第六話 ミカエラ 12歳
敵が入念に仕込んだ罠にかかったその村は、瞬く間に占拠された。
公開処刑の準備が進む沈黙の中、
誰かが大きく息を吸い込むのが聞こえた。
続いてその場に不釣り合いな、清らかな宣誓が高らかに響く。
「ここにおります」
「聖女様!おやめ下さい!」
間髪を入れずに、中年の女性の叫び声が上がる。
賊を前にして毅然と立ち向かう、少女のその神々しい姿は、まさに聖女だった。
ミカエラが12歳の時、事件が起こった。
裏切り者の仕掛けた罠にはめられたのだ。
これまでも裏切り者は少数ではあるが存在した。
しかし単独ではなく組織的に、
かつルシオ軍と直接通じているケースはこの時が初めてであった。
ミカエラという少女がもたらす、聖女の脅威を排除すべく、
ルシオ軍は計画を入念に練ってことに挑んだのだ。
秋の収穫祭。
ミカエラが男爵領内の村々を訪問する日程が、後半に差し掛かった頃。
とある村を訪問していた際に、内通者を伴ったルシオ軍が村ごと聖女の一行を制圧した。
ミカエラは村人と共にとらわれた。
ミカエラと親衛隊は最悪の場合を想定していた。
ルシオ軍に抵抗して討ち死にする選択だ。
この時ミカエラは、聖女らしからぬ、
まるで悪党のような薄笑いを浮かべていたという。
村の広場には、とらわれた村人たちがひとかたまりにされ、
その周りを武装したルシオ兵たちが取り囲んでいた。
司令官と思われるひときわ屈強な男が、村人たちの前に立ちこう告げた。
「我々の目的はただひとつ!聖女様の保護である!
目的が達成されれば、貴様たちを傷つける事は絶対しないと約束しよう!」
その隣に立つ下品な男、裏切り者、は、
一世一代の大博打が順調に進んでいるからであろう、脂っこい得意顔をして口を開く。
「東北の聖女様ってなぁ、12歳位の髪の長い娘でさぁ、
体の発育もぉ、神様のご加護があるってな見事なもんでさぁ」
するとその発言を聞き、司令官を含め、ルシオ兵たちは全員、下品にせせら笑った。
当然このルシオ兵たちは、聖女を保護する気も、村人たちを無傷で解放する気も、毛頭ない。
おそらく聖女は犯された上で殺され、また犯された上でさらし者にされるだろう。
村の者たちは、よくて皆殺し、最悪は聖女を炙り出す為になぶりものにされ殺されるだろう。
ならば決死の抵抗を試みるまでだ。
「さあ、いきましょうか」
小声でミカエラは親衛隊に、そして村の男たちにそう告げる。
今まさに、ミカエラが立ち上がり圧倒的な暴力のルシオ軍の兵隊たちに、
対峙せんとしたその時。
ミカエラのそばにいた、ミカエラと同じ年頃の少女が、思いもかけぬ大声を上げる。
自分がその聖女だと。
ルシオ軍の注目が、その少女に集まる直前に、
その少女の母親と思われる中年の女性がミカエラを布で覆い隠す。
ミカエラを布越しにきつく抱きしめながら、
恐らく自分の娘なのであろうその少女に向かってこう叫ぶ。
聖女様、おやめ下さい、と。
その声に振り返った少女は、涙を溢れさせた瞳で、母親にこれまでの、
そしてこの決断を受け入れてくれたことへの、感謝を伝えていた。
見送る母親も、悲壮な表情を浮かべる演技をしながらも、瞳は娘に伝えている。
お前は私の自慢の娘だよ、と。
その身代わり聖女は意を決したかのように、敵軍の方へ向き直り、歩を進め、
とらわれの村人たちの集団から抜け出した。
司令官の隣に立つ裏切り者は、実際に聖女を見たことがなかった。
それ故に、これ幸いと、調子良く言い放つ。
「こいつ、こいつでさぁ、このガキが東北の聖女でさぁ」
すると司令官は懐から、少なくない金貨が入った革袋を、
成功報酬としてその裏切り者に渡した。
そしてゆっくりと、その身代わり聖女に近づいていった。
「これはこれは、聖女様、聞きしに勝る慈悲深さですな」
ミカエラはその遠くのやりとりを耳にして、ここにきて始めて、
聖女であることの膨大な重責と、それを背負い生きねばならぬ恐怖に震えた。
ミカエラは身代わり聖女の母親に、強く強く押さえ込まれながら、
聖女として生きることの、本当の絶望を痛感していた。
口の前で祈る為に組んだ指を、強く噛むことで、痛みによって正気を保ちながら。
涙を流すでもなく、その両の眼を大きく見開き、心の中で絶叫していた。
神様、あんまりです
これまで勝ち戦しか経験のなかったミカエラにとって、
蹂躙される屈辱は今回が初めての経験だった。
気が動転し、収穫祭のご馳走が胃からせり上がってきた。
ミカエラは考えた。
これはおごり高ぶっていた、聖女に対する神罰なのだろうか。
ミカエラはまた考えた。
この大敗北は、大聖女ともてはやされ、いい気になっている、
そんな自分が背負った、地獄の運命なのだろうか。
ミカエラは強く祈った。
恐らく初めて、
聖女としての自覚と責任に、しっかりと向い合って、
自らの運命に祈った。
もう神様でなくても、どこかの聖女でも、誰でもいい。
あの娘を、この村人たちを、
世界を、
どうか救って欲しい。
たとえそれが、悪魔であっても構わない。
そう、
悪魔であってもまったく構わない。
司令官が、身代わり聖女の服を乱暴に引きちぎる。
身代わり聖女は、震える体を押さえつけるかのように、
胸の前で指を強く固く組んで祈っていた。
その閉じた瞳から、涙が流れる。
神々しいまでの自己犠牲の精神が、眩く光り輝くその情景は、
ルシオ軍に彼女が、本物の聖女だと確信させた。
もはやそれは、名演技の枠を超えていたのかもしれない。
司令官が恐らくルシオの言葉で、何らかの勝どきを上げる。
その少女を乱暴に抱きかかえた。
その時。
ミカエラの願いが届いたのだろうか、助けに来た。
悪魔が。