魔獣の襲撃・2
トロピコは、ゲームの攻略対象のひとりで、学園でもヴィオレッタと顔見知りの仲。爵位としてはアランジャータ伯爵家の長男だ。
この世界では後継ぎ息子も実家の爵位で呼ばれることになっているので、彼自身もアランジャータ伯爵と呼ばれている。おそらく、ゲーム的に『伯爵子息』よりも『伯爵』と言い切った方が見栄えがいいとか、そんな理由で設定されたに違いない。
現世では、すっかり主人公・ユヅキのファンになってしまい、彼女の取り巻きをしている。
――どうしてラジエルが、首輪にトロピコ様のお名前をつけているの……?
彼に飼われていたのだろうかとヴィオレッタが訝しんでいたところで、背後から聞き覚えのある声が飛んできた。
「こらー! ラジエルー! 脱走するなって何度言ったら分かるんだ! はやく戻ってこーい! あ、家主さんすみませーん、すぐに連れて帰りますのでー……って……」
ヴィオレッタとティグレが同時に彼の方を振り返ると、彼は露骨に顔をひきつらせた。
「うわあ……ここ、ヴィオレッタ嬢の家か……賠償金、高そうだなぁ……」
どうやら事情はトロピコが知っていそうだった。
ひとまずヴィオレッタは、トロピコから事情聴取をするために、彼をサロンへと通した。
***
「ラジエルは僕が山で拾ったんだよ」
トロピコは炭酸入りオレンジジュースのコップを両手でかわいらしく持ちながら、さらっとそう言った。
ショートカットの金髪にオレンジや緑の細いメッシュが入りまじる、あっちこっちに跳ね散らかった髪型は、見るからに『メロンクリームソーダにパイナップルやサクランボをトッピングしました!』といった雰囲気だ。
「……名前はどうやって知りましたの?」
「ラジエルが自分でそう名乗ったんだよ。知らない? 僕の家は代々王家の竜を管理する調教師なんだ。魔物の言っていることなら、ある程度分かる」
トロピコは乙女ゲー『パルフェ学園』に、竜の調教師の卵として登場する。
ユヅキと一緒に小さな竜のヒナを守って、育児ならぬ育竜に奮闘するシナリオは、『いいパパ』と言われて親しまれていた。
「保護したばっかりのころは飼い主の属性に影響されすぎて発狂寸前だったんだけど、二、三日したらかなり落ち着いてきてさ」
ヴィオレッタはドキリとした。
「わたくしの属性が魔獣に影響しますの?」
「するよ、もちろん。魔獣は飼い主から魔力をもらって生きてるんだ。この子、名前が天使属だろう? たぶん、本来は光属性の聖獣の眷属だよ」
ヴィオレッタは窓の外で待機している大きなラジエルを振り返った。
とたん、ラジエルがぶんぶんとしっぽを振って喜びを表現してくれる。
――かっ、かわいい!
「君こそ、どうやってラジエルの名前を知ったんだい?」
「拾った時の段ボールに書いてあったのですわ。『名前はラジエルです。かわいがってね』って」
「光属性だから飼いきれなくて捨てたのかな……ひどいことをするなぁ」
トロピコは、きっとヴィオレッタをにらみつけた。
「君も、魔獣を飼うための基礎知識もないくせに、どうして拾ったりしたんだい? 無責任だね」
「だ、だって、当時は、ただのかわいい子猫ちゃんだと思っておりましたもの……」
「あの子、僕が保護したときにもう体重が三十キロあったんだけど?」
体重三十キロは、ゴールデンレトリバーぐらいの大きさである。
保護した当時は手のひらサイズで本当に猫っぽかったのに、何年も飼ううちに、だんだん大きくなってきたのだ。
普通の猫は一年くらいで成猫になるが、ラジエルはその後も成長を続け、ゴールデンレトリバー級となった。
「ちょ、ちょっと大きめの山猫かな、なんて……」
「調べもせずに勝手に決めつけてたの? 信じられない。僕は君みたいに、無責任にペットを飼う人間が一番嫌いなんだ」
――知ってます。
トロピコの過去シナリオでも、似たようなことを言っていた。小さなころに保護した魔獣を助けてあげられなかったことが彼自身の大きなトラウマになっていたのだ。
「ラジエルには光属性の飼い主が必要だ。僕はユヅキにもらってもらうのが一番だと思ってさ。ほら、光属性の人間ってすごく少ないでしょ?」
そうなのだ。
あらゆる魔法属性の中でも、天然の光属性はレアである。
たいていは聖職者として厳しい修行を送ることで、後天的に身に着ける。
「でもユヅキは、寮の部屋が狭いから大きなペットは飼えない、って言っててさ」
そりゃそうだ、とヴィオレッタは思った。
現在のラジエルは大きさが五メートルくらいある。
学園の庭で飼うにしても無理がある。
「しばらくは光属性の魔法の勉強にも専念したいから、魔力を取られるのも困るし、聖女になってから考えたいって言ってるんだ」
そこでトロピコはうっすらと頬を染めた。
「僕と一緒に……」
――か、可哀想……
ヴィオレッタはさすがに同情してしまった。
トロピコにはユヅキとグルになってイジメられたという恨みがあるが、岡惚れしている相手があのユヅキだと、どうにも恨むに恨めない。
彼もまたユヅキに騙されている被害者という風に見えてしまう。
――でも、ユヅキ様すっごく怖いから、あえて深入りはしないでおきましょう。
ヴィオレッタは薄情だった。
闇属性の女はたいていそうである。
「ところで、トロピコ様も光属性ではいらっしゃらなかったと思うのですけれど」
「うん? そうだね。僕は火だよ」
「では、どうやってラジエルの世話をしているのでございますか? 方法を教えていただければ、あとはわたくしのほうで引き取らせていただけるのですが」
「僕が飼ってる火の魔獣の中に、光属性も持ってる母親の個体がいてさ。その子に面倒みてもらってるんだ」
「なるほど、合わせて飼っているのですわね。では、闇属性と光属性を併せ持っている魔獣は……」
「いないよ」
トロピコは怒ったように言い、からになったコップをヴィオレッタにつきだした。
「学校で習わなかった? 光と闇は対立していて、両方取得することはできないって」
「習いました……」
ヴィオレッタは一生懸命考えた。
窓の外ではラジエルが、健気なまなざしをヴィオレッタに送ってきている。
脱走してくるくらいなのだから、きっとあの子もヴィオレッタのもとに帰ってきたいに違いないのだ。
「じゃ、じゃあ、間にもう何匹か魔獣を挟めばよろしいのではございません? 六匹くらい飼えば、こう、グラデーションに……」
「設備もない初心者には絶対無理。経験豊富な僕だって、『調教師』の特殊スキルがなければ無理だよ」
特殊スキルは、一部の人間しか持っていないレアスキルである。
ユヅキの『聖女候補』などがそうだ。
そうなると、ヴィオレッタにはお手上げだった。