10、封じられた過去
「父上」
「前王様」
すぐに、サーとロンが駆け寄る。
「サー、ロン、ついていてくれたのか……」
「はい。調子はいかがです?」
「……長い夢を見ていた気がする……ロン、起きたらおまえに話があると言ったな。聞いてくれるか」
「は、はい」
「サーも……国に関わることだ」
「……はい」
前王は、ゆっくりと口を開いた。
「ロン。おまえの父親……ザークリーは、私の親友だった男だ……」
「え……?」
ロンもサーも驚いたものの、黙って前王の話に耳を傾ける。
確かに、ザークリーとは、父親の名前である。
「そしてザークリーは、黒の国の王子だった……」
「えっ?」
驚きに後ずさったロンの肩を、サーがとっさに抱いて支えた。
前王は、構わずに話し続ける。
「黒の国……なんと不吉な暗示だろうか……」
その時、大魔女・キキが入ってきた。
「キキ」
「様子を見に来ました。前王、私も同席して構わぬか? 私もこのところ、胸騒ぎを覚えていた」
「良い。では、キキ。これから話すことを記録してくれ」
「かしこまりました」
前王はロンを見つめる。
「ロン。黒の国のことは知っているか?」
「いいえ、何も……ただ、この国を侵略したり、悪いことをしたりする人たちだって……」
「そうだな……ではまず、黒の国のことから話すか」
「前王、あなたは疲れている。私から話そうか」
キキが言った。
「そうだな、頼む」
「では話そう。黒の国……これは伝説であるが、我が魔法国と黒の国は、元は一つの国だったという……しかし数百年前、我が魔法国の王家に二人の王子が生まれた」
まるでおとぎ話でも聞くように、ロンはその話に聞き入っていた。
サーはその知識があるようで、黙ってそれを聞いている。
「やがてその子らが大きくなった時、王は悩んだ末に、兄に国を継がせることにした。しかし弟は嫉妬に狂い、王家を出て一人で国の一角に一国を作り上げた。弟の魔力は、兄よりも遥かに優れていた。そして弟は、王家に反対する親戚を引き連れ、黒の国を作り、弟のその強い魔力だけが増幅された。その魔力は偉大で、物から悪魔のような家臣を作り出し、ある日それが、我が国へなだれ込んできた……」
キキは一呼吸を置き、言葉を続ける。
「略奪、強姦、いくつもの戦が生まれた……しかし我が国も黙ってはいない。なんとか元である国の一角に、彼らを押し込めたのだ。何度も話し合いが行われたものの、和解することは出来なかった。だが、ここ数百年は目立った動きもなく、起こっても国境付近の小さなイザコザだけで、黒の国からは出て来ない。しかし何を企んでいて、いつまた戦が起こるかは、我々の不安の元なのだ」
「その通り……そして十五年ほど前、一人の男が私を訪ねてやってきた。ロン、おまえの父親だ」
キキに代わって、前王が話し始めた。
「知らせを受けて牢に駆けつけると、魔法封じの杖を何本も牢番に突きつけられた無抵抗な男が、すがるような目で私を見つめていた……」
前王の回想――。
「何者だ」
若き日の前王が、牢に捕らえられた男を見て言った。
「あなたが、セシル国王……」
男はまだ青年だった。
「おまえは?」
「私は黒の国の王子、ザークリーと申します」
「黒の国! 本当か?」
「その杖は真実を読み取るはず……私の真意を聞いてください。私は無抵抗でここまでやってきました。どうか願いを聞き入れてほしいのです」
ザークリーと名乗った青年は、そう言って真っ直ぐな目で前王を見つめている。
「……言ってみよ」
「私は、この国の人間になりたいのです」
「なんだって?」
ザークリーの言葉に、一同は驚いた。
「私には妻がいます。正式に結婚したわけではありませんが、妻はこの国の女……そして、私の子をすでに身籠っています」
「……続けてくれ」
「妻は黒の国のそばに住む、小さな農業を営む天涯孤独の女性です。私は……黒の国の器ではありません。両国には平和共存がすべてだと思っている……だが事実、私は黒の国の王子であり、この魔法国との交流や、黒の国から出ることさえも許されませんでした。しかし、私は妻を愛しているのです。私は国を捨てます。だからどうか、私を受け入れる場所をください。どうか……」
それを聞いて、前王は顔をしかめた。
「では、黒の国はどうなる? 王子であるおまえがいなくなれば、国は滅びてしまう」
「滅びるものなら、滅びたほうが良いのです……しかし残念ながら、私には双子の兄がいます。国は兄が継ぐでしょう。私は国王になる器でもなければ、黒の国に愛着はありません」
「本気で言っているのか? 自分の祖国を……」
「妻に出会って、私は変わった……私が今望むことは、妻との幸せな暮らしだけ。私が今ここにいることも、すぐに国の連中はかぎつけるでしょう。だから、もう元には戻れないのです。けじめはつけて参ります。だからどうか、私の存在を認めてください。身分などいりません。誰とも会わない僻地で結構です。だからどうか……」
