聖女認定試験(3/3)
ヴィオレッタは何がなんだか分からなかったが、ともかくもひとつのことに意識がいった。
――聖女……って書いてあるけど……
「天のお父さまは、ヴィオレッタ・シュガーを聖女と認定し、これを祝福します。ついでにちょっとサービスです」
ラジエルのあたりから白い鳩がたくさん飛び立ち、羽根の生えた小さな赤子たちがどこからともなく現れて、ラッパを吹き鳴らした。
雲間から光が帯のように降り注ぎ、ヴィオレッタを照らし出す。
「聞け、人の子ら! ここに新たな聖女が誕生した! たたえよ! たたえよ、その誕生を!」
ラジエルの高らかな宣言とともに、会場に集まった人たちが、いっせいに立ち上がった。
どよめきや悲鳴があたりを支配する。「なにこれ……!?」「からだが勝手に……!?」などの声がする。
ラジエルが操っているのか、会場の人たちはいっせいにヴィオレッタに向かって膝をついて座り、祈りを捧げるポーズをした。
「新たな聖女、ヴィオレッタ・シュガーの名をたたえよ!」
「たたえよ!」
「たたえよ!」
会場がひとつの言葉でいっぱいになる。たたえよ、という言葉が唱和され、辺り一面にこだました。
「――以上で天界よりの回答は終了します、十番法廷の長、冥府の王、エマ・グレートキング」
――ネーミングセンス!!!!!!
世の中に実在の神話を扱ったゲームは数あれど、閻魔大王のことをエマ・グレートキングと表現する世界は、後にも先にもここだけだろう。
――そもそもその英語は合っているの……?
ヴィオレッタの手元にはあいにくネット環境がないので分からないが、Wikipediaで調べたらすぐ分かるのにと思うと、無性に前世が恋しかった。
「このたびは天界をご利用いただき、ありがとうございました」
――カスタマーサービスか!
ツッコミが止まらないヴィオレッタの目の前で、ラジエルがみるみるうちに小さくなり、いつもの大型犬サイズになった。
ラジエルがうれしそうに近寄ってくる。
「ヴィオレッタ様ぁあぁぁ~~~~~! 私、がんばりましたよぉぉぉ~~~~!」
わんわんと吠えたてる声に合わせて発生するキンキン声は、通訳用の犬笛から、ヴィオレッタにだけ聞こえてきているらしかった。
「……ありがとう。かっこよかったわよ」
ヴィオレッタが撫でてあげると、ラジエルはそれはもううれしそうに、尻尾をぶんぶんと振った。
「さて、ユヅキ嬢。最後に少し老婆心から忠告を。あなた、このままだとまずいですよ。地獄で何千年分も苦しまないといけないかもしれません」
エマの脅しに、ユヅキは震えあがった。
「ごめんなさい、反省します! 私、なんでもしますから!」
「これからは清く正しくまっとうに生きてくださいね。そうすれば、まだ間に合いますから」
「はい……はい……!」
ユヅキは半泣きだった。
「よいお返事が聞けて、僕も嬉しいです。では、地獄の十番法廷、これにて閉廷します」
エマが叩いた木槌に合わせて、校庭のど真ん中に出現した不思議な舞台セットは去り、あとには狐につままれたような顔つきの人たちが取り残されたのだった。
ヴィオレッタも、気づいたらユヅキやエマと一緒に、地面に立っていた。
「聖女就任、おめでとうございます」
エマがにこやかに言う。
「あ……ありがとうございます、エマ様! わたくし、あなたの言った通り、聖女になれましたわ!」
「これもヴィオレッタ嬢が清く正しく真面目に生きてきたからですね。言ったでしょう? 僕の国の神様は、正直者が大好きなんです、って」
ヴィオレッタは少し頬が熱くなるのを感じた。
「……それって、エマ様のことでしたのね」
「ええ。僕はヴィオレッタ嬢のように、まじめに生きている人が好きなんですよ。できれば、ずっと見守っていたかったです」
