夜をつらぬく
紡がアパートの一室に帰ると、真っ暗な廊下が待ち受けていた。その先のリビングにも電気はついていないようで、テレビのニュース番組の音がうっすらと聞こえてくるのみだった。紡は小さなため息をついてから「ただいま!」と叫んでリビングに入ると、案の定ベッドの上に毛布に包まれたかたまりが転がっていて、それが月明かりに照らされてうっすらと青白く光っていた。
「ほら起きてよ、累ちゃん」
紡は鞄を置いて毛布を剥ぐ。目鼻立ちの整った顔をくしゃくしゃに歪めてうずくまっている累の姿がそこにはあった。また昨日と同じパーカーとジャージのズボンを着ていることに気がついて紡は頭を抱えた。累はゆっくりと目を開くと恐ろしい勢いで体を起こし、
「紡……?こんな時間まで何してたの?まさか男じゃないよね?ねぇ?」
と声を荒げた。
「まだ七時だし。学校行ってきただけだよ」
紡は呆れ返る。
「累ちゃんこそ何してたの?今日バイト行くって言ってたじゃん」
累はすらりと長い足を投げ出して再びベッドに倒れ込んだ。
「面倒だったから行かなかった」
「……もう!」
紡は累の横たわるベッドに腰掛けた。頭には累と同居を始めた時のことがよぎっていた。二年前の春、大学の新入生歓迎会で半ば無理やり参加させられた光線銃クラブの体験で出会った先輩。ライフルを撃つその真剣な横顔に惹かれてしまって、次第に親しくなって家賃の節約になるからと同じアパートに住むことを決めた。紡は朝早くに出ることが多い累のために毎朝弁当を作り、かたや累はフィールドワークで家を空けることの多い紡のために掃除や買い出しを担当して、休日には二人で買い物に出かけたり射撃をしたり……。
「どうしてこんな引きこもりになっちゃったの……」
紡は頭を抱えてぼそりとつぶやいた。つきっぱなしのテレビでは明日の天気が終わり、アメリカでの地球外知的生命体の侵攻の様子が報道され始めた。
「──××××州では大型攻撃機二機、小型攻撃機十機が投下され、十人が軽傷、八十代の女性一人が腰の骨を折る重傷だということです」
「最近地球外知的生命体の侵攻がますます勢いを増しています。今日は民間の対地球外生命戦闘組織、対地球外生命体防衛団会長の時野さんにお越しいただきました」
「そうですね、一年前に地球外知的生命体の登場した時とは比較にならない件数になってきていまして、国の軍隊ではどうしても対処が間に合っていないということが言えますね。わたくしどもの組織でも宇宙人に対する研究など行っておりますが、それだけではやはり根本的な対処にはなっていません。将来的には地球周辺に停泊する彼らの船を破ることが必要になってきますので、宇宙空間における戦闘が必須に──」
ぱちりとテレビの電源が落ちた。紡が目をやると累がリモコンを握りしめてテレビから顔を背けていた。
「宇宙人の話は聞きたくない」
累は搾り出すようなか細い声でそう言った。
「……そうだよね」
紡はかすかに心が痛んだ。累は元々宇宙飛行士を志していた。あの時、宇宙飛行士はポピュラーな職業になりつつあって、累は学校で宇宙開発を専攻しながら外部の施設で訓練を受け、ようやく全ての過程を終えて宇宙飛行士になろうというところで襲ってきたのが、地球外知的生命体。俗に宇宙人と呼ばれる彼らは地球に数度メッセージを発した後、自らは姿を見せず小さなレーザー照射機を投下することで地球に侵攻を始めた。安全を保証するため全ての宇宙飛行士は地球に帰還し、有人の宇宙開発は中止、もちろん資格を得た新たな宇宙飛行士が旅立つことも許されなかった。その後数ヶ月の調査で、宇宙人が地球の周辺に停泊させている宇宙船には地球の軍事力や科学力では対処することができず、船が存在する限り人類が宇宙に行くことは多大な危険を伴うと発表された。累が引きこもり、紡に対して異様な執着を見せ始めたのもそれからだと紡はわかっていた。
累はスマートフォンを至近距離で眺めながら微動だにしない。
「ねえ累ちゃん」
紡は累の乱れた短い黒髪に触れた。
