三匹の野獣
「奴隷がご主人様を呼びつけるなんて不躾にも程があるわ。身の程を知りなさい」
「そう言うなって。ほら、無礼の侘びだ、堪忍してくれ」
「それでいいのよ……って、なにこれ」
「男梅。生の青りんごのほうが良かったか?」
「お、覚えてなさい……意外とおいしいのね」
放課後の屋上に、室戸を呼び出した。
初っ端から恒例の高圧な態度をかましてきたから、用意していた男梅で軟化をはかる。
文句を言いつつ、何でも食べるのは健康の証拠だ。ご主人様が健やかで奴隷としても大変喜ばしい。
「用件を言いなさい」
「片桐と内野の件だ。もう俺から手を出す必要はなさそうだからな」
「どういうことか説明なさい……待ちなさい。最近、内野の周りに不穏な噂が流れているけれど、もしかしてあれが靱負が流したのかしら」
その疑問は、質問というより詰訊だった。
室戸が、もしそうならば許さないと目で圧をかけてくる。虐めたいのか虐めたくないのか、本心がわからない。
俺に関して言えば、幸せを邪魔する気分は失せていた。
その幸せが砦のように強固だったら何一つ文句ない。
「俺は何もしてない。噂を広められるだけの人脈が無いからな」
「それはそうね。私としたことが失念していたわ」
「俺が手を出さなくても、内野は近いうちに酷い目に遭うってことだ。三匹の野獣によってな」
「……聞かせなさい」
空気が一段と冷たくなる。
仲秋の雁渡しが背筋を舐めるせいか、ご主人様の表情が引き締まったせいか。
「最近、風紀委員の手入れで校内賭博が検挙されたのは知ってるだろ」
「ええ、あったわね。よくもそこまでお金を無駄にできるものだと感心してしまったわ」
「それは俺の幼馴染に言ってやってくれ」
賭博一味は、その他にとんでもない悪行を犯していた。
なんと、言葉巧みにギャンブルの沼に誘い込んだ女子学生を脅して、売春を強要していたという。
「甘い言葉で賭場へと誘う役が、片桐克也って野郎だ」
「っ! それは間違いないのよね。嘘だったらただじゃすまさないわよ」
「いくら俺でも嘘や冗談でこんなことは言わねえよ」
「……そうよね、知ってるわ」
片桐克也、漆実末、佐々野示五郎。
三匹の野獣の名前だ。漆は、鈴無に返り討ちに遭ったあの男で、佐々野は三年の先輩だ。佐々野はこの時期にも関わらず、受験準備も就職活動もせずに仲間つるんでばかりいるという。
「それもそのはず、佐々野の兄が闇金の社長だとよ。金杉橋沿いのビルにオフィスを持って、『芝の親分』の傘下でいい羽振りだって話だ」
「芝の……私も聞いたことがあるわ。お父様や、当主様もそれなりに配慮するような実力者だって話じゃない」
「ああ、名前すら知られてない裏社会の大物。それと繋がってるからこそ、学校も警察も容易に手を出せなかったってわけだ」
「……この短期間で、よく調べたわね。褒めてあげる……でも靱負らしくないわね。靱負なら、ぶつくさいいながら適当に済ませると思っていたわ。私もそれでいいと思っていたし」
やっぱり本気で虐める気はなかったのか。なら、最初から命令するなっての。まぁ、単純に愚痴を聞かせたかっただけなんだろうけど。
それに、俺が褒められることじゃない。これらをあくせく調べたのは、俺じゃなくて幼馴染だ。
先日、あの絶叫の源に駆け付けると、そこには血の海の真ん中で虫の息の女を介抱している幼馴染の姿があった。
すぐさま隣にある菱戸商店で新品の包帯と消毒剤を購入して、止血した。すぐに救急車が到着して搬送され、間を置かずにクラウンも現れた。
唐九郎はいくつも怪しい商売をしているだけあって、警察にも知り合いがいる。唐九郎は『橋』と呼んでいた。
駆け付けた時、丸めた紙を渡された。血がべっとりついていて、開いてみると領収証だった。
既に気絶したギャルから、必死の形相で握らされたんだという。
俺は領収証の裏に書かれた、炭の欠片で書いたような荒い文字を室戸に見せた。
『かたぎりかつやにかんきんされた
すくらっぷこうじょうだっていってる
ほかにもひとがいるからたすけてあげて』
丹生練琉は、今も病院で予断を許さない状況だという。
唐九郎は物の怪に取りつかれたように、あちこちに設けた『橋』を頼りに調べ上げた。そこから浮かんできたのが、佐々野だった。
売春の相手も、当然まともな奴じゃないはずだ。どんな扱いを受けるのか、異性の俺でも怖気がする。
「多分奴らは兄の力で高跳びする気だろうな。いくら弟でも殺しまで揉み消す謂れはないだろうからよ。逃亡資金稼ぎに、内野は芝の金持ち爺か助平坊ちゃんに慰み者になるだろうな」
虐めといえば、これ以上にない虐めだ。人間としても、女としても、最悪の屈辱を受ける。次こそ完全に絶望して、命を絶つかもしれない。
内野は片桐を信じ切っているからなおさらだ。
「これが、俺が手を出す必要もない理由だ。放っておいても内野は破滅、悪党は遠くへ逃亡生活だ。どうですか、ご主人様。満足いただけましたかな?」
もし、これで室戸が満足げに首肯すれば、俺がやることは何一つない。
他人がどれだけ苦しもうと、泣き叫ぼうと、俺がどうこうする理由はないんだ。
だけど、もし。
「……ええ。もちろん、満足……」
もし、ご主人様の目が瞋恚に満ちていたら。
もし、ご主人様の首が、横に振られたら。
もし、ご主人様が命じるのならば。
「するわけがないわ!」
奴隷は、ご主人様の命令に隷従するほかはない。