11、英雄の子
ぽつりぽつりと話す前王に、ロンとサーは息を飲んでいた。
「私はザークリーが施した封印に、更に強い魔力をかけた。だから当分の間は、黒の国の連中は魔法国に出られないだろう。私は……ザークリーとともに、妻と子供も死んだと思っていた」
前王は言葉に詰まりながら、静かに続ける。
「そして私は、自分の妻がいる間は何とかやっていたが、妻が死んでから、自分の愚かさに耐え切れなくなった。あんな良い友人を失くしたことに……そしてサーに王位を譲り、自らの記憶を消し、魔力の使えぬこの牢獄のような塔で、一生を過ごすことに決めたのだ。それが、私の罪の償い方だ……」
「前王様……」
「ロン……私は、おまえの父に恩がある。だから、おまえに惹かれたのかもしれない。ロン、私はおまえの好きなようにしてやるぞ。私はおまえに償おう」
前王が言った。
ロンは驚きに声が出ないようで、目を泳がせながら前王を見つめる。
「……前王様。私、まだ実感が得られません。私は今まで何も知りませんでした。前王様のお話の子供が私なのかどうかも、私にはわかりません……」
「何を言う。そのペンダントがなによりの証だ。それに、おまえはザークリーの子供だ。彼によく似た、熱い目が証拠だ。それはわかる」
「前王様……」
「私はおまえに償うぞ。さあ、好きなことを言ってくれ」
そう言われ、ロンは静かに口を開いた。
「……では、今まで通りにしてください。私を前王様のお話し相手にお選びください。私は普通の国民です。だから、王様や前王様にお仕えします」
心に決めたように、笑顔でロンが言った。
「ロン。しかし、おまえは言うなれば王家の姫だ。大きく言えば、私と同じ血が流れているのだぞ。城に部屋を与え、裕福な生活を送られよ」
「いいえ、必要ありません。私は今日まで貧しい暮らしをしてきました。苦しいこともあったけれど、楽しい毎日です。それに私がお姫様だなんて、とても信じられません。裕福な生活なんて考えられません。お願いです、前王様。どうか今まで通りに……」
ロンの申し出に戸惑いながらも、前王はその意思を尊重することにした。
「……わかった。だが、ゆっくり考えて決めるが良い。サー、ロンを大切に扱ってくれるか?」
「はい。今のお話を聞けば、ロンの父親は我が国を救った英雄です。それに、知らなかったとはいえ何も出来なかったのは、父上ならず我々王家の人間の責任でもあります。ロンを養うのは当然です」
サーもそう答える。
「うむ。そういうわけだ、ロン。おまえの意思は尊重する。今まで通り働きたいならばそうすればいい。だがこれからは金に困らず、幸せな生活を送られよ」
「……ありがとうございます、前王様」
「少し疲れた……もう少し寝る。サーもロンも、今日は休め」
「はい」
サーはロンを連れて、塔を出て行った。
ロンは放心状態である。
「……大丈夫か?」
サーが尋ねる。
「あ、はい……」
「無理もない。私も驚いている。恥ずかしいが、父が閉じこもるようになった理由は知らなかったのだ。ただ、母上が死んだショックからだと……しかし、父上は本当に耐え切れなかったんだな。おまえの父親を見殺したということが……」
「……私にはわかりません。あの話が私のことだなんて信じられません」
「だが真実だ。ロン、これからは困ったことがあったら、なんでも私に言いなさい。我々はいわば兄弟や従兄弟といったところだ。どうだ、ロン。使用人寮から出て、城に部屋を用意させたいのだが」
そんなサーの申し出に、ロンはすまなそうに身を縮める。
「いいえ……お願いです。今まで通り、私をただの使用人として扱って下さい。私にはもったいなすぎるお話です。そんなに幸せになったら、バチが当たるわ」
