トロピコの贈り物
ヴィオレッタは自宅のティーサロンに、トロピコをゲストとして迎えていた。
ひとりで来たらしく、ラジエルを外につなぐと、さっそくユヅキのラジエル誘拐未遂事件についてわっと喋り出した。
「……でさあ、ユヅキったら変なんだよ。ラジエルがいなくなっても、心配するどころか、もういいって言うんだ」
トロピコが首をひねっている。
にぎやかなトロピカルカラーの差し色が入った金髪が右に左に揺れるさまは、南国の鳥が羽ばたいているようだ。
あれからラジエルはトロピコの家に連れていき、引き続き保護をお願いした。
――わたくしの性格がまだ直らないですものね。
ヴィオレッタにはラジエルの飼育に必要な条件が満たせないので、当面お世話をお願いするつもりだ。
「僕はユヅキが心配だよ。このあいだ無理やりラジエルを引き取ろうとしたのだって、ユヅキとは別人みたいだったし……何かあったのかも」
「そうですわね、心配ですわね」
ヴィオレッタとしては自業自得だと思うが、トロピコは心優しい少年なので、きっとそんなユヅキのことも放っておかないのだろう。
「ユヅキのことは心配だけど、今のユヅキにはちょっとラジエルを預けられないかな。やっぱり僕がお世話することにしたよ」
「わたくしも、ぜひお願いしたいですわ」
「うん。もう、どんなにお願いされてもちゃんと断ることにする」
そこでトロピコは自信なさげに眉をさげた。
「ユヅキはかわいいから、断れるかどうか分からないけど……」
「それはがんばってほしいですわ……」
「たぶん無理だよ。僕はユヅキのこととなるとなんだかおかしくなってしまうんだ。どうしてなのか、本当に分からないんだけどさ。自分でも情けないよ」
ゲームの強制力を考えたら、彼のせいばかりとも言いがたいが、ラジエルの身の安全は彼にかかっているので、なんとしてもがんばってほしいところだ。
「それで考えてみたんだけど、もしものときはヴィオレッタ嬢にも連絡が行くといいと思ったんだ」
トロピコはそういって、学園用の鞄をごそごそと漁った。
「今日はこれをあげようと思って」
彼が取り出したのは、犬笛に似た、小さな金属の筒だった。筒に見知らぬおじさんの彫刻が入っている。
ヴィオレッタはそのアイテムに見覚えがあったので、たいそうぎょっとした。
トロピコはそんなヴィオレッタに気づかず、にこにこと無邪気に言う。
「『聖フランチェスコの魔笛』っていうんだけどさ」
――『魔』なのか『聖』なのか……?
ゲーム製作元の雑なネーミングセンスが光る一品だ。
フランチェスコさんというのは、昔の偉人で、動物たちの守り神だと言われている人だ。
ヴィオレッタの世界ではそうらしいと小さいころに習ったが、地球でもそうなのかは分からない。
万が一実在する聖人だったとしても、犬笛にまつわるエピソードはないだろうと思う。聖人というのはたいてい古代から中世ヨーロッパにかけて活躍しているが、犬笛のような、金属製で、人間の可聴範囲外の『超音波』の概念が必要とされる高度技術の代物が、そのころの技術で作れたとは思えない。
――普通、そこは角笛とかにしておくべきよね。
おそらく、角笛だとちょっと大きすぎて身に着けるには向かないから、犬笛に設定されたのだろう。
「これはね、僕が一生懸命毎日お祈りをして、少しずつ力を貯めたものなんだ。強い効果は期待できないかもしれないけど、これがあったらラジエルとも少しはお話できるようになると思う。試しに持ってみて」
彼に促されるまま、何とかという聖人の魔笛につけられた鎖を首にかける。
すると、キンキンする高い声で、「ヴィオレッタ様~~~~~!」と言われた。
「うわあああ!?」
思わず外したヴィオレッタの耳に、窓の外でバウバウと鳴いているラジエルの声が届く。
もう一度身に着ける。
「ヴィオレッタ様~~~~~!! 私も中に入れてええええ~~~~~!! いい子にしてるからあああ~~~~!! お外寒いいいいいい!!!」
おそらくはこの透き通ったソプラノ声がラジエルなのだろう。推定年齢十歳未満の、小さな女の子の声だ。
「あらごめんなさいね。おうち入る?」