懇願するザークリーの心が、前王に痛いほど訴えかける。
「……ザークリー、と言ったか。おまえは、我が国と黒の国を結ぶかけ橋になるかもしれない……それに、我が国の女性を黒の王子が愛するとは素晴らしいことだ。黒の国には近いが、国境付近は民家が集合していない。その女が住むという土地のそばに、広い土地を与えよう。そこで牧場など農業など好きに使うが良い。私は我が国の安全のために、おまえと同盟を結びたい」
「同盟を……はい、喜んで」
「では同盟の印に、これを差し上げよう」
そう言うと、前王が首からかけていたペンダントをザークリーに渡した。それは、今ロンがつけているペンダントであった。
「それは王家に代々伝わる、守りのペンダントだ」
「そんな大事な物を……では、私からはこれを差し上げます。これは我が国に代々伝わる、王家の証の指輪です」
その指輪は、サーがつけているものである。
ペンダントと指輪は、元は同じ国の物であった。そして王がペンダントを、王妃が指輪を持つという伝統があったものの、かつて二人の王子が生まれた時、その時の王が兄にペンダントを、弟に指輪を渡したのである。
黒の国でも代々の王が持っていたものだが、ロンの父親が持っていたのは、時期国王がザークリーの双子の兄であることが決まり、ザークリーが反乱を起こさないために与えたと言われている。
結果的には、反乱の目的ではないものの敵国に寝返ったザークリーであったが、ザークリーは愛する妻のために、国を捨てることなど造作もなかった。
「では、いつか国が統一され、このペンダントと指輪が一つになった時が来たらば、素晴らしい幸運が国を潤すように祈りを吹き込もう」
「私も……」
前王とザークリーは、ともに二つの品に祈りの念を封じ込めた。
二つのお守りは、二人の祈りによって、また威力を増すこととなったのだ。
「セシル王。この二つの守りは、もはや揺るぎない幸運を運命とするでしょう。もし私の妻が娘を産んだならば……」
「良い提案だ。私には二つになる王子がいる。もしそなたに娘が生まれたら、その子を私の王子の妃に迎えよう。ああ、今から待ち遠しいぞ。この国が、やっと不安から解放されるのだ」
「私も努力いたします」
二人の男は敵国同士であったことさえ忘れ、昔からの親友のように話していた。それは、前王の信頼と、ザークリーの真実によってもたらされた友情であった。
それからザークリーは、与えられた領地に妻と移り住む。
前王からの恩恵を受けたザークリーは、王家のバリアを領地に張り、孤立しながらも幸せな生活を送っていた。しかし、二人の間にやっとロンが生まれた頃、黒の国の手が、遂にザークリーを見つけるために乗り出したのである。
ある日、ザークリーのもとに王家からの使者がやってきた。
使者が持って来た手紙には、黒の者がしらみつぶしにザークリーを探しに、魔法国へなだれ込んできたことが書かれている。
ザークリーは、すぐに使者に手紙を持たせた。
「私は生命をかけて、この国とあなたのため、家族のために、黒の国と戦います。しかし、私だけの力ではどうしようもない。ぜひとも国王陛下の力をお借りしたい」
その手紙は、すぐに魔法国の城に届いたが、前王の元に知らせが届くまでには時間がかかった。国のイザコザを嫌う大臣たちが、前王に知らせずに対処したからである。
家臣たちは、ザークリーに力を貸すことは無かった。国が分かれて数百年、魔法国はどんどん魔力を失ったが、黒の国の魔力は衰えることがなかったのを、家臣たちは知っていたからである。
家臣たちは戦うのではなく、国の保守に回ることを決定した。すなわち、ザークリーを捨てざるを得なかったのである。
ちょうどその時、バリアを破って、黒の者がザークリーの領地になだれ込んできた。
ザークリーは妻と生まれたばかりのロンを置いて、黒の者の前に歩み出る。
「止まれ! おまえたちが探しているザークリー、私はここだ!」
ザークリーがそう叫ぶと、一人の男が前に出た。それは、ザークリーと同じ顔をした、双子の兄・テオーであった。
「弟よ。随分探したぞ」
「兄上、許してくれとは言いません。ただ私には愛する者が出来ました。どうか私のことは、死んだものとしてほしい……」
「それは出来ん。おまえは誇り高き黒の王子だ。生易しい魔法国の女など捨て、戻って来い。今なら許してやる」
同じ顔をしても、兄・テオーには、ザークリーのような優しさは微塵もないと見受けられる。
「嫌です」
きっぱりと、ザークリーがそう言った。
「なんだと?」
