時計の針が重なるとき・思い出の詰まった箱を・一昔前のカフェで・探し始めて十年が経ちました。
さるおばあさまが言う。カフェ巡りが趣味なのよと。普段はしぼんだ蕾のように感情も皮膚も筋肉も重力に吸い寄せられている顔なのに、趣味を言う時だけはぱっと花が咲くようその顔は持ち上がる。彼女は自分の肉親が住んでいる老人施設で出会った。出会ったというのは人間とのかかわり合いを指すから、出会ったというより野端に咲く花に気付いたというべきか。彼女が施設の片隅で、しおれた花のように結んでいるはずの口もだるんと垂れていたので、職員が気付けば拭いてあげているのを見た。何故か少しだけ気になって、唯一の移動手段である自転車を飛ばして面会に来る時には、いつの間にか彼女に会うのも目的に含まれている。
車は高級品だから手元には置いておけない。維持費を考えると、まだ他の物に投資した方が有意義だからそうしている。誰かを運ぶ時に困るだろうと言われるが、その時は移動用のタクシーなどサービスを使えば済む。現に、自転車のみの状況で介護を経験したが、困らなかった。彼女は肉親が会いに来たのを見たことがない。毎日のように仕事終わりに、子供が学校に帰ってくる前のほんの少しに面会するのだから、短い滞在時間のせいかもしれないが。自転車で通えるところに入所出来たのは幸運だ。今私の前に咲いている桜のように、桜咲く。私の人生は満帆である。
ある日、おばあさまがいつもの場所で時計を抱えていた。肉親ではないので、彼女に用も無く話しかけるのは躊躇われた。だから遠目に盗み見るだけだ。とても大事そうに彼女は時計をなでたりして、下を向いているのににこにことしている。肉親というのは義母で、彼女は認知症を煩ってから私を、死別した義母の妹の友達ということになっている。だから今日も来たの?暇なのね、と嫌みったらしく言われても仕方ない。義母の中では、毎日家に入り浸っている妹の友達なのだ。
ただ、夫には言っていないが義母は元々嫌みったらしい人だった。口でちくちくと攻撃を加えてくるような人だった。自分の夫と、息子の夫の前では良い顔をした。似たような経験者が多いことを、インターネットで検索すると大量に出てくることに安堵した。そんな所で救われる。幼子を抱えてぐっと堪えた。子供は幸い、五体満足で元気が有り余るほどに成長した。夫も激務が落ち着いた。義母は認知症だが近所の老人ホームに入所し、パートで家計を助ける。このまま順風で死んでいきたい、そんな人生だ。
おばあさまが大事にしている時計とはアナログなもの。針がチクタクチクタク忙しない音を立てるのは、まるで人の現代社会の歩みのよう。その盤面は、一目で現在地と過去と未来が分かり、人の軌跡が見て取れる便利なもの。かつては華美な装飾で音をいかに美しく鳴らすかを職人が競い合ったものだが、今の社会にはどうにも馴染まなかったようで、数字で現在と過去を計る現代人には分厚く場所を取る盤面よりも、薄い電子画面を好んだ。盤面のある時計は、一時間の間をいかに感じていたが、電子画面の時計は一秒をいかに感じるかの差がある。薄く高性能なものが好まれるのは古今東西変わらぬ事実である。それなのにアナログな時計を大事にしている。なんとなく、それは自分の人生に無い発想なんだろうと思った。
おばあさまが駄々をこねて金切り声を上げているのを初めて見た。その日は、義母が肩が痛いというのでマッサージを施したら、ごますりでしょ?とふふんとした顔で言われる。はいはい、ごますりですよーと伊達に長くこの義母の嫁をやっていないので、そのまま返して肩を叩いていると義母は黙り込んでしまった。顔を窺うと、泣いている。
「どうしたの、△さん」
義母と呼ぶと怒るから、下の名前で呼んでいる。ロールプレイングだと思えば問題ない。
「嫁ちゃんでしょ?」
「ええ、そうです。」
唐突に名前を呼ばれたので反射的に頷いてしまった。ロールプレイングを自分から終えてしまった。だが義母は続けた。
