根も葉も無くとも薬効はある
現状報告。
どう虐めてやろうかと数日間頭を悩ませていた相手と、コンビニの横のベンチで饗応しております。
見栄を張った。饗応と言っても、チョコバーだ。隣のコンビニで買ったばかりだから、歯に張り付くほど冷えている。おいしい。
「……」
内野は無言。そりゃそうだ、俺だってただのクラスメイトに『アイス奢るから、来てくれ』なんて誘われたら閉口すると思う。女子と行動を共にした経験なんてほとんどないから、いざという時に困る。人生経験って大事だなあ。
そんな誘い文句でのこのこついてくる内野にも問題がある。
そんな誘われ方ですら乗ってしまうほど、話したいことがあるってことなんだろう。
いざ隣に座ると、どう切り出せばいいかわからない。膝と膝の間に空いた、拳七つ分の距離が、俺と内野の関係だ。
「登戸くんも……あの話聞いたの?」
やっと内野が放った言葉だ。
「あの話? 何の話だよ」
「その……空川さんとか島根さんが話してた……それで、確かめに来たんでしょ?」
「ちょっと待て、誰だそいつら。俺はただ……まぁ、門前で死にたそうにしてたから」
なんて言い訳だと思う一方、あの表情はただごとじゃないと感じる。制服が行きかう校門前だからいいものの、屋上のフェンス越しにあの表情があったら、翌日の地方欄が賑わう結果へまっしぐらだ。
そのくらい、思いつめた表情だった。
「え……あの、じゃああの噂って……」
「噂? ああ、あれか」
俺が室戸に虐められているとかなんとか、根も葉もない噂の事か。
「あんなもんはでたらめもいいとこだっての。出所がわからない噂話とバイク版の雑談は真に受けるなって小学校で習わなかったか」
「え………くすっ」
笑われた。
この場合は、笑顔になったと言うべきか。
まぁ、俺の噂話なんぞで気がまぎれるんなら、根も葉もなけれど薬効はあったってことだろう。
しっかし、何で俺の噂話で内野が悩んでるんだ?
「ありがと……うん。あの噂、全部ウソなんだ。みんな頷いてくれるんだけど、ぎこちなくて……」
「?」
「空川さんたちに問い詰められて、怖くて答えられなかったら、このことSNSでばらまくって……もう、どうしていいかわからないよ」
「……何の話だ?」
話が混線している気がする。
そもそも、空川さんと島根さんがわからん。
「なぁ、その噂ってのの内容を聞かせてくれないか?」
「え……」
「なんか俺が聞いてたのと大分違いそうな気がして」
「うん……その、う、う……うわき、してるって」
「浮気? 俺が?」
「私が」
「……ちなみに、空川さんってのは」
「ミントさん達とよく話してる、綺麗な人だよ……同じクラスなのに」
同じクラスでも、住んでるエリアが違うんだよ。まぁ成功してエリア引っ越した内野に行っても仕方ないけど。
てか、おどおどしてる内野が剃常を名前呼びしたこと驚きだ。
要するに、クラスのイケメンと付き合い始めた陰キャ女子が、打った鉄の熱も冷めないまま別の男をくわえ込んだと噂が立っているらしい。
俺の耳には全く入ってない。
ただ、内野がBエリアのギャルにいい印象を持たれていないことは知っていた。玉ねぎの臭いなんて微妙な悪口を言われるくらいだからな。隣に座っても、変な臭いは特にしない。噂なんてこんなもんだ。
「てかそんなことであんな思いつめた顔してたのか……てっきり性悪な似非サドお嬢様かサイコ混じりの秩序委員になんかされたのかと思った」
「くすっ。登戸くんって、面白いね」
「そりゃどうも」
「でも、どうして私を気にかけてくれたの? ほとんど話したことも無いのに……」
まぁ、そうくるわな。
どう答えたものか、もう少し考える猶予が欲しかった。
あの表情が気にかかった、のは当然あるとして、いつもの俺なら無視して通り過ぎるはずだ。ましてやあれこれ虐めてやろうと画策していた相手を、刹那的なシンパシーで慰めてやろうなんて、それこそ塵屑だ。斬り殺されても文句は言えない。
