17、戸惑い
次の日。フェマスが目を覚ますと、庭にロンの姿を見つけた。
「おはよう、ロン。早いね」
バルコニーから、フェマスが声をかける。
「おはよう、フェマス。私はいつも早起きよ。今、あなたの部屋に飾る花を摘んでいたの。すぐに届けるわ。そしたら、一緒に朝食にしましょう」
「ああ。ありがとう」
ロンは花を摘み終えると、フェマスの部屋へ向かった。
「おはよう、フェマス」
摘んだばかりの花を、ロンが差し出す。
「おはよう。綺麗な花だな」
「ありがとう。私が育てているのよ」
「へえ。そんなことまで君がやるのかい?」
「ええ、好きなのよ。ほら、ここに飾ると部屋が明るくなるでしょう?」
ロンは手早く花瓶に花を飾り、フェマスに言った。
「そうだね。ありがとう」
「じゃあ、食堂に行きましょう」
「それが終わったら、釣りでもしよう」
「素敵。じゃあ、それが終わったら絵でも描きましょう」
「気が合うね。じゃあ、早速始めよう」
二人は、一日を有意義に過ごした。
数日後。フェマスがロンの元を訪れた。
「ちょっといいかい?」
「ええ、どうぞ」
「怪我が治ったよ。大した傷じゃなかったけど、介抱してくれてありがとう」
フェマスが言った。
「ううん。大事に至らなくてよかったわ」
「それでさ……僕、そろそろサーの城に行かねばならないんだ。ずいぶん前に行くと手紙を出したから、そろそろ心配し始めると思う。だから……」
「それはいけないわ。すぐにでもお城へ行って、王様に顔を見せてあげて」
「ああ、それでさ……ロン、僕と一緒に旅に出ないか?」
「え?」
突然の申し出に、ロンは瞬きを繰り返す。
「君が好きなんだ。結婚とまでは言わないよ。でも、すぐに戻るよ。だから、恋人として待っていてくれないか? もちろん君が望むなら、友達のままでいいけれど……」
「フェマス……」
フェマスからの愛の告白に、ロンは戸惑った。
しかし、フェマスの目は真剣である。
「君みたいな子は初めてなんだ。新鮮で、気が合って、とても楽しかった。このままでいるなんて嫌なんだ。ずっと一緒にいたいと思ったんだ」
「……私、ごめんなさい。わからないわ……そんなこと考えてもみなかったもの。私、まだ子供なんだわ……」
正直に、ロンがそう言った。
「……誰か、好きな人がいるの?」
「……ずっと前にね。憧れのほうが、強かったのかもしれないけれど……」
「その人のことが、今でも忘れられないのかい?」
「……ごめんなさい。わからないわ……」
「そうか。正直、フラれたのは初めてで、僕も戸惑ってるよ。でも君を困らせたくはないんだ。今すぐに答えがほしいとは言わないよ。でも、考えておいてくれないかな? それまでは、今まで通りでいるから。友達として……」
「うん。ありがとう、フェマス……」
フェマスの告白は、信じられないほどストレートに、ロンへと伝わった。それは同時に、まだほとんど開花されていない、乙女心というものを感じさせるものでもある。
しかし、ロンの脳裏には、忘れようとしても忘れられない影があった。
次の日。フェマスはロンと別れ、城へと向かっていった。
ロンは少し寂しい気持ちでいながらも、初めての愛の告白に、胸の高鳴りを覚える。
その日の夜、ギイルがロンの部屋を訪ねた。
「ロン。紅茶を入れたよ」
「ありがとう、ギイル」
「……何かあったのかい? 今日は元気がないな。やはり、フェマス様がいなくなられたのがショック?」
「……ギイル。私、生まれて初めてプロポーズされたわ」
「え?」
ストレートなロンの告白に、ギイルは一瞬、戸惑った。
だが、悩んでいる様子のロンに、そのまま耳を傾ける。
「不思議ね。私ももう結婚出来る年でも、今まで私は子供だと思ってたのに、こんなことが起こるなんて……ねえ、ギイル。私、どうしたらいいの?」