「バイト……さ、隣町の光線銃射撃場はどうかな。累ちゃん、光線銃まだ好きでしょ」
累は何も答えない。長い沈黙が訪れた。弁当箱を洗おうかな、と思って紡は立ち上がる。その瞬間、累の骨ばった手が紡の手首をとらえた。
「いやだよ。あの射撃場土日しか開いてないもん……紡と過ごす時間が減るのは嫌。1秒でも。私には紡しかいないんだから。紡がいなくちゃ死ぬんだから」
累は震えた声でそう言いながら、紡を一瞥もしない。そんな累の様子を見て、紡はどうしようもない苛立ちを感じて思わず呟いた。
「でも……。でも私はちゃんと累ちゃんに働いてほしいよ」
累は目を見開いた。
「学校も辞めちゃって、ずっと薄暗い部屋でテレビかネットばっかり見て、朝ごはんと晩ごはんも私が作って。早く元気に戻って欲しかったのに、ずっとこのままじゃん!」
こぶしを握り込んで体を震わせる紡に、累は体を起こしてつぶやく。
「分かんないよ、分かるわけないよ、紡はちゃんとやりたい勉強できてるじゃん……!」
その瞬間、紡は頭に血が上るのを感じた。
「ねえ累ちゃん……!」
その時だった。窓の外からかすかに奇妙なサイレンが聞こえてきた。紡と累のスマートフォンからもけたたましい通知の音が鳴る。古いテレビの電源がパチンと音を立てて点き、赤い画面が映し出された。警報の文字が点滅して、人工音声が情報を読み上げる。
「──地球外知的生命体により、攻撃用レーザー照射機が投下されました。該当地域の方は即座にシェルターなどに移動し、命を守る行動をしてください。地球外知的生命体により、攻撃用レーザー照射機が──」
今まで日本に宇宙人が来たことなんてなかったのに。紡は呆然とした。
「早く逃げないと」
紡は呟く。
「何やってるの!行くよ」
ベッドから動きもしない累を引きずって、紡は玄関を飛び出そうとする。
「ちょっと待って」
うめくように声を上げた累の腕を紡は仕方なく放し、
「先に出とくからね!」
と外に出た。しばらく待つとやっと累が玄関から顔を出した。紡は再び累の腕を掴んで走り出した。
「シェルターにもう空きがない!?」
紡は叫んだ。
「見ての通りだよ。収容人数が少なすぎるんだ!向こうの中学校のシェルターも、市庁舎のやつも満杯だと連絡が来ている!」
大学のシェルターの前で誘導をしていた中年の管理人は必死に訴えた。そうこうしている間に次から次へと人が押し寄せる。
「累ちゃん、山の方にある体育館に行こう。あそこに地下室があったはず!」
紡は累の手を引いて人混みをかき分けると、大学の門を出て街灯がまばらに灯る暗い夜の坂道を駆け出した。
もう数分は走っただろうか。紡が振り返ると、二人の後には同じように体育館を目指す人が続いていた。
「累ちゃん、もうすぐだよ!体育館!」
紡は月明かりに照らされて浮かび上がった体育館の姿を見とめて叫ぶ。
「後は地下室に入れば……!」
紡は心なしかほっとした。しかしその瞬間、山の麓の方からざわめきと衝撃音が聞こえてきた。
「何!?」
振り返って見てみれば、小さな白い球体状の物体が空を埋め尽くし、そこからサーチライトのような朱色の光線が飛び出し、交錯していた。
「宇宙人の攻撃機だ!!早く逃げろー!!」
坂を駆け上がってくる青年が叫ぶ。皆が体育館を目指して走っていた。
「累ちゃん……」
紡が累を見ると、累は目を見開いて震えていた。
「こんなに近くにいるなんて……しかもあの数!」
「累ちゃん、早く地下室に逃げよう!体育館に入っちゃえばもう……うっ!」
紡の足首を切り裂くように熱と痛みが襲った。靴下が溶けてわずかな黒煙をあげ、破かれた皮膚から血が流れ出している。紡はあまりの痛みに思わずうずくまる。朱色の光線が眩しく紡と累を照らした。見上げるとそこには白い球体が浮遊していて、瞳孔のようなその照射口を紡に向け、次なる光線の発射に向け朱色の光を溜めていた。
「紡!」
