聖獣の秘密
翌日、修道院のアルバイトに行くと、トロピコがラジエル連れで会いにきてくれた。
ラジエルのおなかをわしゃわしゃ撫でまわして遊ぶヴィオレッタに、トロピコがすまなそうに言う。
「昨日はごめんね。僕、アズとヴィオレッタ嬢が仲良くなってくれたらいいなって思って……だいたい、アズはちっとも素直じゃないんだよ」
トロピコは人と仲良くなりたいのならもっと積極的に行かないといけないといったような持論を展開して、アズライトが心配だと述べた。
「アズは絶対にヴィオレッタ嬢から嫌われているからもうティーサロンにも行きたくないって言うんだ。そんなことないよね? ヴィオレッタ嬢はそんなに悪い子じゃないって、僕知ってるもの」
「もちろん他意はございませんが、お名前で笑ってしまうことは、本当に申し訳ないと思っておりますわ……」
「サイ=ショーさんちの名前、そんなに面白いの?」
「うふふ、それ以上おっしゃらないでくださいましね、ツボにはまるとしばらく抜けられないんですのよ」
ヴィオレッタはニヤニヤしないように両頬を自分の手で挟んだ。
寝っ転がっていたラジエルがむくりと起きて、ヴィオレッタに冷たく濡れた鼻先を押しつけてくる。
ラジエルが可愛いやら話がおかしいやらで、ヴィオレッタはだんだん表情が保てなくなってきた。
「お詫びといってはなんですけれど、今度ダンスパーティがあったらお誘いする予定ですのよ」
「うん! あ……でも、アズは素直じゃないから、嫌がっちゃうかも……」
「だいたいの事情は昨日ティグレ様からご説明いただきましたから、気にしませんわ」
「ほんと!? ありがとう、ヴィオレッタ嬢! きっとアズも喜ぶよ!」
トロピコがにこにこしている。
彼は『人も魔獣も、みんな仲良く』がモットーの、お友達思いの優しい子なのだ。
ヴィオレッタはほのぼのといい気分になりながら、なんとなく彼のパラメータを見てみた。
今もって彼の好感度はプラス20あたりをうろうろしている。解説によると『顏と名前くらいは知ってる。明日死んでも気にならないくらいどうでもいいけど、これもラジエルの幸せのためだからね』とあった。
――これだけ気さくに遊びにきてくれていても、まだ知人とも思われてないっていうのが不思議よね。
ゲームの設定によると、トロピコは相手の善性をとてもよく見ている。彼を攻略する上で必須のパラメータは『光属性の魔術の習熟度』だ。
ヴィオレッタが『性格・悪』である限り、好感度が低迷するのは仕方がないことなのかもしれない。
嫌いな相手にも公平に優しくできるところがトロピコのいいところなのだ。
――それにしても死んでもどうでもいいとまで言われるとちょっとへこむわね……
ヴィオレッタの性格は悪属性のまま、動く気配を見せない。
「はぁ。あとどのくらいお祈りをしたら神様に届くのかしら。回数が知れたらもう少しやる気がでるのですけれど……」
ヴィオレッタが思わず愚痴をこぼすと、小さなりんごをかじっていたラジエルがむくりと起きて、元気よく鳴いた。
わんわんと何かを訴えかけるようにして吠えているラジエルに耳を傾け、トロピコが言う。
「ラジエルが君に伝えたいことがあるってさ。ええと……すてえたす? を確認して、って」
思わずヴィオレッタがラジエルを凝視すると、彼女は期待にあふれたまなざしでまっすぐヴィオレッタを見返してきた。
ヴィオレッタは『まさかね』と思いつつ、自分のステータスウィンドウを出してみた。
――ヴィオレッタ・シュガー、公爵令嬢、性格・悪……あら? プルダウンのボタンが増えているわ。
パチパチと視線で動かすカーソルの感覚でボタンを押すと、新しい項目が増えていた。
――どれどれ……「性格・善まであとお祈り一万回」……?
