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第四話 The Fiance(1)


 ――『アンジェラ』。


 穏やかな声が、わたくしの名を呼ぶ。それは幼いわたくしに何度も愛を伝えてくれた、あの力強い声だった。


 ――『アンジェラ』。


 優しい声が、わたくしの名を呼ぶ。それは幼いわたくしにいつも歌を歌ってくれた、あの澄んだ声だった。


 ――『アンジェラ』。


 眩しいほどに真っ白な世界で、二人の声がわたくしの名を呼ぶ。視界の端で、さらりと流れる亜麻色の髪と波打つ黄金の髪を見た気がして。


 ――お父様!お母様!


 必死に二人を掴もうと伸ばした手は空を掴んで、その喪失感に胸が張り裂けそうになった瞬間。


「アンジェラ、」


「っ!」


 聞こえていたのとは違う声に名を呼ばれ、今度はしっかりと掴み返された手の感触に、アンジェラははっと目を覚ました。


 視界に広がる天井は見慣れた自室のもので。閉ざされたカーテンから、外はまだ陽が昇っていないことが分かった。


「ひどい汗だ、アンジェラ。怖い夢でも見たのかい?」


「―――、」


 額に張り付いた髪を払うように、その声の主がゆっくりと手を伸ばす。それを避けるようにアンジェラは身体を起こし、その声の主と向かい合った。


「相変わらず冷たい態度だね、お前は。それが余計に私を惑わすということに気づかないの?」


「………」


「ああ、怖い。なんて冷たい目をするんだ」


 声の主――男の象牙色の長い髪がさらりと零れ、そのルビー色は獲物を定めた猛獣のように鋭く、それでいてうっとりとした目でアンジェラの姿を映していた。


「……早く終わらせて」


 一つも表情を変えることなくそう言い放ったアンジェラは、再びその身をベッドの上へと沈ませた。


「なんだか不機嫌そうだね、アンジェラ。お前の願いが動き出したというのに、嬉しくないのかい?」


「………」


「私は嬉しいよ。お前がどんどん私の色に染まっていくからね」


 男はアンジェラの上に跨り、その細い首筋へと唇を落とす。


「嗚呼、私のアンジェラ。お前は私のモノだ」


 男の手がアンジェラの身体を撫でる。そうして進んでいく行為から意識を逸らすように、アンジェラは強く瞳を閉じた。


***


 その日の午後、アンジェラのもとにダリウスとギルバートが訪れたとルークから連絡があった。それはトリスタン殺害から、一週間が過ぎようとしていた日のことだった。


「こんにちは、ベイリアルさん。いつも突然の訪問で申し訳ないですな」


 応接間にアンジェラが入ると、ダリウスがそう言って小さく頭を下げた。


「ごきげんよう、ハント警部。わたくしの時間ならいつでも空いていますから構いませんよ。それより、いつも来ていただいて申し訳ないですわ」


「いえ、ベイリアル家の方に出向いていただくなど、署内が大騒ぎになってしまいますよ」


「そんな…。今となっては名ばかりの、ただの小娘ですのに。――ラーナーさんも、ごきげんよう」


「こんにちは、ベイリアルさん」


 先日の雑談以来、少し親密さが増したように見えたアンジェラとギルバート。その姿を見たダリウスは、一瞬その目を細める。そうして本題を話そうと口を開いたときだった。


「――アンジェラ、お客様かい?珍しいね」


「…、」


 割って入ってきたその声にアンジェラが一瞬顔色を変えたのを、ギルバートは見逃さなかった。


「レイフ…」


 アンジェラの少し咎めるような響きのある声を素通りし、その男はアンジェラの隣、ダリウスとギルバートの向かいに座った。


「初めまして。私はアンジェラの婚約者で、レイフ・ブラッドフォードと言います」


 さらり。レイフの象牙色の髪が肩から落ちた。


「ブラッドフォード…?まさか…」


「はい。祖父は警視総監を務めております」


「ブラッドフォード卿のご令孫…!」


 警視総監の孫と知り、ダリウスとギルバートは思わず立ち上がる。


「俺…いや私は、警部のダリウス・ハントと言います。隣は巡査部長のギルバート・ラーナーです」


「おや、祖父の部下の方でしたか」


 少し驚いた表情を見せたレイフに、ダリウスは苦笑を返す。そうしてダリウスから自分へと移ってきたそのルビー色の冷たさに、ギルバートの全身を言い知れぬ恐怖が駆け巡った。


「どうぞお座りください」


 しかしその冷たさは一瞬のことで、目の前のレイフは穏やかな表情を浮かべていた。


「ベイリアルさんに婚約者がいらっしゃったとは露知らず…」


「私の名も彼女の名も、この街では十分過ぎるほどに知れ渡っていますからね。婚約式は済ませていますが、結婚まで内密にすることにしているんです」


「はあ、そうでしたか」


 和やかにダリウスと会話を続けるレイフとは裏腹に、その隣に座るアンジェラからはどんどん表情がなくなっていく。その背後で控えているルークもまた、時折鋭い視線をレイフに投げつけていた。


「それで、国家警察のお二人がアンジェラにどのようなご用ですか?」


「それは……」


 いくら婚約者と言えどもベイリアル家内の話をしていいものかと悩んだダリウスが、その判断を求めるようにアンジェラへ視線を送る。視線を送られたアンジェラはいつもの様子に戻っていて、もの悲しげな表情でレイフの方を向いた。


「――ごめんなさい、レイフ。言おうか迷っていたのだけれど…実は、ゴードン伯父様のところのトリスタンが殺されてしまったの…」


「…え?」


「ヘンリエッタ義伯母様が以前から異変を感じていたみたいで…それをハント警部たちに相談されていたそうよ」


「そんな、殺されたって……犯人の目星はついているんですか?」


 アンジェラを安心させるようにその肩を抱き寄せながら、レイフは真剣な目でダリウスを見た。


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