累は紡の前に立って大きな細いケースを掲げた。と同時に攻撃機が光線を照射する。光線はケースに当たってそれを溶かしてゆく。照射が終わると地面に黒いプラスチックの滴がぼたりと落ちた。紡はその時初めて、累が光線銃──玄関でケースごと埃をかぶっていたあの光線銃を持ってきていたことに気がついた。
「累ちゃん……」
紡は驚いて思わず声を上げた。
「肩貸すよ!」
累の声に紡はやっとのことで立ち上がると、累の首に腕を絡めた。
「走れる?」
「うん」
紡が頷くと、累は足元をふらつかせながらも駆け出した。
やっとのことで体育館の入り口にたどり着いた時には、攻撃機はもうかなり近くまで迫っていた。
「累ちゃんは地下室に行って。私は救急ボックスを探しに2階の救護室に行くから」
紡は閉められた体育館の扉を開ける。ほとんどの人が避難した後で扉はぴっちりと閉められていたが鍵はかかっていなかった。累は溶けた光線銃ケースを抱き抱えてしばらく目を伏せた後、
「私も一緒に救護室に行く」
と告げた。
「どうして……地下室にいた方が安全だし、今の累ちゃんだったらもう体力は限界なんじゃ」
紡がそう言うと、累は紡をまっすぐ見つめた。
「言ったよね、紡のそばを1秒でも離れたくないんだって」
累はそう言ってくすりと笑って付け足した。
「それと、私の体力を舐めないでよ」
救護室の鍵も幸いなことに開いていた。紡は壁をまさぐって電気をつける。救護ボックスは机の上に置かれていた。紡は靴下を脱いでそこにあった蛇口で傷口を洗い、救急ボックスの中にあった軟膏を塗ってガーゼで覆った。累は窓のそばにあった簡易的なベッドに腰掛け、光線銃ケースを開いて中身を広げていた。
「……うん、バッテリーも充電すれば使えそう。ここコンセントあるかな?」
累はそう言いつつベッドの下にコンセントを見つけたようで、コードを挿してタンク型の大容量バッテリーに繋いで今度はライフル本体を組み立て始めた。
紡はそんな累と、大量の小型攻撃機が空を埋め尽くしていく窓の向こうの様子を呆気に取られて見ていた。
バッテリーが充電完了のアラームを鳴らした。
「累ちゃん、撃つの?もしかして」
「そうだよ」
累はバッテリーをライフルにセットしながら答える。
「紡を怪我させたのが許せなくなっちゃって」
累はそう言って、光線銃の出力を最大にする。鍵を開けて窓を5センチ程度開いて、累はライフルの先をその隙間に押し込んでスコープを覗く。夜風がふわりと吹き込んで、累の乱れた黒髪を揺らした。
カチリ。
引き金を引く音がして、窓の向こうに無音で光線が打ち出された。それは体育館の駐車場の上を浮遊するいくつもの攻撃機の一つに当たって、それが遠くで黒煙を上げながら落ちるのが見えた。爆発音が遠雷のように聞こえた。紡は息を呑んだ。
「ねえ紡!」
累が声を上げた。
「あの四角いやつって何だろう?」
「四角いやつ?」
紡が窓に駆け寄ってみると、確かに白い球体の合間に灰色の大きな箱のような物体がいくつか動いているのが見えた。
「あ……あれは中型攻撃機、のはず!」
ニュースで見たイラストを思い出す。そういえば中型と大型が現れたのはここ数ヶ月のことだった。退学して以降宇宙人の情報を耳に入れなかった累が知らないのも無理はない。
「中型ね。次はあいつを……!」
累は再びスコープを覗く。白い光線が夜空に閃いて、中型攻撃機の上部に当たる、しかし光線は反射するのみで中型攻撃機は何事もなかったかのように照射口をぐるりと回して浮遊していた…
「照射口に当てないと倒せないんだ」
累は悔しそうに声を上げる。その時、空から轟音が聞こえた。
「何?」
紡が空を見上げると、そこには一機のヘリコプターが浮かんでいた。月明かりに照らされて機体の文字がきらめく。
「日本、対地球外生命体防衛団、JAEDG……累ちゃん、民間の戦闘部隊だ!助けが来たよ!」
累はちらりとヘリコプターを見やって表情を緩めた。と同時に、外の小型機が一斉に照射口をヘリコプターに向けた。
「まずい」
累は立て続けに二発の光線を放った。小型機に吸い込まれ、小さな爆発が二つ起こる。しかし残った小型機はなおもヘリコプターを狙っている。累は再び小型機に狙いをつけた。その時。
