屋上でクズ会話
許可のない屋上への立ち入りは禁止されている。
もちろん建前で、ホントのとこは登り放題降り放題。上履きのまま屋上に出ると、すぐ足の裏で何かをふんづけた。
ペッタンコになってくっついた煙草の吸殻をべりっと剥がす。
学生が屋上でさぼったりアオハルしたりするのを教師が黙認する代わりに、教師が屋上を喫煙所にしているのを学生が黙認する。
令外の法たる屋上利用はそうした思いやりの下に成り立っている。自分で言っててあれだけど随分嫌らしい思いやりだよな。
「遅い!」
「ぬえ。委員会があったんじゃ」
「あれは嘘よ。靱負を試したの」
「やめてくれよ……心臓が飛び上がるから」
「ねぇ、普段から言っているわよね? 私がやれと言ったことは必ずやり通しなさいって。それで、書いたわよね? 私よりも後に来たらどうなるか」
書いてなかった気がする。わかっているわね、と書かれていたけどわかってない。
室戸が口調を荒げる。声は怒っているけど目は楽しそうだ。爛々と、獲物に喰らいつこうとするコヨーテみたいだ。
エリザベートのように残忍な笑みを浮かべて、指が俺の顎先を撫でる。
「ねぇ、そんなにお仕置きされたいのかしら……? 奴隷がご主人様の言うことが聞けなくなった時、どういう末路が待っているか……教えてあげてもいいのよ」
「教わってもいいけど。なぁ、その話長くなる?」
「むかっ」
感情を声に出してくれて助かる。
目の前で荒ぶる金髪お嬢様が俺のご主人様なわけだけど、一方的に殴られたり財布を奪われたり苛性ソーダぶっかけられたりするようなことはない。むしろこうしてタメでやり合っているくらいだ。
1862年の奴隷解放宣言から160年を経て、奴隷労働は表世界から消え去った。今でもどこかの紛争地帯や一部共産圏を除いて『奴隷』は存在しない。奴隷的存在は残っているけど。
我儘放題のお嬢様は、どうしても自分の為だけに尽くしてくれる存在が欲しかったらしい。
残念だけど、どれだけパパやママに泣いて縋っても誕生日プレゼントに奴隷を買ってきてくれはしなかった。
中学生になってパソコンを買ってもらったら、いの一番に求人募集を出した。『専属奴隷募集! 時給要相談、明るくアットホームな職場です』と書いて条件もかなり良く設定したのに、待てど暮らせど応募はなかった。
そしてそのまま、高校生になった。子供のころからの純粋な夢を捨てきれず、熱い思いを持て余していた室戸が目をつけたのが俺だった。いやなんでだ。
「この室戸天空乃様の筆頭奴隷を勤めているんだから、もう少し自覚を持って服従なさい!」
「そろそろ転職を考えたいお年頃」
「え……だ、だめよ許さないわ。転職なんて、絶対ダメ。言う事聞かないならパパに頼んで転職先の会社潰してやる」
恐ろしいことを言う。いや実際、この奴隷労働は破格の条件なんだけどね……あれ、奴隷労働ってボーナスとか保険適応きくもんだっけ。
ただ、決まった休暇が無いのが難点だ。こうして不定期で呼び出しを喰らう。まるでソシャゲのサーバー管理者だ。本気で夜中に呼び出されたことがある。勿論駆け付けた……夢の中で。
「てか筆頭奴隷って、俺意外に奴隷いないだろ」
「そうよ。でもね、靱負がそういう了見のままいるなら、後釜を探さないといけなくなるのよ。私に捨てられて行く当てなんてあるのかしら?」
「ある。なんなら後釜候補を探してもいいぞ……最後のご奉公として誠心誠意粉骨砕身頑張らせていただきます」
「やめなさい! と、とりあえず本題に入りましょう」
