寝台特急日本海3号
ロウソクを模したとされる建造物が、京都駅の真ん前に屹立している。
京都タワーだ。
このタワーには観光地らしく展望台やラウンジがあるのだが、シュールな事に地下3階には銭湯まである。
早朝に到着した旅人が、一風呂浴びてサッパリとした気持ちで寺社仏閣を参拝できるようにという配慮らしい。
けれども僕が汗を流しているのは朝の時間帯ではなくて、屋外では既にネオンの眩い冬の19時過ぎだった。
11月末ともなれば景観にウルサイ古都とはいえども、街はクリスマス商戦向けのデコレーション一色である。
このタイミングで、なぜ風呂なぞに浸かっているかというと、別にこれから濃厚接触を求めて盛り場へ繰り出す準備というのではなく、急な出張を命じられたからだ。
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「ああミナミノウオ君。帰って来たばかりのとこ悪いんだけど、明日の朝イチで新潟県長岡市の××病院にインプラントと手術キットを届けて欲しいんだよ。物はメグちゃんが大阪支店から取ってきてくれてる。」
京都営業所長が申し訳なさそうに言う。「K社製を使う予定だったのが、サイズが合わないらしくって急にコッチにお鉢が回って来た。K社の技術営業がウチのを勧めてくれたらしくてね。」
長岡にはこれまで行ったことがないが、手術を待っている患者様がいるのだから、否も応も無い。
「朝イチですか。サンダーバードの最終便を捕まえるとして、今夜は金沢か富山泊りですかね? 駅前にはサウナ有るのかな。」
医療材料を扱っていると急患対応もたびたびだから、こういう緊急事態は特に珍しくもない。ビジネスホテルを取るのが難しい場合には、サウナやネットカフェで時間調整をするのだ。
「寝台列車があるんだよ。長岡には7時28分着。駅には向こうの業者さんが迎えに来てくれる。病院で先生と看護師さんに機械説明をした後、滅菌だ。」と所長が段取りを説明してくれる。
――その後にはオペ立ち(手術室に入って手術に立ち会うこと)か。長丁場になるだろうから、寝台車で寝て行けるのは助かるな。
僕が事務所のロッカーに常備している緊急お泊りセット(ワイシャツ・下着類)をカバンに詰めていると、メグちゃんと呼ばれている技術営業修行中の子が
「ハイ、ウオさん。インプラントと器械です。」
とトランクケースをガラガラ押してきてくれた。
「それと、特急日本海のチケットです。京都発20時57分ですから、タワーの銭湯に入る余裕はありますね。」
ありがとうと切符を受け取ると、メグちゃんは
「お土産は”鱒の寿司”が良いです。大阪からコレ押して来るのは大変だったんですよぉ!」
と北陸名産の駅弁を要求してきた。
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北陸方面上りは0番線ホームである。
定時到着の寝台特急に乗り込むと、まずは自分の寝台を探す。
繁忙期ではないから、車内は空いている。
いや空いているどころのハナシではない。なぜかこの日は、この車両には僕一人しか乗っていないのではないか? と訝るほどガラガラだった。
明日の事を考えればビールを飲む気にもならないから、大人しくホームで買った幕の内弁当を開き、ペットボトルのお茶を飲む。
暖房が効きすぎて暑いくらいで、早々にコートとスーツは脱ぐ。
山科を過ぎ湖西線に入ってしばらくすると、車掌さんが車内検札にきた。
比良山には雪が積んでいるはずなのだが、窓の外は真っ暗で何も見えない。湖水方面もヘッドライトの明かりが射す程度で同様。
東海道線を走っていれば、夜景や偶にある踏切信号のドップラー音を楽しめるのだけれども、湖西線は高架だから昼間の列車とは違って夜間は単調この上ない。
僕は弁当殻を始末すると、早々に寝台にひっくり返った。
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「……お客様、あと10分ほどで……か岡です。」
起こしてくれたのは車掌さんだ。
「あ、ああ。ありがとうございます。」と腕時計を確認する。
6時半には鳴るようにアラームを設定していたのだが、気が付かなかったらしい。
???
様子がおかしい。
腕時計の文字盤は、0時半を指している。
早すぎる。
予定よりも7時間も早い時間だ。
いったい何が起きたのだ?
「えっ、もう長岡ですか?」
「いえ、高岡ですよ。富山県の。」
車掌さんが不思議そうに言う。「チケットも高岡までになっていましたが。」
慌ててハンガーに掛けておいたスーツの内ポケットを探ると、切符には確かに
『京都→高岡』
と印字してある。
――うわぁ! メグちゃん、やってくれたな……。
もらった切符を具に確認しなかった僕も悪いけど、高岡と長岡を間違えるとは……。
けれども、こんなにガラガラなのだから、長岡までの乗車券と寝台券を買い足しすればセーフだろう。
しかし、長岡まで延長で、と言う僕に車掌さんは申し訳なさそうに
「長岡には停まらないんですよ。」と一言。「通過駅です。」
パニクる僕に
「ええ……っと、高岡には4時20分に”寝台急行きたぐに”が入線いたします。そちらですと長岡にも停まります。長岡到着は7時28分ですね。急行と特急とを、取り違えておられたのでしょう。」
と車掌さんは助け船を出してくれた。
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0時39分。
僕は雪が薄っすらと積もった高岡駅のホームに降り立った。
寝台急行きたぐには京都駅0時2分発、高岡着4時20分。
まだ京都駅を発って先ほど寝台特急日本海が通過した琵琶湖の左岸を走っているころ。
僕がヌクヌクと幕の内を食べていた場所のあたりだ。
小雪交じりの寒風が身に染みる。
なんつーか、演歌の登場人物のような気分である。
ホームから見える高岡の街は、既に寝静まっているようだ。
――ここで4時20分まで……。あと4時間弱か。メグちゃんめ!
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一応はプロであるから、長岡での仕事はキッチリこなした。
駅前で『へぎそば』と呼ばれるフノリをツナギに使った名物蕎麦を喰ってから、メグちゃんに要求されていたお土産を買った。
ただし、彼女が楽しみにしていた鱒の寿司は敢えて外して、カニ寿司をチョイス。
このくらいの嫌がらせ行為ならば、仮にメグちゃんがムクレても
「いや鱒の寿司は売り切れていたんだよ。残念ながらね。」
と言い訳することも可能だろう。
極々ささやかな報復である。
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単なる勘違いで怪異らしい怪異は起こらない上に、今は無き『寝台特急日本海』と『寝台急行きたぐに』とを知らない人には何の感慨も起こさないであろう噺なのだけど、モデルにさせてもらった人物(作中 ミナミノウオ氏)から愚痴を聞かされた時には、思わず同情してしまった事件である。
まあ奇怪である点を強いて挙げるならば、その後ウオ氏がメグちゃんの尻に敷かれる羽目となり、その関係がずっと継続している事であろうか。