第八話 ミカエラとアンジェリカ めぐり逢い
結論から言えば、ルシオ軍の甘さに助けられた形になったが、
勝負は一瞬で着いた、公爵領軍は村に押し入った賊を完全制圧した。
公爵領軍の精鋭部隊であるアンジェリカの護衛隊と、
ルシオ軍の歩兵部隊では、士気も違えば練度も違う。
多くのルシオ兵たちは、さしても抵抗することなく囚われ、捕虜になることを選んだ。
彼らは取り囲まれると、武器を捨てることに戸惑いはなかった、
駐屯地でこう聞かされていたからだ。
ポラド領において、ルシオ兵捕虜の扱いは良い、
勝ち目が無いと判断した場合は、即時投降すべし。
しかしこれは、アンジェリカ直属の諜報部隊が、
ベロルシオで流布した、敵の士気を喪失させる為の嘘の情報であった。
アンジェリカの侍女が、女性用の短剣を手に、捕縛された敵の司令官の前に立つ。
「お嬢様、今から手本をお見せします」
敵の司令官は、何を言っているのかわからない、といった風に、
その髭面の顔に愛想笑いを浮かべたまま、
心臓を一突きされ、
即死した。
その光景は一瞬の静寂を作り、そして空気を完全真逆に変えた。
ルシオ兵の捕虜たちは、余裕を失い動揺した。
ルシオ語で、恐らく話が違う的な事を訴えているのだろう、
方々でわめきだし、領兵に盾で殴られていた。
解放された村人たちは、忘れていた怒りを取戻した。
公爵令嬢様の手前、無礼はご法度だが、膨れ上がった怒気は、
爆発寸前の緊張感を生み、皆無言であるにも関わらず場は騒然としていた。
血に濡れた短剣がアンジェリカに渡された。
アンジェリカの後ろからは村人たちの視線が、殺せ、殺せ、と大合唱していた。
アンジェリカの前の捕虜たちの視線は、助けて、殺さないで、と訴えていた。
アンジェリカの眼元から余裕の色が消えた。
なるほど、ここで私は初めて人を殺すのね
まったく娘に何やらせんのよ、なんにせよ、ここで無しは無しでしょう、ならば
覚悟を決めるしかなさそうね
アンジェリカの前に、ルシオに情報を流した裏切り者が突き出された。
アンジェリカは、護身術の家庭教師に教わった通りに、剣で突く構えをとる。
遅かれ早かれ自らの手で、人を殺すことになるのだろうと、漠然と想像をしていた。
しかし、なるほど、これは練習が必要だ、ここまでの悲痛な情景は想像出来なかった。
他者の命を奪う行為とは、かくも重いのか。
突き殺そうとする決定済の行動に、踏み出そうとした足に、不意に急激な歯止めがかかる。
そうか、これが良心、今気づいた、壊す直前に、捨てる直前に。
これが、神が人間に取り付けたと言われる、人間たらしめるものか。
ならば私は神を殺そう
この良心ごと私の中の神を破壊しよう
ヤツはヤツ、わたしはわたし、だ
そこで完全に吹っ切れた。
純粋な殺意。
修羅の道をゆく決心。
単純な殺意、明確な殺意。
アンジェリカは、ここで背負わされた村人たちの殺意も束ねて、
目の前の男に叩きつけた。
すると、
短剣を持っているはずの彼女の右手が、素手で男に向って伸びる。
見えないはずの男の心臓が、早鐘を打っているのが見える。
掴めないはずのその心臓を、白く細いよく見知った右手が鷲掴みにして、握りつぶした。
何これ、今の
アンジェリカは、あわてて自分の右手を確認する。
右手にはしっかりと、短剣が握られていた。
気を取り直し、改めて剣を突き出そうとした、その時。
かはっ
男は短い悲鳴を上げ、少女に恐怖の視線を向けたまま、
顔を醜く歪ませて、前のめりに倒れ、
絶命した。
視界の片隅、腕を組んで成り行きを見ていた侍女は、
ほう、といった表情をした後、男に駆け寄る。
素早く髪を掴みあげ、その死体を跪いた形に、造形した、
侍女は小声で急かすように告げる。