「馬鹿な事を言うな。おまえの父上は、おまえを守る為に我が国まで守ってくれたんだ。その娘のおまえが、下働きなどさせられるはずが……」
「王様……どうか私の願いを聞いて下さい。私はただの一般市民です」
ロンはそう言い続けた。突然のことで、自分の身の上を受け入れられない現実もある。
小さく溜息をつき、サーは静かに頷いた。
「……わかった。だが、気が変わったらいつでも言いなさい。私もおまえには借りがあることになるからね」
「借り?」
「真実を教えてくれた。父に安らぎを教えてくれた。それにおまえの父がした事は、我々が償い切れるものではない」
「王様……」
「だから我々としては、おまえに城に住んでもらいたいものなのだが……」
もう一度そう言ったサーに、ロンも静かに首を振る。
「私、このままでいいです」
「そうか……じゃあ、今日はゆっくり休みなさい。メイド長には言っておく」
「ありがとうございます。おやすみなさい……」
「ああ、おやすみ」
ロンは自分の部屋へと戻っていった。
しかし、自分が黒の国の王子の娘だった事に、ショックと驚きは隠せなかった。
サーは自室に戻ると、ベッドに横になって考え事をした。父親があんな事を抱えていた事など、今まで知らなかったのである。そして、ロンの存在。いろいろなことが頭を巡る。
サーが眠りかけた時、部屋にアクネが入ってきた。
「アクネか……?」
「あなた。起きてらしたの?」
「ああ。寝かけていた……」
「起こしたならごめんなさい」
アクネが、ベッドに座って言う。
黙り込んだアクネ、サーは首を傾げる。
「どうした? 浮かない顔だ」
「キキに聞きましたわ。お父様の過去と、あのロンとかいう子のことも……」
「そうか……これから考えることがいろいろある」
「ええ……」
そう言うと、サーは疲れて、すうっと眠りに付いた。
アクネは浮かない顔をしたまま、椅子に座って考え込んでいた。
次の日。ロンが仕事に向かうと、みんなの様子が違った。詳しくは聞かされていないものの、ロンが高貴の出だと聞かされたからである。
「エミー。おはよう」
ロンは、近くにいたエミーに声をかけた。
「あ、おはよう……」
「どうしたの? なんだかよそよそしいわ……」
「そりゃあそうよ。あなたが高貴の出だからって、お触れが出たのよ」
「え?」
「でも、いつも通りでいいって言われても……」
エミーは他の従業員同様、戸惑っている様子だ。
「なに言ってるの。私は今まで通りよ? エミーと同じ使用人だわ」
「私たちを馬鹿にしているの? 高貴の出のくせに使用人なんかやって、誰の気を引こうとしているのよ!」
突然、エミーがそう怒鳴った。
ロンはショックで俯く。
「私、そんなつもりじゃ……」
「ごめんなさい。お許しください」
突然怒鳴ったことに我に返ったように、エミーはそう言うと、走り去っていった。
前王は休んでいるということで、ロンは一日、大した仕事も与えられずに寂しい思いをして過ごした。
休憩中、ロンは一人で裏庭を歩いた。
一晩でみんなの態度が変わり、よそよそしさに寂しさを覚える。今まで通りという選択肢を選んだものの、誰も受け入れてくれない現実があった。
すると、向こうから無人の馬が走って来た。
「馬を捕まえてくれ!」
遠くから叫ぶその声に、ロンは慌てて馬のたずなを掴み、馬を止めた。
「すまないな! いやあ、よかった。ありがとう」
馬番の男が言う。
「ううん。この子、逃げたの?」
「そうなんだよ。お妃様が乗られるというのに、なんてやつだ」
「お妃様が?」
「そうだよ。おまえ、休憩中なら馬を見るか?」
「本当? いいの?」
懐かしい動物との触れ合いも去ることながら、変わらぬ自分への口調にも嬉しさを感じ、ロンは大きく首を縦に振る。
「ああ、礼だよ。馬が好きみたいだしな。その扱い方」