後釜問題は隅において、本題に入る。
本題は片桐と内野についてだった。Cエリアでいちゃついているできたてほかほかのカップルだ。片桐は目元涼やかで清潔感のあるイケメン。それでいてどこか少し崩れた雰囲気があるから、堅過ぎないと女子から大層な人気だ。
内野楓は……もともとはDエリアの住民だった。実はご近所さんなのだ。顔立ちはいいけど喋りたがらず、クラスの端で本を読んでいたという認識しかない。まぁDエリアはそんな奴ばっかだけど。
「私、片桐君狙ってるってちゃんと態度に出してたわよね? それなのに許可を得ずに手を出すなんて許せないじゃない!」
「片桐の事が好きだったのか……なんか意外だ」
「そう? ま、別に好きってわけじゃないんだけど」
「……ツンデレのつもりか? ならもうちょっと語尾を跳ねさせた方がいいと思う。ポーズも腰に手を当ててだな」
腰に手をのばすと、ぴしゃりと叩かれた。そりゃそうだ、セクハラだ。
「ご主人様に触れる時は許可を得なさいと言ってるでしょう」
「初耳」
「なら覚えなさい……とにかく、私の意図を無視して片桐君と付き合ったのが気に入らないの! せめて申し訳なさそうな顔をするとか、一言あいさつに来るとかあるじゃない」
「香具師の元締めか」
もはや逆恨みを通り越して因縁をつけているだけだ。
室戸は憤慨のあまりきらびやかな金髪を逆立たせて、稲妻のようだ。
「とにかく、内野を痛い目に遭わせないと気が済まないの。靱負、何かいい案を考えなさい」
「うわぁ……完全に悪役のノリだ」
わがご主人様は清々しい屑っぷりだ。いや全然清々しくないな。濁りまくりだ。
気に入らない女の子を自分の手を汚さずに虐めるとか、まるで今時のJKだ。
しかし、面倒くさい。なんで俺が室戸の的はずれなプライドをケアせにゃならんのだ。奴隷だからか。
「じゃあ人気のない場所で適当にぶん殴りますかね」
「は? 女子に手を上げるなんて人間の風上にも置けないわ」
「人間の風上にも置けない企みをしている最中ですから」
これでも一応、剣術道場で修行してそれなりの腕は持ち合わせているつもりだ。いい塩梅に痛めつけるなんて造作もない。
でもまぁ、流石に暴力はまずいよな。
「てか、何かする必要あるのか? 現状ですでBエリアのギャルから陰口叩かれてるじゃん。そのうち軽い虐めに発展して、洗礼を受けることになると思うけどな」
「それも嫌よ。ああいうジメジメしたのは嫌いなの。大胆な嫌がらせで一回泣かせて、後に引かないやつがいいわ」
「注文が多いな……」
正直どうでもよくなってきた。もともとどうでもよかったのに、話すごとに話題のくだらなさが脳に沁み込んで欠伸を促す。
「もうなんでもいいじゃんか。上履きに蜂蜜塗るとか、机の中に懐炉と裸のチョコレート仕掛けるとかでいいか?」
「……よくもそんな陰湿な嫌がらせがポンポン出てくるわね」
「育ちがいいもんで」
「そんなだから私以外に友達ができないのよ」
「ともだち?」
「あ、い、奴隷よ奴隷。靱負ふぜいが私と友達なんてありえないわ」
「セルフ錯乱中悪いけど、そろそろ帰りたい」
内野のことは、まあ考えておく。多分夜には忘れてるけど。
室戸は悔し気に顔を赤くして、ぱしんと後頭部を叩いた。
「やり過ぎないようにしなさいよ。気に入らなくても女の子なんだから、丁寧に虐めてやりなさい」
「へいへい」
なんとも加減が難しい注文を念押しして、屋上を後にした。
アルミ合金の扉が閉まる前に、いい感じに鴉が泣く声が聞こえた。それじゃ、帰ろうかあ。