あれだ、もし何か傷つくようなことがあったんなら、俺が虐める必要もなくなるからな。それを確かめたかっただけだ。そう、無駄な仕事を減らしたかっただけ。
馬鹿正直にそう言うわけにいかないから、お茶をどろりと濁して告げる。
「めっきり寒くなってきたからな。ときどき人情家ぶって心を暖めないと風邪ひいちまう。それだけだ、そういう事にしてくれ」
濁すどころか、大してうまくも無い事をどや顔で言ってしまった。最後までどや顔ももたずに、蛇尾で終わったし、軽く死にたい。
内野はぽかんと可愛らしい口を開けた後、その口から笑声が湧き出た。玉ねぎなんてとんでもない、ふんわりと淡く軽やかな香りがする。
「ありがと。登戸くんのおかげで元気が出たよ……ほんとにありがと」
「元気が出たなら何より。俺が喪った精神力の分も元気になってやってくれ」
「わかった……登戸くんも、頑張ってね」
「俺が? 何をがんばれと」
「もう九月だから……クラスメイトの名前くらい、頑張って覚えようね」
「余計なお世話だ。固有名詞を覚えるのが苦手なんだよ」
「頑張ってみたら、きっといいことあるよ。私だって、根暗な自分を変えようとかーくんに話しかけてからここまで来れたし……かーくんも、噂なんて気にしないって笑ってくれたんだ」
話の路線がが惚気方面に向かいそうだから、そろそろ下車することにした。
別れ際に手を振った内野を見て、もう既に陰キャは卒業してんじゃんと思った。
これで、俺の役目は終わりだな。
一時的に嫌な思いをして傷ついたわけだし、ここから重ねて何かをする必要はないだろ。一瞬傷つけて後腐れないようにってご主人様の意向にも沿えたし。
暴君ぶっても、中身は我儘なだけのお嬢様だ。むやみやたらと人を踏みにじるのが好きなタイプじゃない。むしろ、そういうやり方を厭悪する節すらある。きっと、これで納得するはずだ。
滓も残さず嘗め尽くしたアイスの棒に、『あたり』の三文字を見つけた。
「おお、言われたそばから良いことあった」
これも、話しかけた勇気への報いってことか。だいぶんちゃちいけど。
これにて、一件落着、あとは報告を残すのみ。
本当にそうか?
心の中で、融けきれなかったアイスが冷たいまま残る。
気がかりなのは、片桐克也のことだ。
付き合ったばかりの彼女に浮気の疑惑が持ち上がって、それを一笑に伏せるってのは、どういう神経の働きなんだろう。単純に内野を信頼しているのか、そもそも浮気なんてどうでもいいのか。
何より、怖いギャルから恫喝されて絶望の表情で帰ろうとする内野に気づきもせず付き添いもせず、今頃何をしてるのか。今日は部活が無いはずなのに。
そして、先日見かけた怪しい公衆電話だ。片桐は当然スマホを持っている。連絡だけならスマホを使えばいい。電源が切れてたのなら、すぐ横にある交番で電話を借りればよかったはずだ。
テレホンカードを使っていなかったのを見ると、普段から公衆電話を用いる生活をしていたわけでもないんだろう。
つまり、よっぽど発信元を知られたくない内容、もしくは相手の時にだけ公衆電話を使う。そういう風にとれる。
もちろん、全てが邪推でしかない。極端に猜疑的な予想だ。
そして、内野が片桐にたばかられていたとして、俺が介入する理由も大儀もない。それこそ大きなお世話だ。
それでも、折角笑顔を取り戻したんだから、そのまま笑えていてほしいと願った。願った、だけだ。
あたりの棒を財布に仕舞って、忘れないうちに交換するかと腰を上げる。
その瞬間、女性の絶叫が響いた。
中規模の商店が並ぶ方向から聞こえた。この時間帯、あっちは意外なほど人が少ない。
今度は迷いもせずに足が動いた。迷いはしなくても、焦っていた。
絶叫がした方向は、内野が去っていった方向と真逆だと気づくのに、かなりの時間をかけたのだから。