帰宅
頭の中がグチャグチャだ……何から考えたら良いのか、さっぱり分からない。
――イリヤさんは僕を利用していただけ?
今まで好意を寄せていてくれていたのは、すべて嘘だったの?
信じられない……。
両肘をテーブルに乗せると頭を抱え、ソッと目を閉じる――。
いや、信じたくないだけなのかもしれない。
イリヤさんと一緒に居た日々があまりにも幸せだったから……。
どうする? ――もうそんな日々に戻れないなら、いっそここで帰ってしまおうか?
僕がそう思っていると、イリヤさんが慌てた様子で駆けてくる。
「レンちゃん、早く逃げて!」
「どうしたんですか?」
「あいつ等がもうここを嗅ぎつけて、見える所まで来ているの!」
「何だって!?」
と、言って椅子から立ち上がる。
「レンちゃん。ネックレスの使い方、分かるよね?」
「うん。これを首から下げて、戻りたい場所を思い浮かべれば良いんだよね?」
「そう! 私が何とか時間を稼ぐから、心配しなくて大丈夫よ」
イリヤさんはそう言って、玄関の方へと向かう。
「あ、でも……」
イリヤさんはドアノブに手を掛け、こちらに顔を向けると、「レンちゃん……元気でね」
と、悲しげな表情が残る笑顔を見せた。
僕を利用していた人が、そんな表情を見せてくれるだろうか?
そう僕が疑問を抱いているうちに、イリヤさんは小屋から出ていってしまう。
このままで良いのか? ――いや、良い筈ない!
僕はすぐさま追いかける――。
外に出ると、イリヤさんはまだゆっくりと兵士たちの方へと向かっていく途中だった。
兵士たちもまだ遠い。今ならまだ間に合う!
全速力でイリヤさんの後を追い――追い付くと後ろからイリヤさんの左手を掴む。
「イリヤさん、待って!」
「え、ちょっと、こんな時に何をしてるの! 離して!」
イリヤさんは僕の手を振り解こうと腕を動かすが、絶対に離さない。
「ふざけないで!」
「ふざけてなんて無いよ! イリヤさん、あの時、『今度、握る時はちゃんと意味を込めてくださいね』って言ったよね? だから今こうしているのは、ちゃんと意味を込めてやってる」
「え……」
イリヤさんの腕がスッと下りる。
「イリヤさんが僕の事を利用していたってのが、真実だったとしても構わない。イリヤさんは僕の事をいっぱい守ってくれた。今度は僕がイリヤさんを守る番だ。だから……一緒に行こう」
「レンちゃん……」
イリヤさんは僕の名前を言って、言葉を詰まらせる。
目には零れんばかりの涙を浮かべていた。
涙を指で拭うとニコッと笑う。
「うん!」
「じゃあ行くよ」
と、僕は言ってネックレスを首に掛ける。
そして、自分の家を思い浮かべた。
眩いばかりの青い光がネックレスから放たれる。
眩しい! 僕は咄嗟に目を閉じた。
※※※
気が付くと僕達は手を繋いで家の前で立っていた。
どうやら無事に帰ってきたようだ。
辺りは暗く、家の玄関には電気が点いていた。
「ここがレンちゃんの世界?」
イリヤさんがキョトンとした顔で僕を見つめる。
「うん、そうだよ」
「へぇ……」
と、イリヤさんは言って、僕の家の方に顔を向けた。
――さて、ここからが大変だ。どうやって両親に説明しよう……。
「レンちゃん」
「なに?」
「私、どこか行っていた方が良い?」
イリヤさんは、眉をひそめながらそう言った。
僕が黙ったまま動かないから、心配してくれたんだな。
「大丈夫だよ。付いて来て」
「分かった」
何も考えてないけど、ここで立っていたって仕方ない。
僕は一歩、足を前に踏み出した――。
家に入ると両親が、死んだ人間を見たかのように驚いた表情を見せた後、泣きそうな顔で『無事で良かった』と、言ってくれた。
それから休む間もなく色々と聞かれたが、外国人に拉致られたと嘘を混ぜながら何とか答えることが出来た。
イリヤさんの事は、僕が面倒をみるからと両親と約束し、しばらく家に居て貰う事になった。
こうして一件落着した僕は、さっさと寝る準備を済ませて、自分の部屋に向かう――。
「お休みなさい、イリヤさん」
「お休み、レンちゃん」
僕は自分の部屋へ、イリヤさんは隣の客室に入っていく――。
部屋に入るとドアを閉め、真っ直ぐベッドに向かうと倒れこむように横になった。
「疲れた……」
こうして見慣れた天井を見つめていると、本当に異世界に行っていたのか? と不思議に思う。
それにしてもなぜあの時、通学路を歩く僕の前に異世界に通じる魔法陣が現れたのだろうか?
――もしかしたら異世界に行きたいと願う僕達の気持ちが、その時に通じ合ったからだったりして。
何にしても疲れた。今日はもう寝よう。
僕はソッと目を閉じ、そのまま眠りについた。
※※※
夢か現実か分からない狭間で何だかイリヤさんの声が聞こえた気がした。
「な、れ……」
何を言っているんだろ? 意識してみる。
「好きになれ~……」
誘惑の呪文? え、何で?
僕は完全に目を覚ましたが、目を瞑ったまま様子を見てみることにした。
「レンちゃん。昨日は言いそびれたけど、ありがとうね」
声の大きさからして、直ぐ近くに居るのだと分かる。
――布が擦れる音がして、温かい手が僕の手をギュっと握る。
「大好き」
囁くような声だけど、確かにそう聞こえた。
直ぐに目を開けて、イリヤさんがどんな表情でそう言ってくれたのか見てみたい。
でもそうすると、イリヤさんは手を離してしまうかもしれない……僕は欲求を抑え込み、いまこの幸せの一時を堪能することに決めた。
イリヤさん、僕もだよ。
そう面と向かって言える日を夢見ながら……。