今度は、サーとフェマスが睨み合う。
「サー、甘やかすことが愛じゃないぞ。アクネが何をしたかわかっているのか? それともおまえ、国さえ助かれば、アクネのしたことも許し、ロンがどうなってもいいと言うのか?」
フェマスにそう言われ、黙り込んだサーに、アクネが静かに口を開く。
「そうよ……私の復讐は達成されたわ。あの子から、あなたを奪った……」
次の瞬間、アクネは穴の開いた塔のフロアへと、自らの身を投げた。
「アクネ!」
サーはとっさに瞬間移動をし、落ちる直前のアクネを抱き止めた。
しかし、あまりの加速に、アクネはサーの手をクッションに置いたものの、床に叩きつけられた。
「サー! アクネ!」
すぐに、フェマスや家臣が駆けつける。
「サー!」
「アクネは……無事か?」
サーの言葉に、フェマスはアクネに駆け寄った家臣を見つめる。
「ご無事です。気を失われておられますが……」
「安静にさせてやってくれ……」
そう言うと、サーはゆっくりと立ち上がった。
「おまえは馬鹿だ……なんであんな女を……」
フェマスが言う。
「……フェマス。そういう言い方はよしてくれ。アクネは私の妻なんだ」
「……大丈夫か? その手、折れてるな……」
フェマスが、サーの腕を見て言った。
「大丈夫だ。このくらいの怪我、自分で消せる……」
そう言うサーの目は、虚ろに翳っている。
いろいろなことが重なり、こうしている今も、同時に多くの問題について考えているに違いない。
「無理するな。いくら治癒能力のある王家の男子でも、自分の怪我を治すなど、至難の業だ」
フェマスは手を貸そうとしたが、サーは静かに微笑み、首を振る。
「今は、多少の無理も必要だ。腕の一本や二本折れようが構っていられない。私は黒の国へ行く」
「ロンを助けにか? しかし、おまえは国王だぞ。何かあったらどうするんだ」
「話してわかる相手ではないかもしれないが、ロンを見捨てることは出来ない。相手とて、同じ種族の人間だ。無抵抗の人間を取って食いはしないだろう」
サーはそう言って、歩き始めた。フェマスはそれに続く。
「そうだろうか。相手は黒の魔族だぞ? 愛や情けなど、無用の種族だ。もちろん、僕だってロンを助けたいが……」
「私は王として、ロンを愛する者として、行かねばならないのだ。なに……一国の王が、そう簡単に死ぬはずがない」
「それはそうだが……」
「だが、私に何かあった時は、後を頼むよ。フェマス」
軽く振り向いて、サーが言った。
「何を弱気な……僕は隣国の王子だぞ」
「万が一だよ……すぐに支度をする。状況が状況なだけに、反対するのは目に見えている。黙って行くしかなさそうだ。悪いが、君はここで指揮を取ってくれ」
サーはそう言うと、折れた手を自分の魔術で治し、外へと出て馬に乗った。
「サー。僕も行くよ。黒の門まで」
続いてフェマスも、馬に乗って言った。
「何を言うんだ、フェマス!」
「僕の性格はわかっているだろう? 反対されてもついていくぜ」
「まったく、君ときたら……」
「ハハハ。まあ連れて行け。きっと何かの役に立つ」
「確かに心強い……では、行こう」
サーとフェマスは、馬で駆け出そうとたずなを掴む。
その時、キキが前に立った。
「待ちなされ!」
「止めるな、キキ」
「今行っても無駄です。黒の国は強力なバリアを張りましたぞ。こちらへ!」
キキは無理やりに、二人を魔法の部屋へと連れて行った。
その部屋で、キキは魔法の泉を見るように促す。
「泉が枯れてきている……」
フェマスが、魔法の泉を見て言った。
泉の水は、すでに半分以上減っている。
「そうです。ロンが去ったからです。ですから、早く覗いて下さい」
そこには、黒の門が映っていた。
門の周りは、オーラのようなもので覆われているのが見え、それらが黒の国が仕掛けたバリアだということが容易にわかる。
「ロンを映せ」
サーが言った。だが、何も起きない。
「バリアを張られたから無理なのです。黒の世界の中を覗くことは不可能です」
キキがそう言うと、サーは泉に手を触れた。
「ロンを映せ!」
もう一度、サーがそう言うと、サーが持っていたロンのペンダントが反応し、鮮明ではないものの、ロンが映った。
「ロンだ!」
「そのペンダントは、万能じゃな……ロンに反応しているのだ」
泉に目を凝らし、フェマスとキキが、それぞれに言う。
ロンは、一通りの家具が揃えられている造りの良い牢獄のような部屋に、一人でいた。
「ロン……!」
その時、聞こえるはずもないロンが、ゆっくりと顔を上げた。途端、サーと目が合う。
「ロン!」
「サー様……!」
信じられないといった表情で、ロンは立ち上がる。
「ロン! 見えるのか?」
ロンの目には、天井付近に水面のようなものが現れ、その向こうからサーが覗いているように見えた。
「見えます!」
すると、サーはおもむろに、水の中へ手を伸ばした。
「おいで」
サーの言葉に、ロンも手を伸ばした。やがて二人の手は、しっかりと握り合った。
「掴んだ!」
「なんという魔力なのか。この泉から相手に触れられるなど、聞いたことがない……」
キキの驚きをよそに、サーはロンを持ち上げる。
「でも、サー様……私は行けません。私が戻ったら、国民が……」
思い直して、ロンが泣きながらそう言った。
だが、サーは首を振る。
「ロン……私はおまえがいれば、なんでも出来るような気がする。おまえに、キキを超える大魔女になる素質があるならば、おまえの意思で国を守ることも出来よう……私に力を貸してくれ。ロン」
「サー様……」
ロンは、サーに身を任せた。
その時、テオーがやって来た。
「何をしている!」
テオーの声とともに、ロンはテオーの家臣たちに、サーの手から引き離された。
「テオー王……ロンを返してくれ。確かに我々は、あなた方のような大きな力はないかもしれない。力でねじ伏せられれば勝ち目はない。だが、我々は無力ではない。あなた方が嫌う、愛や情けが力を生むこともある。ロンはこちらの人間だ。どうか返してくれ」
丁寧に、サーが言った。
テオーは顔を顰めたまま、サーを睨みつけている。
「どんな魔術を使ったのか知らんが、所詮は白の限界よ。ロンは渡さぬ。結婚式は明日だ。招待出来なくて残念だが、ロンも元は黒の人間。黒の王家の濃い血を持った人間だ。すぐに黒の風習は覚える」
「ロンは私の恋人だ!」
「だが、妻ではないのだろう?」
「しかし、ロンの心は私のものだ。あなたは空しくならないのか?」
「私が欲しいものは、心ではない。王家の血だけだ」
「何を!」
次第に泉の水が枯れ、互いの体が薄れて見えた。
「精々、待つが良い。ロンが私の子を産んだら、吉報くらいは流してやる」
「ロンに指一本触れてみろ!」
「ほう。触れたらどうするつもりだ?」
挑発するように、テオーはロンを抱き寄せる。
「嫌!」
憎悪に顔を歪めて、ロンがテオーから離れた。
「ロン!」
「安心しろ。結婚するまでは何もしないさ。まあ、おまえたちがどうあがいても、式を止めることなど出来ないがな」
「ロン、待っていてくれ! 必ず助ける」
「サー様……」
「必ず助ける! だから、それまで……」
その時、泉の水が枯れ、互いの姿も声も届かなくなっていた。