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バレンタイン、朱里奮闘記、上

 今年も無事節分が終わり……

「ぜんっっぜん、無事じゃ、なぁぁぁぁぁい!!!!」

「なによ、のっけからナレーションにケチつけないで」

「どこが無事なんですかぁぁぁぁ!!!!」

 神楽神社の境内には、鬼との壮絶な戦いの爪痕が方々に刻まれてる。拝殿の一部は竜巻が通り過ぎたかのようにバラバラに崩され、見るも無残に破壊されていた。

 木はなぎ倒され、手水鉢は割れ、今回戦没した巫女の英霊を祀る石碑が、まだ未完成のまま静かに横たわっている。

「どこが無事なんですかぁぁぁぁ!!!!」

「繰り返さなくたって聞こえてるよ」

「聞こえてるんだったら……」

「あのナレーションをしたのはあたしじゃないし、神楽神社はまだ残ってるし、あたしは無事だし、アンタも無事だし、日本も無事でしょ? なにが不満なのよ……」

「……」

 毎度のことながら、この、感性の違いすぎる巫女をどう説得したら理解してもらえるのだろう……。

「あ、わかった!」

「え……?」

「豆の片付けが嫌なんでしょ?」

「違います!!」

 しかし確かに、境内のいたるところに散らばる炒り豆の数は尋常じゃない。去年とは違い、アルバイトではない朱里はこれを片付けなければならないわけだが……。

「なんで豆のミサイルを用意できる神社なのに、掃除は人力なんですか!!」

そんな朱里の両手に握られているのはよくある黄土色の竹箒だ。

「え、だって、巫女と言えば竹箒で境内の掃除でしょ?」

「そんなの偏見ですーーー!!」

「だって、一応このお話は萌えを目指してんのよ? 巫女に萌えるとしたら掃除でしょ?」

「絶対何かが違うと思います!」

 言いながら、しかたないので、豆を掃いてまとめる。櫻花も慣れた手つきで竹箒を扱った。

 しばらく、竹の枝が石畳をこする音だけが二月の空気に混ざって消える。

 緋袴が境内をそよぐ風にゆれ、朱里は小さく身を震わせた。


「そういえば……」

 箒の手は休めず、朱里は顔を上げた。

「櫻花さん、バレンタインはどうするんですか?」

 説明するまでもないが、日本では節分から二週間もたたないうちに外来種の行事が控えている。いやむしろ、若い女性にとっては、二月は節分よりそちらの方が馴染み深い、というか重要だろう。もともとは古代、ローマ帝国の司祭ヴァレンティヌスの行いが起源とされるようだが、今の日本に面影を残す要素は名前しかない。

