23、黒の国の使者
数週間後。それから、黒の変化はまったく見られなかった。
ロンはサーの側室になるため、花嫁修業を積んでいる。アクネは嫌がったが、国王であるサーの決めたことには、アクネも逆らえない。
「ロン。作法の時間だよ」
部屋で本を読んでいたロンに、ギイルが声をかけた。
「もうそんな時間? 早いなあ」
嫌そうな顔をして、ロンが言う。
「本を読んでいたからだよ」
「作法の時間は難しいわ。先生も気難しいし……」
「王様の側室になるんだもの。頑張っておいで」
「うん。なんだか、まだ実感が沸かないけど」
「僕もさ。君が王様の側室だなんて。でも君なら、王様を支えられるよ……明後日は側室の認定式だろう? 作法もしっかり学んでこなきゃね」
「そうね。行って来ます」
ギイルに後押しされ、ロンは作法の部屋へと向かって行く。
明後日が、ロンが正式にサーの側室になる日であった。
ロンが作法の部屋へ入ると、サーがお茶を飲んでいた。
「サー様!」
思わず、ロンがそう叫ぶ。
「ロン様! なんです、無作法な!」
作法の先生の檄が飛ぶ。
「ご、ごめんなさい。ご機嫌麗しゅうございます、サー様」
背筋を伸ばし、お辞儀をしながら、ロンが言い直した。
そんなロンを見て、サーは豪快に笑う。
「ハッハッハ。ロンの良いところは、自然体なところだ。あまり型にはめないでくれ」
「王様。そう甘やかしてはなりませんよ」
サーに向かっても、作法の先生が厳しく言う。
「甘やかしているわけではないよ」
「あの……どうしてサー様がここに?」
間に入って、ロンが尋ねた。
「いや。ロンの作法が、どの程度になったのか見にね」
サーが、からかうようにそう言った。
「嫌だわ。緊張して何も出来なくなっちゃう」
「アハハ。緊張してか?」
「いくら王様でも失礼だわ、サー様」
「ハハハハ」
「王様。これでは作法の時間になりませんわ」
あまりに和やかなムードに、作法の先生が苛立って言う。
「ああ、そうか。ついロンを見ると、からかいたくなる。悪い癖だ。じゃあロン、たっぷり絞られておいで」
サーはそう言うと、部屋を出て行った。
退屈な作法の時間も、今日はサーの姿に和み、ロンは楽しく学んでいった。
「あなた!」
サーが国王の間に行くと、アクネが駆け寄って来た。
「アクネ。調子が良いのか? 部屋から出ようとしなかったのに」
優しく微笑み、サーが尋ねる。
「あなたが、ロンと一緒にいると聞いて……」
「またそれか。私はロンを側室にする。決めたのだ」
アクネの気持ちを察しながらも、サーはロンを受け入れる覚悟をしていた。
「ロンだけは嫌だと、申し上げたはずです!」
逆上して、アクネが怒鳴り散らす。
サーは苦笑し、頷いた。
「元気が出て良かったではないか。その調子なら、もう公務に戻れるな」
「茶化さないでください。あの子は悪魔の手先です」
「まだ言うのか! あの子の心は白い。それは事実なのだ」
サーは、少しむきになって言った。
そんなサーに、アクネは悲しそうに口を結ぶ。
「あなたの心まで奪ったんですわね。あの魔女は……」
「……アクネ。私は君を愛しているよ。それだけでは駄目か? 君が子供を産めない体ならば、側室が必要だと皆言っている。私も他に術がないのなら、仕方がないと思う。ロンを選んだのは、私とて誰でも良いわけではないからだ。君と比べるつもりもない」
サーは、アクネを説得するように、丁寧にそう言った。
だが、アクネは納得していない様子である。
「ではなぜ、あの子なのです?」
「意味などない」
「あなたがあの子に心奪われるというのなら、私も狂うことにします。私は黒の魔族に魂を売ってでも、あの子に渡さないわ」
「そんなことをするならば、この場で君を張りつけにでもするぞ!」
「お好きにどうぞ……」
二人は、真剣な眼差しで見つめ合っている。だがこれ以上、交渉の余地はないようだ。
「……馬鹿なことを言うな。私をがっかりさせないでおくれ」
サーはアクネの肩を抱くと、公務に戻っていった。
数日後。ロンの側室認定式が行われた。
花嫁のように着飾ったロンは、祭壇の前に立たされた。周りにはサーのほか、フェマスやアクネもいる。
その時、窓ガラスが一気に割れ、見たこともないドラゴンが、バルコニーに降り立った。
「ドラゴンだ! まだこの世にドラゴンが……」
そんな声をかき消すように、ドラゴンは部屋中に火を噴いた。
辺りは一気に、炎に包まれる。
「バリアを張れ!」
警備兵がそう言って、ドラゴンに矢を放った。
ドラゴンは、構わずもう一度火を噴く。
「返事を聞きに来た。もはや封印は解かれた。イエスならロンを前へ。ノーなら国を焼き尽くす」
低い声で、ドラゴンが言った。
その時、もろくなった塔の床が崩れ、一同はそれぞれ塔の端へと身を寄せた。
「あなた、怖いわ!」
アクネが叫ぶ。
「大丈夫だ、アクネ。端にいれば安全だ」
アクネの側にいたサーは、そう言ってアクネを抱き寄せる。
それに合わせるように、アクネはしっかりとサーに抱きついた。
「あなた……」
「アクネ。大丈夫だから……ロンは平気か?」
