エマの秘密
「とにかく、ヴィオにペットなんか必要ないよ。この危険生物は私が隔離しとくし、大丈夫。ヴィオが心配することなんか何にもないよ?」
――むしろ心配ごとしかないのですけども……
ラジエルのことはとても気になったが、ヴィオレッタはすごすごと引き下がることにした。
――困ったわねぇ……
寮の廊下を行くと、寮母の女性がホールにいた。割とおっかないお母さんといった感じの人だ。
ヴィオレッタはとことこと近寄っていって、彼女に耳打ちをした。
「ユヅキ様、お部屋で内緒でペット飼ってらっしゃいましたわよ」
「なんですって?」
もちろんだが、寮はペット禁止である。
ユヅキにはゲームの強制力があるので、どこまで成功するかは分からないが、一応言うだけ言ってみるべきだろう。
「しかもあのペット、聖獣でしたわ。飼育に特別な知識がいるやつですのよ。あのままだと虐待になってしまうかもしれませんわ」
「すぐに保護しないと」
「預け先はアランジャータ伯爵家がいいと思いますわ」
ヴィオレッタは告げ口を終えると、さっさと逃げた。
ユヅキが追ってきたらと思うと、とてもじゃないが怖くてここにいられない。
ヴィオレッタはしばらく庭の木陰に身をひそめ、ユヅキの部屋があるあたりの窓を観察してみたが、とくに動きらしい動きはなかった。
寮母が取り押さえてくれるのを期待していたが、まだ行っていないのか、それとも行ったのにユヅキの聖女候補の力で追い返されたのか。窓の外からではなんとも判断できない。とりあえず、思い余ったユヅキが窓からラジエルを投げ捨てたりなどしていないことだけは確かだ。
――他にも何か手を打ったほうがよさそうね。どうしようかしら……
悩んでいたら、いきなり後ろから肩を叩かれた。
「うわあああああ!?」
これでも植木に隠れているつもりだったヴィオレッタは、心臓が止まるかと思うほど驚いた。
「すみません、そんなに驚かせるつもりは……」
後ろに立っていたのは、エマだった。
のほほんとした優しげな顔立ちに、戸惑ったような色を浮かべ、ヴィオレッタを見下ろしている。
「……そんなところで何をなさっているのです?」
はたから見たら不審人物丸出しの行動に、ヴィオレッタは今更ながら慌てた。
「これにはわけが……」
「ここから何が見えるんです?」
エマはヴィオレッタの横に座り込んで、木陰の隙間を覗き込む。
これではヴィオレッタが女子寮を監視していた変態だと思われてしまう。
「あああのですね、これは」
簡単に、ペットがユヅキに連れていかれてしまったことを説明すると、幸いなことにエマはすぐに信じてくれた。
「それは大変ですね。さぞやご心配でしょう」
エマにはもともとユヅキの強制力が効きにくかったというが、信じてくれる人がいるというだけでもだいぶ心強い。
「どうにかして取り返したいのですけれど、ユヅキ様には聖女候補の加護がついていますから、どうしようか考え中でしたの」
「おそろしい力ですが……でも、彼女はどうしてそんなことを? ペットを奪い取るのに大層な力を使ってどうするんでしょうか」
「ええと……わたくしがペットを可愛がっているのはキャラに合わないとかなんとか……?」
エマはなんだそれ、という顔をしている。
そんな顔をされても、ヴィオレッタにもどう説明していいものか。
「イメージ通りだと思いますが……ユヅキ嬢はヴィオレッタ嬢を何だと思っているのですか?」
「わたくしにも分かりませんわ。とにかく、わたくしのお友達はユヅキ様だけでいいと……要するに、嫉妬するということなのかしら? わたくしの興味がユヅキ様以外に向くのがお嫌なのでしょうね」
「ええと……」
エマは困ったように額を手で押さえた。
「……すみません、全然分かりません……」
「ユヅキ様は少しおかしいのですわ。理解なさる必要なんてないかと」
ヴィオレッタがため息とともにそう言うと、エマは遠慮がちに手をあげた。
「事情はよく分かりませんが、聖女候補の力が問題ということでしたら、僕が行って、取り返してきましょうか?」
ヴィオレッタは目をぱちくりした。
「危険ですわ! 相手はあのユヅキ様ですのよ?」
「僕にはあんまり効かないみたいなので……おそらくユヅキ嬢も、ペットを盗むのは犯罪だと分かっているでしょうし、理詰めで説得したら聞いてもらえそうな気がします」
救世主だ。
救世主が登場した。
ヴィオレッタは瞬間的に気分がアガッたが、まだ問題が山積みだということを思い出して、肩を落とした。
「……あと、そのペットは聖獣なのですけれど、神様の知恵を持っている可能性があって……」
「すみません、それは僕に理解できそうなお話ですか?」
ヴィオレッタは困ってしまった。
原作乙女ゲーの知識がない人に説明をするのはとても難しい。
「エマ様、聖獣のことはご存じ?」
「ええ……そちらの神様の使い魔ですよね」
「そうですわ。それで、ユヅキ様がおっしゃるには、わたくしのペットはその中でも特別な力を持っているということなんですの。そんな特別な個体がわたくしのところに偶然来ることはありえないから、きっとその子は悪い子で、何らかの下心があって接近してきたはずだとおっしゃっていましたわ」
「下心……ですか」
「でも、わたくしにはとてもそうは見えないのですわ。ユヅキ様の誤解を解かないことには、引き渡しに応じてもらえないかも……」
正攻法で行ってもダメなら、無理やりにでも捕まえてくるしかない。
「どうにかしてわたくしがユヅキ様を寮の外に連れ出して時間を稼ぎますから、そのすきに連れ出していただくとか……」
エマはそこで軽く両手をあげた。
「いえ、たぶん、大丈夫だと思いますよ」
エマの、ほんわかした緊張感のない笑み。いつもの表情だ。ヴィオレッタの好きな顏だったが、今は少々場違いに感じる。
危機感から焦りまくっているヴィオレッタに、エマはのほほんと言う。
「内緒にしていたのですが、実は僕も特殊スキルを持っていまして」
「なんですと」
ヴィオレッタはかなりびっくりしたのだが、エマはまったくなんでもないように言う。
「でも、だいぶ変わった能力ですから、薄気味悪いと思われることも多くて、お話しできずにいました」
――あら? サラッとおっしゃっているけれど、結構重い話だったりする?