ヴィオレッタは再び、ラジエルをまじまじと凝視した。
彼女はまた何か言いたそうにわんわんと吠えている。
「……ええと、ラジエルは、神様からのお告げをヴィオレッタ嬢に教えてあげることができるってさ」
「え、神様のお告げって……」
「お祈りはあと一万回くらい必要だってさ! すごいね、ラジエルは物知りな天使だから、知恵を授けてくれるスキルを使えるのかも?」
――ステータスって……神様のお告げってそういう……?
まさかこのステータスウィンドウがラジエルのスキルだとは思わなかったので、ヴィオレッタはびっくりした。
「ええと、今後もときどきお知らせをするから、ステータスをチェックしてほしいって言ってる」
「ありがとう、ラジエル。これは、あなたが力を貸してくれていたのね」
ヴィオレッタが頭を撫でてあげると、彼女はうれしそうに、高らかに鳴いた。
「それにしてもすごいね、ラジエル! まさかスキル持ちだとは思わなかったな」
「魔獣のスキル持ちって珍しいんですの?」
「いないこともないけど、飼い主に力を貸せる子は初めて見たよ。ラジエル、君はいったいどこから来た子なの?」
ラジエルはアオンッと鳴いた。
「あはは、神様のお使いで来たんだってさ。名前も天使属だから、案外本物の天使だったりして?」
まさかね、なんて言いながらトロピコは笑っている。
「本物の天使と、魔獣って、どう違うんですの?」
「うーん……魔獣は、要するに、魔族の幼生体なんだ。で、天使の幼生体が聖獣。神様から選ばれると、聖獣から天使に変化するんだよ」
――そ、そんな裏設定が……?
ヴィオレッタの記憶にはなかったので、心底驚いた。
どうやら製作会社は乙女ゲー『パルフェ学園』でシェアワールドを採用していたらしく、別の作品群と設定が一部同じというのは聞いていた。
しかしヴィオレッタは男性向けの方をさわり程度しか遊んだことがないので、細かいところはさっぱりだ。
トロピコはラジエルの頭を愛おしそうに撫でた。
「きっと、ヴィオレッタ嬢がちゃんと改心するようにって、特別に神様がお告げをくださったんだね!」
「そうかもしれませんわね」
「一万回なら、朝晩にお祈りして、十年くらいかな?」
「ながっ……」
「あはは、焦らずゆっくりやっていこうよ。僕はずっと応援しているからね!」
――本当にいい子だわ……
ヴィオレッタはトロピコの優しい登場人物っぷりに目頭が熱くなった。もとから優しい世界なのは承知していたが、彼はその中でも抜きん出て心がきれいだ。
――……わたくしは嫌われているけれど……
好感度の低迷も、十年後ぐらいには解消されていることだろう。
道のりは長いが、地道にがんばろう、とヴィオレッタは思った。
***
ヴィオレッタの地味な信仰生活はその後も続き、三か月ほどが経過した。
サロンの方には修道院を介して知り合った貴婦人のお客様が少しずつ増え、ユヅキと和解したといううわさも手伝って、学園の生徒もぽつぽつと通ってくれるようになっていた。
アズライトもトロピコに連れられて何度か顔を出したが、相変わらずツンツンしている。心の氷が溶ける日はまだ遠い。
――まあ、別に溶けなくてもいいのですけれど……
アズライトもまたユヅキの逆ハー要員のひとり。あまり仲良くなりすぎて、ユヅキに睨まれても怖い。
――あの子、確か、『学力』のパラメータチェックで好感度が上下したはずなのよね。
ヴィオレッタの学力は決して低くない。しかしおそらく、アズライトはまだそのことに気づいていないだろう。
――気づかれたらややこしくなりそうだし、当分内緒にしておきましょう。
ユヅキを怒らせない範囲で、ほどほどに仲良くなれればいいとヴィオレッタは思っている。




