虐めの事実はなかった(本人談)
「なぁ、あいつって虐められてんのかな」
「さぁ……?」
椅子の背板に凭れて本を読んでいると、話し声が聞こえる。読んでいる本も山場を過ぎて、周囲の音が聞こえるようになった。
昔から、本に集中すると何も聞こえなくなる。今、教室がテロリストに占拠されても気が付かないだろうと思う。
話は、どうやら虐めについてらしい。高校生にもなれば避けては通れない問題だ。最近では小学生の間でも洗礼を受けるらしい。この間、通学路で女児にカエルを見せつけてけたけた笑っているダンスィがいた。三秒後には女児の叫びと腹パンで蹲っていたけど。
今度は誰が虐められたんだ?
「登戸だよ。室戸さんにパシられてるって噂だぜ」
「マジかよ」
何だ、俺の話か。
俺の苗字が出てきた途端に興味が失せた。自分の噂話なんて聞きたくない。
……しかし、俺はいじめられっ子に見えるのか。
確かに学校での立ち位置は微妙だと自負している。成績そこそこの、人付き合いが悪い帰宅部男子。彼女なし。
だけど虐められた覚えはない。虐めなんて当人の心得次第でどうにでもなる。
まず大切なのは立ち位置を間違えないこと。この教室は、田の字のように四つのエリアに分解できる。
教卓よりの廊下側は、「部活や委員会に精を出している学生エリア」だ。この教室はA組で、黒板の向こうには教室がない。ここをAエリアと呼ぶ。
このエリアの後ろに「他クラスと交流が活発な学生エリア」がある。こちら側はB組寄りの扉があるから、自然と扉を挟んでワイワイ楽しそうに喋りながら交通の邪魔をすることになる。廊下に出て話すという選択肢はないらしい。ここをBエリアと呼ぶ。
教卓よりの窓側は「男女混交着席会話エリア」だ。ここが一番カップル率が高い。ここをCエリアと呼ぶ。
そして残った窓側後方は「はぐれエリア」。陰キャのたまり場だ。ここをDエリアと呼ぶ。
俺はもちろんDエリアの住民だ。幸い、今までの席替えで全てDエリアの席を勝ち取った。だからわざわざ移動する必要がない。
「かーくん、あーん」
「お、ありがとう……うん、うまい! 楓の手作りはうまいな」
「ありがと……」
こういう腹立たしい会話を繰り広げるのは、大抵Cエリアの住民だ。
特に今は、噂の付き合いたてカップルの片桐克也と内野楓が連日イチャついている。
こうも毎日みていると胸やけがして仕方がない。
「うわ、見なよあれ。陰キャ楓のくせに、調子乗ってるよね」
「ほんとそれな。てかアイツ寄ると玉ねぎの臭いすんだよね。めちゃやばくない?」
「ええ……どっちかっていうと長ねぎじゃない? ドー思うよ、ミント?」
「別にどうでもいい」
Bエリアは女子率が高い。他クラスの人間と休み時間ごとにコミュニケーションをとろうとするのは女子ならではなんじゃないだろうか。しかもギャルが多い。ギャルは非常に強い権力を持ち、またそれ以上に絶大な権力に守られてるから誰も手出ししない。
なんかすごい陰険な会話をしていても、誰の耳にも入らない。A組のギャルの首領の名前は剃常民度。なんとかっていう雑誌でかんとかって名前のモデル活動をしているらしい。固有名詞を覚えるのは苦手だ。
「チッ……内野……覚えてなさい……」
「ちょ、テクノどうしたの? 目が鬼みたいになってるけど」
「何でもないわよ!」
そして、Aエリアで圧倒的存在感を放っているのが室戸天空乃。ややキラキラした名前のこいつは正真正銘キラキラお嬢様だ。とにかく金持ち。札束で日本海を埋め立てられるんじゃないかと噂される室戸家の一族だ。ただし、分家。本家の人間ならこんな中堅私立高校に通っているはずがない。お嬢様と元お嬢様教師と古のお嬢様理事長しかいないお嬢様女学院にでも通ってるはずだ。
人の噂じゃ、この室戸が俺を虐めているらしい。
まったく、曲解もここまで来ると清々しいもんだ。
俺はただ、奴隷として室戸の雑用を担っているだけなのに。
授業開始前に、用を足そうと立ち上がり前方の扉に向かう。室戸の横を通る時に、紙片を渡された。
個室の中でこっそり開く。破られた罫線入りメモ用紙に、万年筆でこう書かれていた。
『放課後屋上へ向かいなさい
委員会の用事を終えたらすぐに向かうからそれまで待ってること
もし私を待たせるようなことがあればどうなるか、わかっているわね
あと、この紙は人目につかないように隠滅しなさい
天空乃』
「……こんなちんけなメッセージに万年筆使うなよな」
一応写メをとってからちぎってトイレに流した。
こうして、時々都合を聞かずに呼び出されては色々押し付けられる、ただの主従関係だ。決して虐めなどではない。
写メを保存してホーム画面を見ると、授業開始の鐘まであと一分だった。
用を足すことはなく、A組Dエリアへと帰巣する俺なのだった。