ティーサロン 宰相家の子息(3/3)
ティグレは淡々と話を続ける。
「アズライトは、ヴィオレッタ嬢から嫌われているのを気に病んでいるようだった」
「へ?」
ヴィオレッタは嫌った覚えなどないので、ティグレの発言はまったくの予想外だった。
「ダンスパーティなどで一度も一緒に踊ってもらったことがないと本人がこぼしていた」
「……そうだったかしら?」
ヴィオレッタはあんまりダンスが面白いと思ったことがない。場合によってはやたらに触れてくる男性なんかもいるので、誘われるとつい何かされるのではないかと身構えてしまうぐらいだ。
嫌な思いをさせられた相手の記憶は強く残っている一方で、特に何事もなかった人のことはすぐに忘れてしまう。
アズライトのことは何も覚えていない。
ということは、無難にマナーを守って踊ってくれたか、もしくは一度も踊っていないかだ。
「誘ってくださった殿方とは必ず踊っていると思いますから、おそらく、アズライト様からは誘っていただいたことがないのだと……」
「ご両親から止められているのだそうだ。サイ=ショー家は正統派王家の一派だから、反正統王家のシュガー家とは交流しないように、と」
「……さすがに、それはわたくしの知ったことではありませんわ……」
親からダンスするのを止められているというのは分からないでもないが、だからといってヴィオレッタが誘ってくれないことを怒る必要はあるのだろうか。
「サルヴェソルベの公爵家で、年頃の男女というと数えるほどしかいない。ほかの公爵家の嫡男とはいつも仲良くしているようなのに、アズライトだけ無視をするのは、きっとヴィオレッタから成り上がりだと内心見下されているからだろうと……」
「全部ただの被害妄想じゃありませんこと!?」
ヴィオレッタは一度もアズライトのことをそんな風に見たことはない。
ヴィオレッタはびっくりしてしまったが、そういえばアズライトとはあまり交流がなかったことも事実だ。
「えぇ……? ということはつまり、わたくしにどうしろと……?」
「トロピコは、『話してみればヴィオレッタ嬢とだって仲良くなれるだろう』と、まずは行動するように言っていた」
「なるほど……わたくしもそう思いますわ。誘ってくださったら普通にダンスくらい踊りますわよ……」
「だから、家から止められてるのが効いてるんだろう。ヴィオレッタ嬢はアズライトのことなど眼中にもないようだし、名前を聞くといつも大爆笑するしな」
「あぁ……うーん……そう……ですわね……」
決してそんなつもりはなかったが、ヴィオレッタは正直、今の今までアズライトの家が成り上がりだとか、そういうことを考えてみたことがまったくなかった。
もともと劣等感を抱えているところに、ヴィオレッタが名前をきくたび大爆笑などしていたら、悪い方の想像力が働いてしまうかもしれない。
誤解とは言え、ヴィオレッタが大笑いしていたことは確かなので、少し罪悪感が湧いてきた。
――それであんなにつっかかってきていたのね。
どうもヴィオレッタの知らないところでアズライトはかなり傷ついていたようだ。
――うーん、少しお話をしたほうがよさそうね。
「……分かりましたわ。お誘いすればよろしいのでしょう? また次にパーティでお会いしたときにはお声をかけさせていただきますわ」
「そうしてやってくれ」
ティグレは淡々とそう言って、残りのお茶を飲み干した。
「……ティグレ様、学年違いのアズライト様のこと、よくご存じなのですわね」
「そりゃあ、俺はアルテス殿下の安全を守らないといけないからな。ヴィオレッタ嬢も一応は殿下の婚約者だし、不穏な動きをするやつには声をかけることにしていた。今はもう必要ないが、一度は乗りかかった船だからな」
――お兄ちゃん……!
面倒見のいいティグレはゲーム内でも『いいお兄ちゃん』と言われていた。
ティグレとアズライトの交流はゲーム内でも数えるほどしか描かれたことがなかったように思うが、裏ではこうしてつながっていたのかと、ヴィオレッタは少し感動した。
「……ところでヴィオレッタ嬢」
「はい」
「あなたは騎士の家柄についてはどう思っているんだ?」
「……え?」
「下級貴族の分際でダンスに誘うなど身の程知らずだと思っているのだろうか」
「え、いえ、そんな……」
「これまでは、アルテス殿下のついでに相手をしてくれていたと思うが。……俺が個人的に声をかけたら迷惑になってしまうのだろうか」
ティグレがまっすぐ見つめてくるので、ヴィオレッタは動揺して視線を外した。
――か、かわいいわ。参ったわ……
ついうっかり「ダンスくらいなら」と言いたくなったが、ユヅキは怖い。
「そんなの……アルテス様やユヅキ様に顔向けができませんわ」
「そうか……そうかもしれないな」
ティグレは寂しそうに言って、席を立った。
通りに出て、ティグレを見送るところまではなんとか真顔を保っていたヴィオレッタだったが、見えなくなったとたん、顏が崩れて仕方なかった。
――なにあれ、かっわいい!
ヴィオレッタはこれでもずっとアルテスの婚約者をやってきたので、ダンスに誘われる時も全部義理でしかなかった。
熱心に頼まれた経験など一度もなかったような気がする。
婚約破棄騒動で嫁ぎ先が壊滅状態のヴィオレッタには、もうこの先二度と体験できないかもしれない。
――貴重な体験をさせてもらったわ……
今日のことは素敵な思い出としてずっと覚えておこう、などと考えていると、通りの向こうからふいに辻馬車が姿を現した。
「なにかいいことありましたか?」
馬車から降りたエマから開口一番そう言われ、ヴィオレッタはギクリとした。
「あ……ちょっと……」
――いやだわ、顔に出ていたのかしら。
浮かれてニヤニヤしていたのなら、さぞ気持ち悪かっただろう。
エマは慌てて顔を隠したヴィオレッタを見て、おかしそうに笑った。
「正直な方ですね。僕はそういう方が大好きなんです。よかったら、何があったのか聞かせていただけませんか?」
「ええと……くだらないことなのでお恥ずかしいのですけれども……」
サロンへ案内して、お茶を出すついでに、人からダンスに誘われた話を披露すると、エマは笑ってカップを置いた。
「そういうことなら、僕もお誘いするしかありませんよね!」
意気揚々と立ち上がり、キッチンに立つヴィオレッタに手を差し伸べる。
それが社交ダンスのときの形だということに、ヴィオレッタは遅れて気が付いた。
「まあ、ここで踊ってくださいますの?」
「僕はあんまりダンスが得意ではないので、舞踏会でお誘いする勇気はありません。でも練習だったら平気かなと思いまして!」
そんなにかわいいことを言われてしまったら断れるわけもない。
ヴィオレッタは笑いながら、「ワルツでよろしい?」と尋ねた。
人の気配が消えて、シンと静まり返った大広間で寄り添いあって立つのは少し照れくさかったが、エマのリズムが微妙に外れたステップに合わせて、ぎくしゃくしながら動くのは新鮮で、面白かった。
「うふふふ、もう、エマ様ったら」
「すみません……どうにも慣れなくて」
のんびりとしたエマらしいと思い、ヴィオレッタは余計におかしくなってしまった。
「笑われっぱなしなのは悔しいですから、もう少し付き合ってもらいますよ」
ヴィオレッタはその後も何十分か付き合ったが、どれだけ練習してもエマは微妙にズレているので、苦しくなるほど笑ったのだった。