「アンジェ、どこでもいいから突いて、早く」
アンジェリカは、状況がよく呑み込めていなかったが、
ひとまず当初の予定通りに心臓を突いた。
えいっ
刺さり込んだ短剣を引き抜くと、血しぶきが派手に上がった。
その返り血を、頭からしたたか浴びてしまったアンジェリカだった。
血って、こんなに吹き出すものなのね
このドレス、もう着れないわ
なんだか、負けた気分
血まみれの公爵令嬢は、村人たちの前に立つ。
令嬢の後ろに控える侍女が、声を上げる。
領主様は我らと共にある。
公爵家の令嬢が、独断で、この村を救った。
公爵家の令嬢が、皆の為に、自らの手を汚した。
このことを忘れず、これからも忠誠心をもって、公爵家に仕えて欲しい。
村人たちは歓声で、この感動的な激励に応えた。
老若男女、皆が感涙を流していた。
そんな中、アンジェリカは、
なんとか誤魔化せたと思うけど
あたし、睨んだだけで、人殺しちゃったみたい
これからは、人を睨むときは注意しなきゃ
などとぼんやり考えていた。
侍女に言われるままに、村長に復興支援金を授ける儀式を行うアンジェリカ。
いつも通り、支援金を手渡しながら微笑みかけたのだが、血まみれだからだろうか。
それとも、睨んだだけで人を殺したことを、見抜かれたからだろうか。
村長は礼の姿勢をとったまま、恐怖に震え、歯を鳴らしていた。
なんにせよ、この儀式をもって、村人たちの興奮度は最高潮にまで達した。
侍女に扇動された村人たちは、領軍の兵士達に促され、
奪い取ったルシオ兵達の剣や槍で、ルシオ兵捕虜を血祭にあげることになった。
侍女のような手練に、恐怖を感じる間もなく、
一撃で絶命させられた司令官は、まだ幸せだった。
狂乱の村人たちは、憎しみを込めたなぶり殺しを選んだ。
哀れなルシオ兵たちは、絶命するまで、何十回と、突かれ、切り刻まれた。
その絶叫を、東北の森は優しく包み込んだ。
アンジェリカは、その地獄を視察してまわると、
なんだかとても清々しい気分になっていた。
侍女は、アンジェリカが、恐らく不可解な何らかの力によって、
人を殺めたことを、主にどう報告するか悩んだ。
最終的に、主である公爵夫人には、ありのまま、見たままを報告することにした。
また、ルシオ軍がこの村を襲撃した理由だが、
この村に聖女がいるはずだから、などというあやしげな供述が複数あっただけであった。
村人たちに聞けば、そんな理由で村が襲撃されたのですか、とうなだれるばかり。
聖女に関する情報は俗言のようだった。
こちらに関しては、報告の価値無しとして、早々に捨て置かれた。
ひと通り敗残兵の始末が終わると、村ではなぜか宴が始まった。
アンジェリカは、なぜ宴会、と思いながらも、
これがここの普通なのだと無理矢理納得し、村人たちと宴を楽しんだ。
老若男女に分け隔てなく、優しく声を掛けてまわるアンジェリカ。
侍女や護衛の兵たちは、ルシオ兵が言っていた、
この村にいる聖女とは、アンジェリカ様のことに違いないと強く思った。
暴行を受ける寸前だったという少女の前に立ち、優しく微笑みかける。
その姉妹だろうか、友人だろうか、
となりには赤茶色の髪の少女が寄り添うように立っていた。
その赤い瞳と、紫の瞳が、瞬間、交差する。
あなたは、誰?
ふたりが、
思わずそう口にしそうになった時、
侍女が、小声で出発を告げたきた。
礼をするふたりの少女を後にして、公女と侍女は馬車へと向かった。
近い将来、
全世界を二大勢力に分け、血みどろの死闘を繰り広げることになる。
そんなふたりの、運命の初顔合わせであったにもかかわらず、
それはあまりにも淡泊なめぐり逢いだった。
これで第一部完結です
おつきあい頂き誠にありがとうございました