「ありがとね」
義母はそれだけ言って、黙りこくってしまった。肩を叩き終えても何の反応もない。呼びかけても微動だにしない。このままだと時間が取られてしまう。困ったので、職員さんを呼んで寝かしつけるのを手伝ってもらった。だが義母は魂が抜かれたように目はどこかを見ていて、ぴくりとも動かない。嫌みを言っていた義母は若い頃の義母なので、はつらつとしていた。だが今は年相応になってしまっている。部屋を出てから職員さんに尋ねると、よくある事ですよと言われる。よくあることなんだと納得した。
本音を言えば、おばあさまを見たいのもあったので義母の為だけでも無い。下心のある行動だ。何故だがその下心を恥じた。帰ろうと思って、その前におばあさまを見ておこうと思ったら、金切り声を上げている。
「箱を、箱を探しに行くの!お菓子のカンカンに、夫と、いっしょに、いろいろ婚姻届とか、指輪とか!思い出のカフェにいくの!」
どうにも興奮しており、職員さんが一人ついていて宥めようとするが聞かない。
「その箱はどこにあるんですか?」
「カフェ! 1980年の××市×町35の・・・」
「それは、○さんのおうちですよー? 息子さんがそう仰ってました」
「嘘よ、嘘! そこにカフェがあるの、そこに、そこに夫と箱を埋めたんだ!なんで信じないの?!」
かなり激高しているようだ。話を聞いていると、タイムカプセルと夫の思い出と大好きなカフェと自分の家がごちゃごちゃに混ざり合って、その情報量にも興奮しているような気がする。
「その箱を取りに行きたいの!」
「○さん、お体にさわるからね、落ち着いて?」
「取りに行くの!」
彼女が歯をむき出しにして怒るのは初めて見た。まるで子供の怒り方だ。自分の子育て経験が、介護職員と重なって身につまされる。もう時間があまり無いのだが、自分の足は自然と彼女の方に歩き出していた。吸い寄せられるように自然に、早足で、彼女の前でぴたりと止まる。
「じゃあ、私が探してきましょうか」
彼女ははっと顔を上げて、涙を目にいっぱい浮かべると頷いた。
「お願いしますわ・・・」
あら、良いとこのお嬢様だったのかしら。そんな的外れなことを私は思った。日中にはこの施設の職員さんが四人しかいないのを私は知っている。三人はめいめいのお世話でかけずり回っているし、一人をずっと彼女に留めておくのは酷な気がしたのだ。職員さんが小さく頭を下げて、後日改めてお礼を言われた。だがその時、私が着ているのは喪服だった。義母がその三日後に息を引き取ったのだ。子供が熱を出したから、面会を控えている最中に、眠るようにベッドの上で。夫は涙ぐんでいた。そして私にたくさん礼を言ってくれた。私は何故か重荷が下りたと言うより、ここに来る理由が無くなったので困ったなと頭の中で思っていた。義母の死を悲しめなかったのではなかった。三日後に私は堰を切ったように泣いた。驚いた子供が夫に伝え、慌てた風で駆け寄ったがすぐに二人は私の背を撫でてくれた。その暖かさは今でも思い出せる。優しい家族の手だった。その涙が出きったあとに、私は義母のことで吹っ切れたと同時に、彼女のことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
あれから、早幾年月。私も少し老けたので体の節々が痛い。自分で自分の肩を揉みほぐしていると、呪いのようにふっと彼女の事が浮かんで、体が竦んだ。今は西暦何年だ。あれから何年が経ったのか。今からでもカフェに行ってみた方がいいのか、それともあの施設に?探しに行く予定が無かったわけではない、でもあれからバタバタとしていて、つい、ついちいさな約束が日常に呑み込まれた。年を取ると言い訳じみた言葉が頭にずらずらと並ぶ。素直になれない老人に神様が用意されたのは、認知症のような不必要な言葉を消す病気なのかもしれない。私もきっと。ごめんなさいと謝っても、もう十年は経っているので確かめようがなかった。
原典:一行作家