エマはすっと手を差し出した。
手の甲のキスをねだる仕草だ。
「ヴィオレッタ嬢。残念ですが、これでお別れです」
「……え?」
彼は何を言っているのだろうと、ヴィオレッタは思った。どうしてか、胸がざわざわする。
「実は僕は、生きている人間には姿を見せられないことになっているんです。それで、一日三回の記憶リセットがあるんですが、例外があって。闇属性魔法に精通している人だけは、耐性がついているんです」
「あ……」
「でも、魔族ならともかく、人間には到達不可能なくらいの高いレベルで必要ですから、まさかヴィオレッタ嬢が僕のことを覚えていてくれるとは思いませんでしたけどね」
ヴィオレッタはちょっと気まずくなった。
ヴィオレッタの闇属性魔法は、数値にして800。
適性がありすぎたのか、必要もないのにレベルあげに励んでしまったのだ。
「でも、それももう終わりです。『聖女』になれば闇属性の魔法は強制的に封印でしょうからね」
ヴィオレッタは先ほど見たステータスウィンドウの暗転を思い出して、血の気が引いた。
「……じゃあ、エマ様とのことは、どうなってしまうんですの……?」
「おそらく次の強制リセットのタイミングで、僕のこともすっかり忘れてしまうのではないかと」
ヴィオレッタは身体が震えそうになって、自分の両腕を抱いた。
今しがた聞かされた不吉な話がぐるぐると頭を巡る。エマのことを忘れてしまう、だって?
――そんなのは嫌。絶対に嫌!
「……やめる」
「え?」
「やめるわ! 聖女になんてならない! ラジエル! 今すぐわたくしの『聖女』属性を取り消して!」
「え、ええ~……お父さまに言っていただかないとぉ……」
「じゃあお父さまに取次ぎなさい!」
ラジエルの両頬をつかんで言うと、天の使いである聖獣は「無理ですよぉ~……」と小さく鳴いた。
「エマ様経由で、お父さまに書類を回してくださいよぅ……」
「エマ様、わたくしは聖女でなくて結構ですわ。エマ様のことを忘れてしまうくらいなら、永遠に悪役令嬢で結構よ!」
「それは光栄ですが……」
エマは困ったようにヴィオレッタを見た。
「でも、そうすると、ユヅキ嬢が繰り上がりで聖女となるのでは?」
「天界の決まりでは、そうなりますねぇ……」
エマはヴィオレッタが憎らしくなるくらい、のほほんとしていた。ヴィオレッタがこんなに気に病んでいるというのに、エマはまるで他人事のようだ。
「僕たち地獄の住人と、魔族は、僕らに理解のある聖女王の誕生を待ち望んでいるんです。ヴィオレッタ嬢ならきっと、適任だと思いました」
その説明は、いつかの日にもエマが言っていたことだった。
エマは儚く微笑んだ。
いつの間にか、エマの周囲にも不思議な幾何学模様が生まれている。
ヴィオレッタはそれが時空間の移動をするときに生じる光なのだと、とっさに理解した。
「ほんの一年の間ですが、とても楽しかったです。僕にとっては、初めてできた人間のお友達でした」
「いや……! 嫌よ、これからもずっと友達でいるわ、そうでしょう!?」
別れの挨拶なんてするものか。
その思いで、ヴィオレッタはエマに詰め寄った。
「……あなたが魅力的な人でよかった。これなら、僕がいなくてもきっと寂しくないですよね」
「寂しいわよ、寂しいに決まってるじゃない! 早く、天界に申請してくださいまし!」
エマはひらひらと手を振った。
それがとても日本人らしい仕草だったので、ヴィオレッタはなんだか毒気を抜かれてしまった。
「またいつか、地獄の法廷で会いましょう。もっとも、あなたなら天国に直通かもしれませんけどね」
それだけを言い残して、エマは虚空に溶けて、消えた。
ヴィオレッタはただ、その場に取り残されて、呆然と立ち尽くすしかなかった。
次回、最終回です。