「累ちゃん、あれ……」
紡はヘリコプターの向こうに一際大きな箱型のものが降りてくるのを見た。
「大型だよ!確か、小型機を統率してる!」
「じゃあ、あれを潰せば……!」
累がスコープを覗いたその時、累の手元から電子音が鳴った。
「バッテリーが少なくなってる」
紡はバッテリーの側面に浮かび上がった表示を見て言う。
「あと一発分しかない!」
「……一発で落とさなきゃ」
累は唇を引き結んだ。スコープを覗いて照準を合わせる。紡はただそんな累を見つめていた。二年前に見たあの格好いい先輩の面影とは随分変わった。今の累は、あの時よりもはるかに強い憂いと気迫をはらんでいた。累は大型攻撃機をまっすぐ見据えて、引き金に指をかける。
夜の暗闇に光線がまっすぐ伸びた。それは大型攻撃機の照射口を撃ち抜いて爆発に変わった。大きな四角い物体のシルエットは小型機の波の中に沈んで、遠くで地面に落ちる衝撃音が微かに聞こえた。
「……やった?」
累は確かめるように呟いた。
「やったよ!!」
紡は飛び上がって累の手を握りしめた。累は驚いたように目を見開いて、それから声を上げて笑い出した。窓の外では統率を失った小型機が電源が切れるように照射口を閉じて次から次へ地面に転がるように落ちていた。
ヘリコプターは駐車場に無事着陸していた。ヘリコプターの中から紺色のつなぎを着た男たちがぱらぱらと外へ走り出て、まだ浮いていた小型機や中型機を光線銃のショットガンで撃ち落としていく。その様子を紡と累は何も言わずに見つめた。
突然、救護室のドアががらりと開いた。見てみると紺色のつなぎを着た壮年の男性が、若い部下を二、三人引き連れて立っていた。
「突然申し訳ありませんね。……あなたですか?大型機を撃ち落としたのは」
男性は累に歩み寄ると胸ポケットから名刺入れを取り出して言った。
「対宇宙人防衛団、支部長の巌本と申します」
翌日。昨日の騒動の後処理によって大学が休みになった紡は、家で一人でテレビを見ていた。珍しい、というより異常なことに、紡が朝起きた時には累は家にいなかった。そんなことで一抹の不安を感じながら、紡はベッドに腰掛け、バラエティー番組をぼんやりと眺めて気を紛らわそうとしていた。番組が終わってワイドショーが始まった。話題は案の定昨日の宇宙人襲来についてだ。これまで世界中で起こった中でも大きめの規模の襲撃だとか、シェルターの数が少ないだとか。それを聞いていると累がどこに行ったのかと不安になってきて、紡はチャンネルと変えようかと一瞬悩んだ。
「なんでスマホ置いてっちゃうかなあ……」
くしゃくしゃになったシーツの皺に埋もれるようにして累のスマホが置かれている。それに手を伸ばして電源をつけてみれば、いつの間にかもう二時になっていた。紡は小さく息をついた。
ガチャリ、と鍵の開く音がして、ドアの軋む高い音が聞こえた。
「累ちゃん!」
紡は立ち上がって玄関に飛び出した。そこにはカッターシャツと細身のスラックスを纏った累が、光線銃の細長いケースを下げて真昼の日光を浴びて立っていた。
「どこ行ってたの?心配しちゃったよ!何も言ってくれないし、スマホも置いて行っちゃうんだから……」
「ごめん。……スマホも忘れていってたっけ」
累はしまった、というように頭に手をやった。それから急に真剣な表情になって紡の目を見つめた。
「紡」
累はそう名前を呼んで、少し顔を上気させて俯いた。
「隣町にある対地球外知的生命体防衛団の支部で、狙撃手として働くことになった」
紡は目を見開いた。
「仕事は週六で、朝の七時から夕方の六時まで。だから……」
累はさらに俯く。紡は累に駆け寄って、その痩せた体を抱きしめた。太陽と埃っぽい部屋の香りがわずかにした。累は光線銃のケースを持ったまま紡を抱き寄せて、照れくさそうに言う。
「お弁当、また私の分も作ってほしい」
紡は大きく頷いた。
「もちろん!」