ヴィオレッタが立ち上がると、トロピコがしぶい顔をした。
「ヴィオレッタ嬢、甘やかす必要はないよ。魔獣たちにはちゃんと上下関係を教えておかないと、あとで苦労するよ」
「そ、そうかしら……」
「ヴィオレッタ様ああああ~~~~!! 私いい子にしてるからああああああ~~~~!! 盗み食いもいたずらもしないからああ~~~~!!」
「……ああ言ってるけど……」
ヴィオレッタが思わず窓の外を指さす。
「……こんな感じで、お互い、何百メートルかの距離だったら、会話が届くと思う」
トロピコは無邪気に無視をした。
「それは、ありがたいのですけれど……」
ヴィオレッタはなんと言えばいいのかが分からない。
「ヴィオレッタ様あああああ~~~~~!! おうち~~~~~~~~!!」
ラジエルが鳴いている。
トロピコは窓の外に向かって、「こら!」と叱りつけた。
「ここは人間の食べ物を扱うところだから入っちゃダメって、僕ちゃんと説明したでしょう!? ごはんを食べるところに入るときは肉球を消毒してからだよ!」
「そんなあああ~~~~~!!」
ヴィオレッタはキンキン声に耐えられなくなり、思わず笛を外した。
「……ごめんね。あとでもうちょっとしつけをしておく」
「え、ええ……」
さすがは魔獣調教師のエリート家門。しつけのレベルが半端じゃなく高い。
ヴィオレッタとしては「そこまで厳しくしなくても」と思わないでもなかったが、魔獣の飼育に関しては彼の方がプロなので、余計なことを言うのはやめた。
「魔笛だけでは不十分かもしれないけど、ないよりはマシだから。もしもまた僕がユヅキの言いなりになりそうだったら、止めてほしいな」
「もちろん、協力しますわ。でも……これ、とても大事なものなのでは……?」
――ていうか、攻略アイテムよね。どう見ても。
ティグレの『騎士勲章』と同じで、これはある程度トロピコと仲良くなったときに、特定のイベントをクリアすると、好意の証としてもらえるものだ。
条件は光属性の魔法が120以上。
竜の卵を一緒に孵すイベントを終えていること。
もちろんヴィオレッタはまだ光属性の魔法が一切使えない。
竜のヒナを孵すイベントもやっていない。
――受け取ったら、ユヅキ様がうるさそうよね……
「お祈りに時間がかかっただけで、そんなに大したものじゃないよ。また一から作ればいいもの」
「わたくしにこんな大切なものを預けて大丈夫なんですの? それこそユヅキ様に預けたほうが……」
「うーん……」
トロピコは軽くうなると、目がなくなるくらい細めて、にこりとした。
「これは、ヴィオレッタ嬢に受け取ってほしいな。僕はラジエルのためにがんばる君を見ているうちに、すっかり君のファンになっちゃったんだよ!」
白い歯を見せ、とびっきりの笑顔で言う彼に、ヴィオレッタは動揺した。
――えっ、ちょっと、か、かわいい……かわいいけど、えっ、ちょっと……
ユヅキが怒ったらどうしよう。そう思いつつ、ヴィオレッタは、受け取れない、とは言えなかった。
トロピコは元気が一番の男の子だ。
悲しませるのは解釈違いだった。
なんとなくヴィオレッタは、トロピコのステータスを確認してみた。
前回確認したときの好感度は20前後で、『明日死のうとどうでもいい』と言われていた。
しかし今回はプラス60前後にまで上がっていた。
――うそ……光属性の魔法未習得で好感度60って……
60は大親友ぐらいの距離感だ。このくらいになると、受け答えにもほのかに恋愛感情が混ざるようになってくる。光魔法未習得の縛りプレイでトロピコの好感度をここまで持っていけることはほとんどないのではないだろうか。
コメント欄には『ヴィオレッタ嬢のシスター服姿もすっごく可愛いよね!』とあった。
――シスターさん萌え強い……!!
これもうほとんどコスプレが気に入られているだけなのではないかとヴィオレッタは若干の疑問を抱きつつ、魔笛のことはユヅキには死ぬまで黙っておこうと心に誓うのだった。
「ヴィオレッタ様~~~~!!」
ラジエルの遠吠えは、夕闇のティーサロンにいつまでも響き渡った。