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魔術師の花嫁と漆黒竜  作者: 河野章
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序章


 闇の中に、大粒の雨が振っていた。

「お入りなさいませ、アリーシア様」

 八歳のアリーシア姫の前には、扉が開かれた漆黒の馬車があった。

 アリーシアは金の巻き毛の美しい少女だった。気丈なエメラルドグリーンの瞳で、目の前の馬車を見つめる。

 透けるような白い肌は緊張からより青白く、表情は凍りついていた。

 馬車を引くのは火炎を吐く黒いペガサス。

 御者は骸骨で綺麗な燕尾服を纏っていた。その細く白い骨の指が、アリーシアへ差し出されている。

「気をつけてね、アリーシア……」

 アリーシアは母親である王妃にぎゅっと抱きしめられた。王妃の手は震えている。泣いているようだった。

 アリーシアは母親を抱き返した。

 アリーシアは泣いてはいなかった。

(きっと……大丈夫。お父様と、お母様がいなくても……)

 緑の目を目いっぱい見開いて、母親の後ろに立つ父親、アルゴン国の王を見つめる。

 父王は耐えきれぬのか、目を伏せて逸らした。

 今からアリーシアは両親の元を一人離れて、旧アルゴン国へと旅立つ。

 たった一人でだ。

「さあ、アリーシア様。旦那様、アンカーディア様がお待ちかねです」

 骸骨の御者が促す。

 アリーシアは馬車を見上げた。姿を見たことの無い魔術師。

 将来のアリーシアの結婚相手。

 それがアンカーディアだった。


 アルゴン国は9年前、一度戦争で滅びかけた。

 それを救った八賢者。その中の一人がアンカーディアだった。

 彼ら賢者達にはそれ相応の地位と謝礼とが支払われる筈だった。

 しかし、彼らへの礼を兼ねた舞踏会でそれは起こった。アルゴン国の元国王は、アンカーディアにだけ謝礼を金貨一枚少なく支払ったのだ。

 たった金貨一枚。それでアンカーディアは激怒した。

 間違いだったとアルゴン国側は謝罪したが、聞き入れては貰えなかった。

 舞踏会は一瞬にして闇に染まり、旋風が巻き起こった。彼が従える漆黒竜が会場に現れる。

 漆黒竜にまたがったアンカーディアはこう言った。

「たった金貨一枚。だが、契約違反だ。代わりにお前の孫娘とこの王国をいただこう。娘は八歳の終わりに再度ここへ連れてこられて、一六歳の終わりに私の花嫁になる。そして二四歳の終わりに死ぬだろう。これは予言ではない。呪いである」

 漆黒竜は吠えた。

 一夜にして旧アルゴン国は闇に包まれた。

 アンカーディアは闇の魔術師だったのだ。

 彼が従えた漆黒竜は火炎で城の周辺の田畑を焼き払った。

 国民と国王一族は別の土地に移るほか術がなかった。当時一歳のアリーシア姫も連れて。


 そして今日、約束は果たされようとしていた。

 死と暗黒に包まれた旧アルゴン国から、使者が、新しいアルゴン国へと訪ねてきたのだ。

 明日はアリーシアの九歳の誕生日。確かに今日がアリーシア八歳の最後の日だった。

 アリーシアには大凡の事情は分かっていた。けれど大人しく、聡明な彼女はここで泣いても喚いてもどうにもならないのだとも分かっていた。

「大丈夫よ、お母様」

 母親から身を離し、そっとその手を握る。手の震えまでは我慢できなかったが、ぎゅっと別れを込めて母から手を離す。

「大丈夫よお父様。アンカーディア様は、きっと私に良くしてくれます」

 顔をあげて微笑んで見せる。

 その背後で御者も静かに言った。

「そうですとも。アンカーディア様はお優しい方です。……さあ、お早く」

 もう待っては貰えないようだった。

 アリーシアは御者に手を引かれ馬車に一歩足をかけた。城を振り返り目に焼き付ける。

 大粒の涙がアリーシアの頬を伝った。

「泣くことはない」

 いきなり、低くよく通る声が馬車内に響いた。

 馬車に乗り込んだアリーシアは、驚いて涙が浮かんだ目を瞬いた。

(誰……?)

 漆黒の衣装に身を包んだ若者が馬車には乗っていた。

 アリーシアに手を貸して、自分の向かい側へ座らせる。

 青年はアリーシアより十近く年上に見えた。褐色の美しい肌に黒髪、漆黒の瞳。幼いアリーシアにも青年が整った顔をしているのが分かった。

「アンカーディア……様?」

 アリーシアは確認した。魔術師だからきっと姿を自由に変えられるだろうと思ったのだ。

 予想に違い、青年は首を振った。

「違う。俺の名は……そんなことは良いだろう。俺の仕事はお前を無事にアンカーディアのもとへ届けることだ」

 静かに青年は言った。アリーシアは混乱した。

 青年は涙を流し続けるアリーシアに困惑したように首をかすかに傾げた。

 眉を小さく寄せる。

「……泣くことはない」

 青年はそろりと手を伸ばし、アリーシアの頬から涙の雫を指先に受けた。

 涙はポッと柔らかい炎になって、豪奢な馬車内を優しく照らし出した。

 アリーシアは初めて見る魔法に息を呑んだ。

 青年は炎を手の中で弄ぶ。

「アンカーディアは暴君だが、非道ではない。安心しろ」

 温かく室内を照らし出す炎に、泣くのを忘れてアリーシアは訊ねた。

「熱く、ないの……?」

 青年は小さく笑むと、炎を手のひらに包み消す。

 それきりそっぽを向いてしまった。

 アリーシアは慰められたと分かって、涙を拭った。そして窓辺に寄ると、青年と同じように窓から次第に遠くなる城を眺めた。

 あまりに短い、両親との生活、そして別れだった。

 炎を吐く馬がいななき、大粒の雨が馬車の窓を打った。

 ――明日からは旧アルゴン国での新しい生活が始まる。

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