ロンの質問に、ギイルは戸惑った。
「……ロンの気持ちは? そりゃあ会ったばかりだけれど、フェマス様は王子様だ。願ってもないことだと思うよ。でも、ロンの気持ち次第だろう」
「私の気持ち……それがわかれば苦労はしないわ……」
「自分の気持ちがわからないのかい?」
「……うん」
ロンは窓ガラス越しに、星を見上げる。どうしていいのかわからなかった。
「……まあ、ゆっくり考えるといいよ」
「冷たいのね」
ギイルの言葉に、ロンが言った。ギイルは苦笑する。
「色恋事は、当人にしかわからないからね。ましてやロンは、今までそういうのに巡り合わなかったんだ。戸惑うのは当然だし、早く決めることでもないよ。ロンの気持ちを大事にするといいよ。気持ちに正直になってね」
「正直に……そうね。フェマスも待ってくれるって言ってたし」
「……僕も、フェマス様は個人的にも良い方だと思うよ。少し遊んでいる風貌もあるけれど、悪い噂はないもの」
「そうね。彼なら、私……」
「……紅茶のおかわり、ここへ置いておくよ。おやすみ」
「あ、ギイル」
「うん?」
「……ううん。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
ギイルは部屋を出て行った。
ロンは紅茶を飲むと、ベッドに潜り込んだ。
「王様……」
しかし、出て来た言葉は、サーの名前であった。
この三年、ロンはサーを忘れようとしていたが、それが叶うことはなかった。
数日後。ゆっくりと旅を進めるフェマスは、やっとサーの城に辿り着いた。そのまま国王の間に通され、懐かしい姿のサーに対面する。
「サー!」
「フェマス。心配していたんだ。無事でよかった」
サーが、安堵の顔を見せて言う。しばらく会っていなくとも、親戚同士で親友だ。
「もちろん無事さ。しかし、本当に久しぶりだな。しばらく見ないうちに大人になったな」
「ハハハ。フェマスとは、一つしか違わないじゃないか。でも、フェマスは相変わらず旅を続けているそうだな」
「ああ。でも、やはりこの国はいいな。豊かで平和だ」
「それは君の国でも一緒だろう。とにかく、ゆっくり休んでくれ」
サーは、久々の懐かしい来客に、胸を弾ませて言う。
「そうさせてもらうよ。アクネは?」
「うん……このところ、少し塞ぎ込んでいるよ……」
「ああ。例の後継者問題か? 庶民も言っていたぞ」
フェマスが、街で耳にした噂を伝えた。
「わかってる……でも、いろんな方法を試したが、アクネの体は……」
アクネは妃であるものの、子供が産めない体であることがわかっている。
「じゃあ簡単なことじゃないか。特例を掲げて、離婚すればいいだろう? 城の会議でも、離婚も視野に入れていると聞いたが……」
軽々しく、フェマスが言う。だが、サーは大きく首を振った。
「アクネを見捨てることなんて出来ないさ」
「相変わらず優しいな。でもおまえの問題は、国の問題だろう?」
「家臣と同じことを言うな……」
サーは苦笑した。
フェマスは昔から、重大な問題も簡単に解決しようとする。少しも変わっていないフェマスだが、悪気がないことは知っているので、サーも腹は立たない。
「そりゃあね……そうだ。前に聞いていた、ロンという少女に会ったぞ」
「……ロンに?」
サーが、驚いて言った。その名を聞くのは久しぶりである。
「ああ。美しい娘だな。僕は気に入ったよ」
「美しい? そうか……三年前はまだ子供という感じだったが、あの子ももう十八かそこらだったな」
サーが懐かしそうに、ロンを思い出す。
「気にかけているのか?」
「そりゃあね……彼女は私とアクネの命の恩人だし、出会ったのが印象的だった。よく覚えているよ」
