ティーサロン・一日目(2/3)
「わたくしと殿下はもう無関係なのですから、わたくしが何をしようと殿下の評判は落ちないでしょう?」
「そうとは限らん。いかがわしい催しを開くような女と婚約していたとあっては、王家まで笑いものだからな」
ティグレはふんと鼻でヴィオレッタを笑った。
「しかし、無用の心配だったな。客がいないじゃないか。お前の人望のなさときたら、どうだ? みじめだな。さっさと閉店することだな」
彼は手近な開店祝いのお花に近づくと、靴でガンと蹴り飛ばした。
「あ! 薔薇が……」
ちょうどそれがドライフラワーにしようと思っていた新しい品種だったので、ヴィオレッタはショックを受けた。
「花でいくら飾っても腐った性根はごまかせない。お前に寄り付く人間なんていやしないだろうさ。父親も見下げた馬鹿だな。更生させるどころか、甘やかして増長させるとは」
「ひどい……!」
ヴィオレッタは憤慨した。そりゃあ父公爵は悪代官でちょっと口が悪く、おまけに親馬鹿だが、ティグレに馬鹿にされるいわれはなかった。
「ティグレ様! 謝ってくださいまし!」
「嫌なこった」
「許せないわ……!」
正直に言って、彼に何を言われようがどうでもいい。ユヅキの関係者だというだけで嫌だから、ティーサロンにも近づいてほしくないくらいだ。好きなだけ放言して、とっとと帰ってほしいとさえ思う。
でも、今回はこのまま引き下がることなんてできなかった。
――そっちがそのつもりなら、わたくしにだって考えがあるわ!
彼に謝らせるために、ヴィオレッタは奥の手を使うことに決めた。
ヴィオレッタはいそいそと手袋を脱ぐと、彼の目の前にずいっとそれを突きつけた。
「ではティグレ様、わたくしと勝負をしてくださいまし」
手袋を相手に叩きつけるのは、決闘の合図。
ティグレは目をぱちくりさせた。
「突然なんだ?」
「もしもわたくしが勝ったら、わたくしの父上を馬鹿にしたこと、何の罪もない薔薇を踏みにじったこと、わたくしに人望がないと言ったこと、軍服を着ているくせに騎士を名乗っていること、全部謝罪していただきます!」
「いや騎士だって軍服は着るだろ……?」
「解釈違いですわ! 騎士と名乗るならば白銀の甲冑を着なさいキュイラスを! だいたい何なのこの世界! なんちゃって騎士になんちゃって公爵令嬢!!」
ヴィオレッタが文句を言いたかったのはどちらかというと非常に雑な設定をされた乙女ゲーの世界観の方だったのだが、ティグレには自分が馬鹿にされているように聞こえたらしい。
「なんちゃって騎士だと……? 貴様、俺を愚弄する気か?」
「そうよ! だからわたくしと勝負なさい! あなたに騎士の誇りがあるのなら!」
ヴィオレッタは勢い余って、まだ手に持ったままだった手袋をべちーんと激しく床に叩きつけた。
ティグレは怒りの形相で、ゆっくりとそれを拾い上げた。
「いいだろう。その決闘受けて立つ……!」
ヴィオレッタはティグレの挑発に成功し、かくてふたりは中庭で剣を交えることになった。
剣といっても本物を使用するわけではない。
フェンシングの競技用に似た細長い剣の先に丸い安全装置の金属を取りつけ、ガードマスクをつけて互いに対峙する。
「そんなドレスで剣が満足に振るえるのか?」
「まあ、心配してくださるの? うれしいわ。でもね……」
ヴィオレッタは容赦なくティグレの胸に突きを入れた。
先が尖った剣だが、安全装置がついているので刺さることはない。代わりに、しびれるような痛みがある。
ティグレは驚愕のまなざしでヴィオレッタを見た。
まさか、大貴族の令嬢に不意打ちを食らうとは思っていなかったのだろう。
「その油断、命取りですわよ」
ティグレは不意打ちを食らったのにも関わらず、なぜか少し嬉しそうにした。
「少しは楽しめそうだな」
「本気で来ないと、すぐに決着がつきますわよ」
ティグレが剣を掲げて敬礼し、構える。
すぐさま放たれた電撃のような突きを、ヴィオレッタはなんなく打ち払った。
「遅いですわ」
「抜かせ」
ティグレは二合、三合と打ち合ううちに、だんだん状況を察してきたらしい。徐々に顔が引き締まってきた。
ヴィオレッタの『パラメータ』は、学力、芸術、舞踊など、ユヅキに関連するものはALL150となっている。これはゲーム世界でもかなり高い数値だ。通常は120を超えたあたりから学園でナンバーワンだと言われるようになる。
主人公のユヅキは、このヴィオレッタの数値を超えないと王子とのエンディングにたどり着かないのだ。
それならば、ヴィオレッタがこのパラメータを限界まで高めれば、主人公も勝てなくなるのではないか。