「ええ。家は牧場だったの」
「そうか。じゃあおいで」
ロンが馬番について行くと、馬小屋の近くにはアクネが立っていた。
「お妃様。申し訳ありません。今日は別の馬に致しましょうか」
馬番がそう言った。
「そうね。あら、その子は……」
「ああ、馬を捕まえてくれて」
「ロン……といいましたね?」
「は、はい」
初めて話す妃に、ロンは緊張しながら答える。
「話は大体聞きました。浮かない顔をしていますが、大丈夫ですか?」
アクネが、ロンに尋ねる。その顔は優しい。
「はい。でも、私はもう後には引けないのかもしれません……同じ使用人のみんなにも、嫌われてしまって……」
「まあ。どうしたというの?」
「私が高貴の出だと、一緒に仕事も出来ないと……」
今日のことが思い出され、ロンは途端に落ち込んだ。
「そう、敬遠されているのね。でも、あなたは使用人の道を選んだのでしょう? だったら頑張らねば」
「はい。頑張ります」
アクネに励まされ、ロンは顔を上げて頷く。落ち込んでいても仕方がないと思った。
「でも確かに、それでは仕事がやりにくいですね。あまり人を気にせぬ職場があれば良いのですが……」
「大丈夫です、お妃様。私、なんて事はありません」
まだ空元気だが、ロンが言う。
そんなロンの肩を、アクネが優しく撫でた。
「でも、王や前王にとって大事な子は、私にとっても大事ですからね。それに、かつてより王と同じ血が流れているあなたを、疎かに扱うことは出来ませんもの。そうだわ、ねえ」
突然、アクネが馬番を呼んだ。
「はい、お妃様」
「ここでの仕事はありませんか? この子は牧場生まれで扱いも慣れているでしょう」
「それは、一人いれば助かりますが……しかし聞けば、この子が噂の子供ならば、このような所に仕事など……」
馬番が驚いて答える。
だが、慌ててロンが口を開いた。
「いいえ! もしお仕事があるなら、私やります。動物と一緒なら楽しそうだもの。お妃様、私やります」
前向きなロンに、アクネも微笑む。
「そう。では、仕事は彼に聞いてちょうだい。私は人事に言っておきますから」
「ありがとうございます!」
「では、私はこのまま人事に会いに行きますから、馬での散歩はまた今度にするわ。次までに、きちんと馬を調教しておいてね」
「かしこまりました」
そう言って、アクネは去っていった。
「……本当に、ここでの仕事を選ぶのかい? きついぞ」
残された馬番の男が、ロンにそう尋ねる。
「大丈夫。辛くたって構わないわ。だからおじさんも、私のことはただの人として扱って」
ロンが、輝きに満ちた顔をして言った。
「よしきた。俺はデノスだ。じゃあ、こっちへ来な」
心を切り替えるようにそう言って、デノスは小さな馬小屋へと、ロンを連れて行く。
「ここは、前いた馬番の家だ。ここで生活するといい。しばらく掃除もしてないが、ベッドも台所もある。馬は王家の方の馬が数頭いるから、扱いには気をつけるんだよ。他の馬は、他の馬番が面倒を見ている。数頭なら、おまえにも出来るだろう」
「ええ、頑張るわ」
「しかし自ら馬番になるなんて、おまえも変わった子だな」
「そうかしら? 私は嬉しいわ。馬は大好きだもの」
ロンに嘘偽りはなく、本当に楽しそうに笑う。
そんなロンに、デノスも微笑んだ。
「そうかい? それならいいが……食事は隣の馬小屋で、みんなで食べる。他はみんな男どもだから、おまえはここで一人で暮らすといい」
「ありがとう。わかったわ」
「馬の扱いは、徐々に教えていこう。今日の分の世話は、後は食事だけだから」
「じゃあ、馬を見ていっていい?」
「ああ。放牧の時間だから、見ておいで。すぐそこだ」
「わかったわ」
そう言って、ロンは勢い良く小屋を出ていった。
新しい仕事、動物との仕事が出来ることが嬉しかった。