ユヅキとネタバレ
主人公のユヅキは今日も華麗にバグっていた。
「やぁ~んヴィオ~、私の部屋まで押しかけてくるなんて大胆~! なあに? どうしたの?」
ユヅキの寮部屋は白い家具とピンクのカーテンでかわいらしくまとめてあった。
ポップな色のカーペットに、首輪と口輪をつけたラジエルが、怯えたようにうずくまっている。
ヴィオレッタの顔を見るなり悲しそうな声で鳴いたが、ユヅキに「うるさい」と怒鳴られて、また縮こまってしまった。
「……ユヅキ様、ラジエルは言葉が分かりますから、口輪などしなくても、言って聞かせれば分かりますわ」
「えー? だって怖いもん。ラジエルって言ったら、あの天使でしょ?」
「……あの、って? 『パルフェ学園』に、天使はいなかったはずだと記憶しておりましたが……」
「あれ、知らないの?」
ユヅキは悩むように、頬に人差し指を当てた。
「パルフェ学園は女性向けだから、知らなくてもおかしくないか……いいよ、教えてあげる。ラジエルはね、同じ世界観の別シリーズに出てくるラスボスなんだよ」
「ラスボス……?」
「そう、勇者に倒される、ラスボス」
ユヅキはゴミでも見るような目つきで床に転がっているラジエルを見た。
ラジエルは小さく震えている。
「宇宙創世の秘密をすべて書き記した『ラジエルの書』。これを、記憶を失くした不完全なラジエルと一緒に集めていくって流れでね、彼はそれでこの宇宙が『ひとりの高次元生命体から生み出された』『実体のない電子空間』であることを知るってわけ。まあ、ゲーム世界だから、メタ的な設定ってやつ?」
ユヅキの言いたいことは分かったので、ヴィオレッタはうなずいた。
「そしてすべてのラジエルの書を集めて、完全な天使の力を取り戻したラジエルは、神様の兵器としての力も完全に覚醒してしまって、この宇宙を創世した高次元生命体――つまり神様に身体を乗っ取られるんだよ。神様が、『もう飽きたから、ここを壊して、新しい宇宙を作ろう』と思ったせいで、ね」
ヴィオレッタは壮大なネタバレになんとも言えない気持ちになった。
――長編小説なら二十巻目ぐらいで明らかになりそうなエピソードね、それ……
男性向けゲームの方は長く続いていて、シリーズの関連作が十作くらい出ていると聞いたことがあるが、これは最後の方に出たゲームの内容だという感じがする。
もしも今後プレイすることがあるなら、ネタバレのせいでつまらなくなりそうだ。
もっとも、もう心配はいらないのだが。
「そこに転がってる犬がそのラジエルなのかは分からないよ? 『パルフェ学園』の時間軸は明らかになってなかったし、『ラジエルの書編』と同時期だったとはちょっと考えにくい。もしも同じ個体だったとしても、まだその子は本当に赤ちゃんって感じだから、パルフェ学園が終わってから何百年もあとにラジエルの書編が始まるのかもしれない。天使って基本不死身で、めったなことがなければ消滅しないからね」
――詳しいわね。
ユヅキはシリーズの関連作も含めてやり込んでいるのだろうか? ヴィオレッタも『パルフェ学園』の出来事ならそこそこ分かるが、関連作に出てきたネタまでは分からない。
「とにかく、重要なのはラジエルが『世界創世の秘密』を知っているってこと。そして、ピコちゃんがラジエルとお話できるってことだよ。細かな部分で破綻があっても私の主人公の座は揺るがないって、ちゃんと分かってるけど……でも、不確定要素が多くなりすぎるのは不安なの。だから、せめて私が聖女王になるまでは黙っていてもらおうと思って」
口輪をされたラジエルは、小さくなって震えている。
「……ユヅキ様のお考えは分かりましたわ」
今の話からするに、要は彼女のゲームを邪魔しなければいいのだということは分かった。
「でしたら、わたくしの方からも、ラジエルには神様経由の知識を喋らないようによく言い聞かせておきますわ。この子は賢いですから、それでユヅキ様の御心配もなくなるかと……」
「え、本当? それは助かるかも」
「では、ラジエルを返してくださいますわよね?」
ヴィオレッタがうかがうようにユヅキの顔色を見ると、彼女もまた、不透明なまなざしで、ヴィオレッタを探るように見返してきた。
何だろう、とヴィオレッタは思う。
まだ何か、不都合があるのだろうか。
「ユヅキ様にはまだゲーム本編の攻略が残っていらっしゃるでしょうし、聖獣のお世話は大変でしょう?」
「別に。聖獣なんて不死身なんだし、部屋の隅に鎖でつないでおけば大丈夫だよ」
「そんな……! いくらなんでも可哀想ですわ!」
ヴィオレッタはつい、激情に任せて抗議してしまった。
ユヅキは相変わらず、不透明なまなざしで、怒るでもなく、笑うでもなく、ヴィオレッタを見ている。
――何を考えているの?