能力が原因で敬遠された経験がある、ということは、ヴィオレッタに打ち明けるのも勇気がいったろう。
しかしエマは相変わらず温厚そうなレトリバーそっくりの顏でにこにこしている。
ヴィオレッタは突っ込んでいいのかどうか迷った。
迷っているすきに、当のエマがまったく何でもないかのようなトーンでにこにこと言う。
「相手の記憶から僕のことだけが消えてしまう、というスキルなのですが」
また業が深そうなスキルだ。
「ヴィオレッタ嬢も、僕のことを覚えていなかったでしょう?」
「ええ……あ、あれも、スキルでしたの?」
「僕には一日に三回ほど、人の記憶から消えてしまう『強制リセット』のスキルを持っていまして」
――一日三回ってかなり頻繁ね。
もしも出会った全員にそのスキルが発動しているのなら、ユヅキの聖女候補なみにすごいスキルだ。
――そういえばわたくし、パルフェ学園の生徒は全員覚えているはずなのに、なぜかエマ様のことだけ分からなかったのよね。
「本当は、ヴィオレッタ嬢も僕のことを忘れているはずだったのですが……なぜか、ヴィオレッタ嬢が学園を退学したあたりから記憶が消えていないようなのです。でも、ヴィオレッタ嬢がそれで僕に何か危害を加えるわけでもないですし、問題ありませんよね?」
エマは軽く言っているが、なかなかに重たい発言だとヴィオレッタは思った。
――つまりそれって、究極のぼっちってことよね。
ひとりも知り合いがいない学園生活を送っていたらさぞ寂しいに違いない。
「ええ。まったく問題ありませんわ」
「本当はもっと早くにお話をするべきだったのですが……」
「言えなかったお気持ちも分かりますから、そんなに恐縮なさらないで」
エマが照れたような笑みを浮かべる。
「……僕は、あなたのそういうところが素敵だと思います」
真正面から言われるとヴィオレッタも照れてしまう。エマと顔を見合わせ、笑い合った。
彼からは、よこしまな意図などは何も感じない。悪辣な人間というものは、どんなに隠していても言動の端々に腹黒そうな発言がちらほらと垣間見えるものだが、エマにはそういったものが一切感じられなかった。
エマがいい人であることは短い付き合いの中でも分かっていることだ。
「今はちょうど夕暮れどき……リセットの時間がやってきます。なので、さっと取り返して、さっと忘却させてきますね」
「あの、わたくしも一緒に……」
「まあまあ。大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのかは不明だが、エマはとことこと勝手に寮へ歩いていってしまった。
――本当に大丈夫なのかしら?
ヴィオレッタは改めて繁みの中に座り直し、窓を見上げた。カーテンのかかったそれに動きはない。
――それにしても便利なスキルね。
出会った全員にかかるほど強力なのであれば、犯罪がし放題であるような気がする。何をしても、リセットの時間まで逃げ切れば捕まることはない。だって、みんな忘れてしまうのだから。
――でも、寂しいわ。
ヴィオレッタだったらそんなスキルはいらない、と思う。なんだか性格が歪みそうだ。ユヅキみたいに。
同じようにチートなスキルをもらっても、エマの性格がユヅキのように歪んでいないというのは、それだけですごいことなのかもしれないとヴィオレッタは思った。
考えているうちに、軽やかに駆ける動物の足音が近づいてきた。
ラジエルを連れたエマが戻ってきたのだ。
「ラジエル~ッ!」
キュンキュンと鳴きながら威勢よく飛びかかってくるラジエルを、ヴィオレッタはしっかりと抱き留めた。
――あとはとっとと逃げる!
ヴィオレッタはエマにお礼を言って、さっさと学園から離脱した。