「ハハハ。僕も、出逢いは印象的さ」
「……どうだい? 彼女、不自由そうにはしていなかったかい?」
「ああ、全然。地元の娘と菓子作りをしたり、馬乗りや釣りをしたり、そういう意味では、まだまだ子供なんじゃないか?」
「そうか……少し安心したよ。あの子には、父上の代から借りがあるんだ。それなのに、私は三年間も放っておいて……」
サーは溜息をつく。最近、物事がうまくいっていないようで、さまざまな問題がサーを襲っている。ロンのことを忘れたことはなかったが、そこまで手が回っていない状況というのもまた事実だ。
「おかしいな。この城には魔女の部屋に、姿を映し出す泉があったじゃないか。彼女の姿を見ることくらいは出来るはずだろう? 小さい頃に良く遊んだ」
フェマスが言った。
城に住む大魔女・キキの部屋には、どんな場所も映し出す魔法の泉がある。
「ああ……あれは、原因不明で枯れたんだよ」
「枯れた? 魔法の泉がか?」
サーの言葉に、フェマスは首を傾げる。
「うん。そうだな……ちょうど、ロンが城を出た頃だった。キキにもわからないと言っていたが、まあ、枯れても大して不自由はしないし、しばらく封印することにしたんだ。それが災いではないかと心配する家臣も多いけどね」
「そうだったのか。でも心配だったろうに。三年間も目をかけていた子と会っていないんじゃ……」
「フェマスもおかしいな。そう、一つのものに執着しないのに……」
そう言ったサーに、フェマスは静かに微笑む。
「そう。あの子と会って変わったのかもしれない……あの子は不思議な子だよ。趣味もよく合うし。なにより側にいるだけで、気持ちが和むんだ。そんな子は他に知らない」
優しい顔になったフェマスに、サーが気がついた。
「フェマス。もしかして、君は……」
「ああ。告白したよ。結婚とまではいかないけど、付き合ってほしいってね……」
フェマスの言葉に、サーは驚いた。ロンにそういう話が出ていることなど、微塵も思っていなかったのだ。
「それで、ロンはなんと……?」
「……あの子はまだ子供だ。僕は待つよ。あの子が大人になるのを」
「フェマス……」
「そうそう。おまえのことを心配していたぞ」
「私のことを?」
「あの子も、おまえを気にかけているみたいだな。あと、アクネに憧れていると言っていた。美しくて強くて、なんでも出来るとな。でも僕の好みでいけば、あの子は今にアクネを越すぞ。あの子はもっと綺麗になる」
それを聞いて、サーは苦笑した。
「男の勘か。君はプレイボーイで通ってるからな。女性の扱いには慣れているだろう」
「まあな。でも、久々に本気だよ」
「……なんにせよ、彼女とは手紙のやり取りを数回交わしているだけだ。今が幸せならそれでいいが、そろそろ生活には慣れてきただろうか」
「まあ、問題があるようには見えなかったよ」
「それならいい……あの子は一般市民として生きてきたから、身分を格上げされたのを受け入れられなかった……だからあの子はここを出た。でも今は、城の者も半分は代わったし、そろそろ城へ戻ってきても良いと思うのだが……」
「それはいいな。あの子がここで暮らすなら、僕もしばらくはここに残るぞ。早速ロンに、手紙を書こう」
相変わらず楽天的なフェマスに微笑み、サーは頷く。
「それはいいけれど、フェマスのお父上も兄上も皆、心配しているぞ」
「国に帰ったら、退屈な生活が始まるだけだ。僕には旅の生活のほうが合ってる」
「まあ、好きなだけいたらいいさ。ここなら君のお父上も安心することだろう。それに、私も退屈していたところだ」
「よし。じゃあ、今夜は再会を祝して飲もう」
「ああ、そうするとしようか」
二人は久々の再会に、話を弾ませた。
次の日。ロンの元に、サーからの手紙が届いた。