「……もう止めませんか? 元は一つの国でした。魔法国の国王は立派な方です。我々が祖先の過ちを謝り、更正すれば、きっと今までの黒の歴史は許してくださる……我々は降伏し、魔法国の下で静かに暮らしましょう」
「馬鹿を言え! おまえはいつからそんな生易しい人間になったのだ。おまえは黒の人間なのだぞ!」
テオーの顔色が、怒りにみるみる変わっていくのがわかる。
だがザークリーも、黙ってはいない。
「どうしてもわかっていただけないのならば、国にお戻りください。私は命をかけて、兄上と戦う」
「……いい心かけだ、ザークリー。ならば私も戦おう」
そう言うと、テオーが手をかざし、先制攻撃を始めた。強い魔法による念力である。
ザークリーはテオーの突然の攻撃に、すぐに反撃を仕掛ける。そしてザークリーは、すぐに家臣を魔力で封じ込めた。
黒の国の家臣は、ほとんどが魔法で作り出した本来は存在しないものであったため、ザークリーはその家臣たちを元の姿に戻したのである。
ザークリーとテオーの力は五分五分であった。
「おのれ、ザークリー! 我が国の戦力を……」
「黒の国の戦力など、いていないものだ。無いに等しい……私の相手は、兄上ただ一人!」
そう言って、ザークリーはテオーに向けて本気の攻撃を仕掛けた。
「ザークリー、何を本気になっているのだ? おまえが慕う魔法国の国王は、国全体にバリアーをして、保守的な行動に出ている。おまえは捨てられたのだぞ?」
「……たとえそうでも、私は陛下を責める気持ちはない。陛下は、すでに黒の人間である私を受け入れ、領地までくださった心広き方なのだ」
次の瞬間、ザークリーとテオーは同時期に攻撃を仕掛けていた。
しかし、死ぬ覚悟だったザークリーのほうが、一歩優勢だった。
テオーはそのまま、黒の国まで追い込まれる。ザークリーもそのままテオーを制圧し、黒の国まで向かった。
その頃、ザークリーの妻・ミリアは、ザークリーの後を追いかけていた。
黒の国に着いたザークリーは、自らの剣を黒の国の入口である門の前へと突き刺す。
「平和を望まないのならば、永遠にそこにいるが良い。私はもう、黒の国の人間ではない!」
ザークリーがそう言った。だが、もはや力など残っていない。
「何を言うか。おまえごときの力で、この国を封じ込めることなど出来るものか」
門の中でテオーが反論する。だが、そうは言っても、今のザークリーの力には敵わない。
「兄上……今の私に怖いものはありません。ただ一つ、妻と娘を残すのが気がかりです……ですが、私を受け入れてくれた魔法国を守ることは、妻と娘を守ること。そのためには、私は喜んで命を捨てましょう」
「馬鹿な! 愛や優しさなど、魔力を弱くする。魔法国が落ちぶれたのはそれだ。そこまで言うのならば良い……おまえなど、黒の国の者ではないわ!」
テオーはそう言うと同時に、両手を高く上げる。すると、凄まじい嵐のような風が、ザークリーを貫いた。
「あなた!」
そこへ、ザークリーの妻・ミリアが、見かねて飛び出た。
「ミリア!」
驚いたザークリーは、ミリアの元に駆けつけ抱きしめる。だが、もはや体は傷だらけである。
「ミリア、すまない……力を貸してくれ……」
立っているのがやっとの状態で、ザークリーはミリアを見つめる。
ミリアは何度も頷いた。
「どうぞ、あなた。私の力を戦いに……」
「いや。この子を……ロンを守ってくれ。おまえたちを死なせはしない」
「ええ、あなた。せめてこの子だけでも、必ず守ります」
「ミリア……愛しているよ」
ザークリーは、前王と交換したペンダントをロンの首にかけた。
「あなた……」
「ミリア。ロンを頼むぞ」
「あなた!」
二人はロンを抱きしめた。
そしてザークリーは門の前に突き刺した剣の元に戻り、全身全霊をかける。
「この子の未来に、平和を!」
ザークリーがそう言うと、テオーが巻き起こした嵐は一瞬に晴れ、穏やかな日差しが辺りを包んだ。
あまりの恐怖に目を閉じたミリアは、ロンを懸命に抱きしめながら、そっと目を開いた。しかし辺りをいくら見回しても、ザークリーの姿はもはや形さえ残ってはいない。
黒の国の門は閉じられ、その向こうは穏やかだ。もはやテオーの姿も何もない。ザークリーは、黒の国を封印したのである。
しかし、ザークリー一人の封印は完全ではない。すぐに破られる可能性があった。黒の国の中では、今もなお不気味な風が吹いているようである。
ミリアはロンを抱きしめると、ゆっくりとその場を立ち去っていった。
しかし、ミリアは前王から与えられた広大な敷地ではなく、幼い頃から住んでいた小さな家へと戻っていった。そこは黒の国に近いものの、魔法国の中心からも遠く、人さえ寄りつかない穏やかな場所である。
前王はすべてが終わってから知らせを受け、ザークリーの死を知った。前王は知らなかった事実に後悔し、その時の家臣はすぐに解雇された。