第五話
最後の一線だけは、越えないようにしていた。
あたしのことはいい。
もともと、そんなに学校に馴染めてなかった。
──これは、なんだ? アカネの、記憶……?──
あいつは言った「お前が来なければ、手を出さない」って。
なのに、それを破った。
あいつを止める。
これ以上、野放しには出来ない。
放っておけば、あいつはどんどんやり方が過激になっていく。
そして、ハヤトはきっと、なんでもなさそうに振舞うんだ。あたしの前では。
あたしに、心配させたくないから。
そんなの嫌だ。
ただ傷ついていくハヤトに、あたしは耐えられない。
これは、あたしのエゴだ。
ハヤトのため、なんて綺麗な理由じゃない。
あたしが嫌だから。ただ、それだけ。
あいつの居そうな所は分かってる。あとは、『コレ』で……
──そう言って、アカネはパーカーの中にある何かを握りしめた──
……ハヤト、ちゃんと帰ったかな。
少しだけ、心配になって、決意が揺らぎそうになる。
……大丈夫、ハヤトはきっと帰ってる。
だから、アタシはあの野郎を始末する。
明日から、ハヤトは平穏に暮らせる。それだけで、充分。
近くの繁華街。
そこにあるゲーセンに、アイツはよく来るらしい。
……来た。
殺してやる。
もう、お前なんかに怯えるあたしじゃない。
今の、あたしは……!
──加津を見つけたアカネは、ポケットから取り出した『何か』を握りしめ、奴に迫ろうとする。──
「アカネッ!!!!!!」
アタシの名前を呼ぶ声。
それを聞いた途端、あたしの頭の中は真っ白になった。
なんで? どうして居るの? いつから?
次々浮かんで来る疑問。
それを全部押しのけて、気づいた事実に、アタシは戦慄する。
『今日は、『匂い』をつけてない……!』
『気配』がした。
居る……『ヤツ』が。
ソレは、ハヤトの背後に迫っていて……
「逃げて!」
無駄だと分かっていても、声を上げずにはいられなかった。
もうそこにハヤトの姿はない。
──アカネは、すぐさま手にした『なにか』で、自らの胸を突き刺す──
「骸装!」
──アカネが、聞いたことのない単語を叫ぶと同時、目の前の空間がガラスのように割れた。
そして、朱い世界へと飛び込み、地に降り立つ。
先ほど居た繁華街と、『よく似た場所』に。
そこで、アカネは見た。
尻尾の針から血を滴らせる、虫型の『捕食者』。
それと、その下に倒れた男の……『俺』の姿を──
「ハヤトッ!!」
頭に血が上っていくのが分かる。
沸騰して、湧き上がるように。
「てめぇッ!!」
──アカネは飛び掛かる。
背中に組み付いて、不愉快な羽音を響かせる羽を、もぎ取る。
地に落ちた『虫』は、体をうねらせて、アカネを振り落とす。
それから、『虫』が反撃として刺し殺そうとする尻尾の針を掴み、立ち上がって『虫』を背負い投げる。
そして、『虫』の尻尾から針を引きちぎり、胴に飛び乗った。
すると、獣のように雄叫びをあげながら、手にした針で、何度も何度も、『虫』を突き刺した。
『虫』が完全に動かなくなる時まで……──
……どうしよう、どうしたらいい?
──『虫』を殺したアカネは、俺の傍へ駆け寄った。
出血で、体の周りは水たまりのようになっていた。
瞳孔は開ききり、息をしている様子もない──
……現実逃避のしようもない。
誰が見たって、これは死んでる。
思ったよりも、頭が冷えてて、自分でも驚いてる。
もっと、取り乱すかと思ったのに……
「……ああ……ああ……」
取り乱せれば、狂えれば……楽だったのに。
なまじ頭が冷えてるせいで、『理解』してしまう。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
違う、違う、違う、違う!!!!!!!!!!!
こんなことのために、力を手にしたんじゃないのに……!
分かってた。奴らが、ハヤトを狙うかもしれないってこと。
誰よりも、あたしの近くに居て、もっとも狙われる人。
あたしが、ハヤトを護ることを怠った。
あたしが、自分の感情を優先したせいで!
あたしが、もっと早く、決断をしていれば!
……ハヤトから離れたから……!
どう償えばいい……?
ハヤトが加津に目をつけられたのも、『虫』に狙われたのも、死んでしまったのも!
全部、全部! あたしのせいだ!
「あたしなんか……居なければ……」
……ああ。
そうだ、あたしが居なくなればいいんだ。
──アカネは、倒れた俺の体を抱えて、顔を撫でる──
「ごめんね、ハヤト。巻き込んじゃって……今、助けるから」
──そして、自分の胸に爪を立て、その手を中に押し込んでいく。
苦悶の声を上げながらも、手を止めることはなく……
自らの心臓を、取り出して……引き抜いた。
それを、アカネは俺の空洞になった胸に突っ込む。
すると、アカネの心臓は俺の体と結びついて……鼓動し、脈打ち始める。
驚くべきことに、広がっていた胸の穴も次第に埋まっていく──
「良かった……これで、ハヤトは……」
──アカネが安堵したのも束の間、彼女はせき込み、血反吐を吐く。
意識が薄れていくのを、歯を食いしばって耐えていた──
「このまま、死ねない……ハヤトを、外に……!」
──拳を力強く握りしめて、強く地面に叩きつける。
腕が壊れることも構わず、全ての力を振り絞って。
アスファルトのような地面がひび割れて、砕ける。
その向こう側には、俺のよく知る世界の光景が広がっていた。
そこに、息を吹き返し始めた俺の体を、送る。
次第に閉じていく『境界』。
アカネは俺の姿を見つめ続ける。
視点が、低くなっていく。まるで崩れているように。
それでも、アカネは取り乱す様子をみせない──
「……これで、良かったんだ。あたしは、これから先もずっと……そばに……」