B級グルメとラノベ
漫画アニメと言うのはB級グルメに近いと思う。それらの小説化のラノベも同様にB級グルメだと思う。なろうはなんなのか?と言うと、私はネオライトノベルと言った人に共感が合って、さらにラノベを進化させたってのを使っても良いとおもう。私は矛盾したヘビーライトノベルや矛盾を取ったスーパーライトノベルが良いと思う。
確かやたらめったらリアルに描く写実を超えた絵画って意味でスーパーリアリズムってのがアメリカであったと思う。今3DCGが生まれて意味がなくなってしまったが、命名だけは残ってる。ただ超現実でシュールリアリズムってのもある。これ意味が違う。オカルトなどの超自然と同じで超の使い方がちと違う。だからスーパーが良いなとは思う。ヘビーライトノベルはツッコミ待ちみたいな適当につけた言葉だし…。
A級グルメが当然文学で上手く対応してると思う。大半の外食はA級グルメ崩れの一般小説になってると思う。
ただB級グルメって定義が難しいと思う。だから本質に立ち返るべきだと思う。何故B級グルメが生まれたか?である程度庶民的な値段で楽しむ外食ってのが本来は徹底していたと思う。特にお好み焼きは子供も食べられる値段ってのが昔はあったと思う。今はそれが高級化してしまったけど。
私はB級グルメの根本は値段だと思う。金にいとめをつけなくて良質を作り出す。これがA級グルメだと思う。ミシュランとかで選ばれる店の食事の値段見れば分かる。最近高騰してるB級グルメもA級グルメと較べたらかなり平均的に安い。もちろんこれまでB級グルメと呼ばれいたものもA級グルメに選ばれる。
それは高い=良いじゃないからになる。良い=値段は無関係だからである。安いものが平均的には質が落ちるのは確かだが、そういったものも横並びの競争があるためやはり優れたものは出来来るが、ベースとして不利なのは間違いない。多分競争相手が多いからだろう。
では値段が同じ小説はどうなるのか?さほど変わらない漫画などは?値段がかなりややこしいアニメは?
このコストを私は受け手の頭をどう使うか?だと見ている。面白さに関係なく、意識的に頭使うなって部分が多いものをコストとしてみる。無意識に処理する脳の機能は別。多分アニメとか無意識の視覚処理ならすごい事になってると思うから。
B級グルメで値段が安いものがある程度基準になってる中で選ばれるもので、貧乏人の食事だって馬鹿にする評価者は居ないだろう?それらからA級グルメが選ばれるからじゃない。値段に制約がある中で選ばれるものとそうじゃないものを比較しても仕方ないってのがある。それを当然知ってるからだ。
だが物語はそう見られない。と言うか見てくれない。だからみっともない気持ち悪い言動が目立つんだ。最低限の評価者としてのマナーが出来て無いからなんだ。良く似た構造で、A級グルメの基準からB級グルメの中でA級を選べるから性質が悪いんだ。それはあくまで例外なんだ。
金と無関係に選ばれるから、B級が安くても選ばれもおかしくないからだ。良い悪いに値段は関係ないからだ。
一定の制約の中の面白さ。それと無制限の面白さを単純に較べるべきじゃない。A級から選ばれる事はあっても、A級の立場でB級全体を批判することは出来ないんだ。最初から値段に制約があるものだから。ボクシングが一番妥当じゃないか?と思う。なら最初からボクシングで話せよとなるが、実際はそれは理論であって、実体に近いのはB級グルメなんだ。
低体重ランクから高体重ランクに挑戦する事は出来ても逆は駄目なんだ。値段を無関係に勝負するのは卑怯だからだ。ある一定の頭の力しか使わないで楽しめるってものとそれらが無制約なものの面白さを平等に戦わせるのは平等じゃない。漫画アニメラノベはそういった制約によって創られて面白いってものだから売れるんだ。
事前に長い販売の歴史で買い手と作り手でそれが決まってるんだ。値段のように分かりやすいものじゃない。
何故それが生まれたか?で根本が子供向けだからだ。バクマンを見れば分かるが、内容の平易さとかなるべくレベルを落とすようにしている。編集がそういうのを漫画家に説明する。それはなんとなく受け手とのニーズによって創られてきたものが明文化されて作り手で常識化されたからだ。
根本的に間違ったことをしてるともっと意識し無いといけないし、もっと言えば恥ずかしい事をしてるってのを意識し無いといけない。ミシュランの評価者はそんな事しない。評価者自体の質が低いんだ。決して人間の質が低いわけじゃない。値段と言う分かりやすいものだから馬鹿でも気がつくだけだ。
でも分かりにくいからと無視して良いのか?ならだからこそ、それをきちんと指摘できる本物の賢さがいるんだ。私は無批判ななろうランキング擁護者ではない。質が違うから分けるべきだとずっと書いてる。私は馬鹿な文学マニアも、馬鹿で妄信的ななろう擁護者もどっちもアホだと思ってる。片方の基準に立ってもう片方を批判するのじゃなくて、両方とも擁護しなくちゃ駄目なんだ。
私は何度も書いてるが、ネット小説のとても重要な部分に選ぶ事が面白さの中にすでに組み込まれてるって点だ。ライトノベルの最大の発明は、選ぶと言う事前の行動を面白さに加えたことだ。ラノベならこんな作品とある程度想定内のものが出てくる。だがそれは逆に言えば、自由に創る事の制約にもなってるのを気がつかないといけない。
それを無視してラノベは似たようなものばかりって発言はアホなんだ。最初から制約が選ぶと言うメンドクササをある程度軽減する事で面白さを創ってるからだ。頑張って砂漠の中の宝石を探し出すようなマニアは何故こんな素晴らしい作品が埋もれてるのに、気がつかないんだと。多数の読者を馬鹿にしちゃ駄目なんだ。
あくまで頑張るのはその人の自由な意思なんだ。そんなものを強制される言われは無い。そういう事を言う奴を見てるとうっとしくて私はイライラしてくる。こいつなんでこんなに馬鹿なんだ?埋もれてるそれ自体が面白くないんだよ。