ユヅキのことは分からない。分からないから、余計に怖い。
それでもヴィオレッタは、なんとか彼女の共感が得られそうなところから話ができないかと思い、一生懸命考えた。
「ユヅキ様だって、鎖につながれて何年も閉じ込められていたらお嫌でしょう? そんな風にされたら、どんなにいい子だってやさぐれてラスボスになってしまいますわ。ラジエルはまだ生まれて間もない聖獣なんですもの、もう少しのびのびとした環境が必要ですわ」
小さい子、弱い生き物に虐待を加えるのは、どんな人間だって良心が痛むだろう。
そう思っての説得だった。
ユヅキは黙ってヴィオレッタの話を聞いていたが、ふいにうつむいて、ぼそりと言った。
「いや」
ヴィオレッタは戸惑った。
まるで言葉を覚えたての幼子のような、不快感を示すためだけの発話。
ヴィオレッタには、何が嫌なのかも、どう嫌なのかも分からない。
「……いや!」
途方に暮れているヴィオレッタに、再度ユヅキが言った。
ユヅキはどこか、血走った眼をしていた。
「だいたいさあ、ヴィオは聖獣なんか飼っちゃ駄目じゃん!」
「……わたくしの属性違いは、申し訳なかったと思っておりますのよ……」
「そうじゃなくて!」
ユヅキはヴィオレッタがぎょっとするような大声で言い、苛立ちを表現するように、ヴィオレッタに詰め寄った。
――な、なになになになに?
かなり近くまで接近されて、ヴィオレッタは焦りまくった。
単純に怖い。
「ゲームのヴィオはペットなんか飼ってなかったでしょ!? ワガママで生意気で、自分のことしか頭にないお姫様だったじゃない!」
確かに、原作のヴィオレッタは甘やかされて育ったお姫様だった。
そして、今でもヴィオレッタは自分が甘やかされたお姫様だという自覚がある。
ゲーム知識を得てから多少振る舞いには気をつけるようになったものの、学園で見かける女の子たちよりもたいていヴィオレッタのほうがワガママで自己中心的だったし、我慢だってそれほどしない。
でも、完全に同じではない。
「そんなヴィオに、初めてできたお友達! それが主人公の私だったはずでしょう!? なのにどうして!? どうしてヴィオは勝手にティグレやピコちゃんたちと打ち解けてるの!? そういうの、完全に解釈違いなんですけど!」
――えっ、そんなにムカついてたの……?
あんまり仲良くなりすぎたらまたユヅキが怒るかもしれないな、とヴィオレッタも一応警戒はしていたが、まさか今の段階でもこれほど怒りをたぎらせていたとは、全然知らなかった。
「そこの犬も! なんで勝手にヴィオんちに住み着いてんの!? 意味分かんない! 絶対こいつも前世の知識持ちか何かだよ! ヴィオ狙いで勝手に歴史を改変して、無害なペットのふりして侵入したに決まってる!」
――えっ……ええ~……?
ヴィオレッタはひたすら困惑した。
そういう推理も成立するのか、と、ユヅキの着眼点に驚くやら呆れるやらだった。
「このペットの中身が変なおじさんだったら、ヴィオ、どうするの!?」
「ど、どうすると言われましても……」
「お風呂や着替えを楽しまれてたかもしれないんだよ!? そんなのって許せる!?」
「え、ええ~……と……」
ヴィオレッタは困り果てて、ラジエルの近くにしゃがみ込んでみた。
「……あなたって、転生者だったの?」
ラジエルに聞くと、彼女はものすごい勢いで首を振った。猛抗議をするように、きゃうんきゃうんと悲鳴を上げる。
「うるさい! 変態犬は黙ってて!」
ユヅキに怒鳴り散らされて、ラジエルは静かになった。
――り、理不尽……!
いくらなんでもあんまりだと思ったので、ヴィオレッタは遠慮がちに聞いてみた。
「……あの……ユヅキ様、なにか証拠はおありですの? ラジエルが転生者だと分かるような……」
「証拠ぉ? あはは、ヴィオったら、おっかしー」
ユヅキは瑞々しい頬を左右非対称にゆがませて、笑った。
「この世界はね、私がクロって思ったことはクロになっちゃうんだよ? だって私、主人公だもん」
くすくすと笑うユヅキに、ヴィオレッタは背筋が寒くなった。
――やっぱりこの子、なんか怖いのよね……