サーは、アクネの側にいたロンを見て尋ねる。
「は、はい。平気です……」
ロンは、塔が崩れる恐怖よりも、ドラゴンの目的が自分ということに、人知れぬ恐怖を抱いていた。
「ロン……大丈夫だよ」
ロンの気持ちを察して、サーはそう言った。そして、アクネの手を振り解く。
「あなた。どこへ行くの?」
「私は王だ。ドラゴンと交渉しなければ……おまえたちはここにいるんだ」
サーはそう言うと、ロンとアクネを残し、ドラゴンの近くへ行くため、バルコニーへと出ていった。
「サー……怖いわ……」
一人言のように、ぶつぶつとアクネが繰り返す。
「キャー!」
その時、またしても床が崩れ落ち、ロンが吹き抜けとなったフロアに落ちそうになった。しかし間一髪、縁にぶら下がる。
ロンの側には、アクネしかおらず、他の者は、ロンたちには気付かない。皆、自分の事で精一杯であった。
「ア、アクネ様……このままでは落ちてしまいます。どうか力をお貸しください……」
懇願するように、ロンが言った。
しかし、アクネは冷たい目でロンを見つめている。
「アクネ様……」
そんな時、ロンを助けたのは、ドラゴンであった。
ドラゴンはロンを、別の塔まで咥えていく。
「おまえがロンだな。返事を聞かせてもらおう」
ドラゴンが言った。
ロンは静かに口を開く。
「サー様は……私を守ると言ってくださったわ。私も、国も守ると……」
「ハッハッハ。白の者に何が出来る。ドラゴン一匹すら持たない白が……」
「……この国は平和だわ。なぜ黒の人たちは、戦いを望むの? なぜこんなにも、人を苦しめるの?」
「災いは、この国から始まったのだ。白の者が我々を追放などしなければ、我々の恨みもこんなに膨れることはなかった」
「あなたたちが、追放されるようなことをしたからだわ!」
顔を歪め、ロンはドラゴン相手に怒鳴った。
その時、さっきまでいた塔から、警備兵の矢がドラゴン目かけて飛んで来た。
するとドラゴンも、その塔を目掛けて火を噴く。
兵隊は、崩れ抜けたフロアを落ちていった。
「やめて、お願い!」
ロンはそう言うと、傷付いたドラゴンから矢を抜き取る。
「ごめんなさい。硬い皮膚でも痛いでしょうね……でも傷は浅いわ。大丈夫」
そう言って苦笑するロンを、ドラゴンは不思議そうに見つめている。
「……おまえは本当に、白の者のようだな。なぜ敵を助けるのか……」
「なぜ? そんな質問は無意味だわ」
ロンはそう言いながら、ドラゴンに刺さる数本の矢を引き抜く。
「俺を助けても、条件は変わらないぞ」
「……私を連れて行きたければ、連れて行けばいいわ。あなた方が、罪もない人たちの命まで無視してやるならお手上げだもの。だけど、心だけは誰にもあげられないわ。それでもいいなら、私を連れて行きなさい」
「そんなことはさせない!」
そこに、サーが瞬間移動でやって来て、ロンを抱きしめた。気がつけば、そのまま二人は、元いた塔のバルコニーへと移動している。
「サー様!」
ロンが、サーに抱きついた。
「大丈夫か? 言ったはずだ。黒の心理作戦に飲まれるな」
「でも……もうたくさんだわ。目の前で人が……」
サーの言葉に、ロンが首を振って言った。
吹き抜けとなった塔の中心では、落ちた人々が苦しみに喘いでいる。
「彼らは生きている。大丈夫だ」
「では、これならどうだ?」
その時、ドラゴンが外へ向かって火を噴いた。すると、城の周りの森は燃え、たちまち街へと燃え広がる。
「やめて! サー様、お城が……街が! 私のせいだわ。どうしよう!」
ロンが悲鳴に似た声を上げる。
「落ち着け、ロン! おまえのせいなどではない」
サーが、しっかりとロンを抱きしめて言う。だが、その顔は険しい。
「いいえ。その子のせいだわ」
突然、アクネが来てそう言った。
「アクネ……」
「だから言ったはずよ。その子は、所詮は黒の人間。黒魔女であり悪魔なのよ。たとえその子にその気がなくても、人を惑わし虜にする、恐ろしい悪魔なのよ……出て行きなさい。この国から、今すぐに!」
その時、サーがアクネの頬を叩いた。
「アクネ、まさか君は……」
「……そうよ。ドラゴンを招いたのは私だわ。国のバリアを解くよう命じたのも私よ!」
アクネがそう言った。
思わず、サーがもう一度手を振り上げる。だが、アクネの強い意志を持った目を見つめ、その手を下ろした。
「なんてことを……! 何をしたのかわかっているのか? 街は燃え、ドラゴンが城に……」
「夫婦喧嘩をしている時ではないぞ、白の王よ。早く答えを出すのだ」
急かすように、ドラゴンが尋ねる。
「答えはノーだ!」
サーがそう言った。
その時、ロンがサーに抱きつく。
「ロン……」
「サー様……どこへ行っても、私の心はあなたのものです。それからどうか……私のことを忘れないで……」
「ロン!」
ロンは、ドラゴンの足に手を触れた。
「答えはイエスよ。どこへでも連れて行って……」
「よし。では妃・アクネよ。報酬を取っておけ」
そう言って、ドラゴンがアクネに投げたのは、ロンがテオーに取られたペンダントであった。
そのまま、ロンはドラゴンに連れられ、黒の国へと連れ去られた。