そう思い、せっせとパラメータ上げをがんばったのだが、ヴィオレッタのパラメータは150になったときからまったく動かなくなってしまった。
世界の強制力が働いているのだ。
ゲームスタート時に150のヴィオレッタは、150以上の女になれなかったのである。
しかし。
ヴィオレッタはティグレの剣を右に受け流し、すばやく心臓を狙って撃ちこんだ。
ティグレは吹き飛ばされて、真後ろに倒れる。
「な……! 俺を、力任せに打ち倒しただと……!」
ゲームに関連する項目は、ヴィオレッタがどうがんばっても150以上にならなかった。
けれど、他のパラメータは、自由に動かすことができたのだ。
パルフェ学園内だと、『剣術』パラメータが200を超えると、全国大会で優勝することができる。
ティグレの内部パラメータは230。
おそらく彼はパルフェ学園内でも最強。
しかし、ヴィオレッタの『剣術』パラメータは、現在577。
したがって、ヴィオレッタはティグレに負ける気がしなかった。
「わたくしの勝ちですわね」
――せいぜい屈辱を味わうといいわ。
ティグレは作中でも何かと女はダメだ、女はおとなしくしていろ、と口癖のように言っていた。
彼にしてみれば、細腕の令嬢に打倒されるなど、末代までの恥だろう。
「さあ、わたくしにこれまでの非礼を詫びて、額づきなさい!」
ティグレはのそりと起き上がると――
潔く、がばりと土下座した。
「すまなかった! 俺が間違っていたようだ!」
「あら素直。よくってよ、わたくし誠実な男は嫌いではないわ。顔をお上げなさい」
気をよくしたヴィオレッタが床に這いつくばっている彼の顎を撫でると、彼はまっすぐにヴィオレッタを見上げた。
「あなたは昔からいい目をしているわね。心にやましいことがある人間にはできない目だわ。あなたの実直さに免じて、今回のことは水に流してあげる。これに懲りたら、二度とわたくしを侮辱しないこと。分かったわね? 分かったなら、立ち上がっていいわ」
外見はいい男なので、こうして跪かせる分には悪くない。
ヴィオレッタが悦に浸っていると、彼はさっと立ち上がり、ヴィオレッタの肩を抱いた。
「ちょ、ちょっと、何?」
「すごいじゃないか! お前がこれほどまでの使い手とは知らなかったぞ! いったいその剣術はなんだ!? いつの間に身に着けた!? どこで覚えたんだ!?」
馬鹿力で遠慮なく肩をぐいぐい抱かれ、おまけにバシバシと背中を叩かれたものだから、ヴィオレッタはむせそうになった。
「やめて、もう、やめてったら!」
ヴィオレッタは彼の手を握って、ぐっとありったけの力を込め、下に引き下ろした。
未婚の身で自分から積極的に男と手をつなぐなど、公爵令嬢にあるまじき振る舞いだが、この際なりふりは構っていられない。
「もう、レディに断りもなく触れるなんて、失礼ではありませんこと!?」
「あっ……ああ……! すまない……!」
彼は先ほどまでとは打って変わって、気弱に頬を染めて、ヴィオレッタを困ったように見下ろした。
ヴィオレッタが前世で乙女ゲーをプレイしていたときと、まったく同じ反応だ。
ヴィオレッタはそれを見て、思わず変な声を出しそうになった。
――ええ!? デレたの、今!?
ティグレは頼れるお兄ちゃん気質なので、甘えるようなしぐさに弱い。これは公式設定でそうなっている。
ゲームでも、手をつないだり、袖を引いたりといったような行動にドキリとすることが多かった。
これまでの彼は主人公の攻略対象だったせいか、悪役令嬢のヴィオレッタが何をしようが『パラメータ』が動くことはなかった。
しかし――
ヴィオレッタはこっそりティグレの『パラメータ』を覗き見た。
好感度の数値が、マイナス255からプラス50くらいになっている。
――どうなってるの……?
これまでの彼は、ヴィオレッタが何を言おうとも好感度マイナスから動くことはなかった。
しかし、好感度50は、友人くらいの好意を持っているという目安。
学園にいたときはみじんも変動しなかった『パラメータ』なのに、こうして動くようになった。
ということはつまり、ヴィオレッタはもう完全に、ゲームの強制力から抜け出したことになる。
おそらく、ゲーム本編の役割を終えたので、用済みになったのだろう。
――それにしても、一気に友人レベルに昇格って、早すぎないかしら?
ヴィオレッタが戸惑っていると、ティグレは少し居心地悪そうに、視線を外した。
「な……なあ、そろそろ、離してもらえないか……?」
「あ、ごめんあそばせ」
握ったままだった手を解放すると、ティグレは「すまない」と、感謝とも詫びともつかないことまで口走る始末。
先ほどまでとは態度が大きく違う。