第九話
──そこは、真っ暗だった。
カーテンを閉め切り、電気も点けない。
そんな中で、一人、膝を抱えていた。
インターホンが鳴り、「アカネ」と名前を呼ぶ男の声がする。
……俺の、声?
ああ、そうか。また俺は、アカネの記憶を見ているのか──
ハヤトに会うのが、怖かった。
また、傷つけてしまうんじゃないかって。
ハヤトは何にも悪くない。
なのに、あたし以上に傷ついた。
それでも今日もハヤトは来る。
会いたくない訳じゃない。
でも、合わせる顔がない……
ああ、あたしは……どうしたら……
そんなことを考えていたとき、突然、背筋が冷えた。
なにかが、そこに居るような気がして、振り返る。
……そこには、化け物がいた。
驚いて、叫びそうになったけど、化け物の手が塞ぐ。
「はぁ~……どいつもこいつもコレだ」
異様に長い人差し指を、自分の口元に立てる化け物。
静かにしろ、そう言いたいみたい。
逆らえるわけない。
あたしは震えながら頷いた。
「オレの名はヴァイス。
お前ら人間にとっては、悪魔って言えば、分かるか?」
──そしてヴァイスは、アカネに死神になるように誘う。
最初は怯えていたアカネも、死神の話に食いついていた──
「ねえ、その死神ってさ、どのくらい強くなれる?」
「人間じゃ、誰もお前には敵わなくなるな」
「……分かった、なら死神になる。あたしを、死神にして」
「いいね! 話が早いと助かる」
──そして、アカネは死神となる──
分かる。
想像していたよりも、遥かに大きな力が、あたしの身に宿ったことが。
もう、誰にも踏みにじられない。
許せない奴だって、この力なら……殺すことだって、出来る。
あたしには、真っ先に殺したい奴がいた。
……それは、『あたし』だ。
何もできなかった、弱い自分が許せない。
あたしは鏡の前に立つ。
傷口に貼っていたガーゼを剥がす。まだ痕は残っている。
死神の力なら、このくらいは治せるみたい。だけど、これは残す。
これはあたしの、罪の証だから。
無造作に切られた髪にバリカンを入れた。
あのヤローの手が入ったままとか、気持ち悪い。
……そしたら、反対側が長いのも気になって、切った。
でも、あんまり短くして、ハヤトに引かれたくもないなぁ。
最後に、髪を染めた。
これで、弱いあたしを塗りつぶす。
……受け入れて、くれるかな。
変わったアタシの姿を見つめて、そんな不安が過った。
……ううん。そうじゃない。こうしないと、アタシはハヤトの前に立てない。
受け入れられるかどうかじゃなくて、これはアタシの、覚悟のためだから。
弱い『あたし』は殺した。
これから『アタシ』が、ハヤトの傍で……
「見違えたな。小汚い犬みたいだったが、今はいい感じじゃねえか」
アタシの後ろから覗き込んできて、そんなことを言うヴァイス。
こいつに言われたって嬉しくないし、一言余計。
「まだ居たの?」
不快感を籠めて、低めに返す。
「一つ言い忘れたことがあってな。そのテレビって奴つけてくれよ」
なんで悪魔がテレビなんか知ってんの? とは思ったけど、早く帰らせたかったから、言われた通りにする。
昼だから、ワイドショーしかやってない。
しかも内容は、『行方不明者が出てる』ってだけ。
毎日毎日、変わらない内容。
そんなもの見て、なにが楽しいんだか……
「この行方不明ってのはな、『捕食者』が起こしてる。お前ら『死神』のエサだ」
「……は?」
「人間の恐怖を喰らう連中だ。
『狭間の世界』に連れ込まれると、人間は自力じゃ出られない。
気をつけろよ、お前の身近な奴も狙われるかもな。
死神には勝てないし、怖がるだろうから、匂いでもつけてやるといい」
「それを最初に……!」
文句を言ってやろうとしたけど、もうその時には悪魔の姿はなかった。
アタシは行き場のない怒りを、床を蹴ってぶつける。
「……いい、やってやる。最初から、そのつもりだったから」
ハヤトを護るためにこの力を手に入れたんだ。
戦わなきゃいけない奴が増えただけ。
アタシの全部を、ハヤトに使えばいいだけなんだから。
*
瞼を上げると、見知った天井。
俺の部屋だ。
朦朧としながら、無意識に帰ってきていた……のか?
少し痛む頭を抱えながら、体を起こす。
そして、夢で見たアカネの記憶を思い出して、胸を握りしめる。
「アカネが死神になったのは……俺の、せい……」
……俺が、弱かったから。
あの時、俺が守れていたら、変わったのか?
そんな考えが、堂々巡りを始める。
そんなとき、綾が部屋に入ってきた。
綾は俺の顔を見るなり、一目散に駆け寄ってきて、抱きついてくる。
「良かった、気が付いたんだ……
家の前で倒れてて、心配したんだよ?」
「そっか……ごめん」
ふと、綾がコンビニの袋を手にしていることに気が付く。
「どうしたんだよ、それ」
「これ……薬とか、冷えるやつとか……どうしたらいいか、分かんなくて、色々」
広げられた袋の中には、他にも食料が色々入っていた。
「お腹、空いてない?」
綾はおにぎりを取り出して、そう問いかけてくる。
……外へ出ることを、怖がっていたのに。
俺は、お前を襲いかけたのに……
「ごめん、綾。今朝のこと……俺、どうかしてた」
「ううん、わたしも迷惑かけてばっかりかけたから、ごめんね」
そう言って、笑顔を絞り出す綾は、力なく倒れた。
体は震えて、顔は血の気が引いて、青ざめている。
元々碌に食事もできていないのに、その上、勇気を振り絞って一人で家の外に出たんだ。
相当、無理をしたに違いない。
……俺、守られてばっかりだ。こんなに弱ってる、綾にまで……
俺は、倒れた綾を抱き寄せる。
「ありがとう、綾……今度は、俺の番だ」
「えっ?」
決めた。
アカネが、俺に命を懸けてくれた意味……この力で、成すべきことを。
俺が綾のために、出来ること。
「俺が必ず、お前を護る。もう、怖い思いはさせないから」
「……うん」
綾は、俺の手に自分の手を添えて、きゅっと掴む。
そして、嬉しそうに、微笑んだ。