「え? なに?」

「聞いてなかったんですか? バレンタインです」

「いや、聞いてたよ。なにそのバンダインって。なんかのロボット?」

「へ?」

「バンダインって言わなかった?」

「いえ、バレンタインです」

「バレンタイン……?」

 手を止める櫻花。朱里のほうを見て、そのままになっている。

「はい、バレンタインですけど……」

 つられて手が止まる朱里。二人の間に、白い空気が流れる。

「バレンタイン?」

「はい」

「なにそれ」

「は!?」

「バンテリンなら知ってる」

「塗り薬じゃありません!!」

「だよねぇ。バンテリンどうするの? って聞かれても、『あたしは買ってない』って答えるしかないもん」

「だから、バレンタインですって。櫻花さんとかって、誰かにチョコあげるのかなって思って……」

「チョコ……? なんであたしが誰かにチョコあげなきゃいけないの?」

「は……?」

「そんなの、あたしがほしいくらいだよ」

「待って待って待って待って……」

 朱里は、理解するまでの時間をしばしもらうために、櫻花から視線をはずして少し首をかしげた。

 今までの会話を整理する。しかし思い当たる結論は一つしかない。それは、日本に生きる女子としてはありえない事実……。

「ひょっとして、櫻花さん、バレンタインを知らないとか……?」

「知らないよ。ここをどこだと思ってるの?」

「え……?」

「神社だよ? そんな横文字っぽい何かがあるわけないでしょ」

「チョコだって横文字じゃないですかぁぁ!!」

「チョコはスーパーにも売ってるからね。そのバレンタインっていうのは、スーパーで売ってるの?」

「……」

 ……この昭和世代は今の今までどういう生き方をしてきたのだろう。朱里は気になって仕方がないが、とにかくバレンタインの説明をしてあげないといけない。


「バレンタインデーっていうのはつまり、えっと……女の子が、好きな男の人にチョコをあげて、"好きなんだよ"ってことを知ってもらう日です」

「最近じゃそんな日があるの?」

「最近とかじゃなくて……」

 朱里も起源はしらないが、生まれた頃から普通にあったイベントだけに、もちろん昭和にもあった行事だと信じて疑わない。(いや、実際あった)

「言っとくけどねぇ、日本じゃ節分が終わったら桃の節句なのよ」

「あなたは何時代の人ですか……」

 どうやら本当に知らないらしい。朱里は他の事に興味が沸いた。

「え、でも櫻花さんも、さすがにクリスマスは知ってますよね?」

「それは知ってるよ。天皇陛下ご生誕記念の後夜祭でしょ?」

「え……。たぶん、違うと思います」

「違わないよ。天皇陛下がお生まれになった日を外国人が祝ってるんだよ。なかなか殊勝な精神だなって思ったから覚えてる」

「……」

 昭和期にクリスマスはなかったのか……?櫻花のあまりの堂々さに、平成生まれの朱里は押された。今は調べる術もない。朱里は説得?を諦め、気を取り直して向き直る。どっちにしても本題はバレンタインだ。

「そうすると、櫻花さんはバレンタインは何もしないんですね」

「アンタは何かすんの? 誰かにチョコあげるんだったらあたしにちょうだい」

「……男の人にあげるんですってば……」

「えーーー、じゃあ、だれにあげんの?」

「……」

 朱里は言いよどむ。わざわざ櫻花にバレンタインの探りを入れたのには理由があった。


 当たり前だが、神楽神社には定期的にお札やお守りの搬入がある。青森県の霊峰に湧く冷水で洗い清めた板や糸を使い、その場で製作されたものを、専用の封印箱に入れて運んでくる。

 その際、不純物が混ざることのないように、専門の運び屋が神社に配って回るのが通例だ。それを、架沓師かくつしという。

 昔はそれこそ徒歩で全国を回っていたようで、己のくつで神社と神社に橋を架ける者……というところから、そのような名前がついているらしい。霊験灼かな神具の運び手として、神の使いとして扱われていた。

 ……朱里がその架沓師に初めて会ったのは去年の十二月だった。

「ちわー」

 正月の準備にかりだされて、拝殿の周りを忙しく行き来していた朱里に声をかけたのは若い青年である。

「あれ? 櫻花さん髪切ったんすか?」

 振り返る朱里。背が高く、目の大きな和服の青年が、江戸時代の薬売りかと思うような巨大な木の箱を背負って立っている。愛嬌のある口元がにっと開いて

「あ、別の人か。ちわー」

 威勢のいい挨拶と共に、頭を掻いた。

「新しい巫女さんっすか?」

「はい、一応」

「札とお守り持ってきたんで、サインもらっていいっすか?」

「わたしのでいいんですか?」

「神楽神社の人なら大丈夫っす……あ!!」

 懐をまさぐっていた彼が不意に大声を上げる。

「しまった、受領証を前の神社に置いてきちまいました! 取りにいってきまっす!!」

「あ、はい……」

 彼は言うなりくるりときびすを返すと、飛脚の如く走り去った。

 ……その男が再び神楽神社に現れたのは一ヶ月も後のこと。

「すんませーーん。遅くなりましたーー。受領書サインお願いしやーす」

「え?」

 再び境内で声をかけられた朱里は、耳を疑った。

「もうずっと前に来てたのかと思いました」

 だって一ヶ月経っている。架沓師は「あはは」と笑った。

「受領書置いてきた神社が島根でしてねー。走ってくと結構時間かかるんす」

「へ? 島根県から走ってきたんですか?」

「ええ、旅費がタダで済みますからね」

 そういう問題じゃない。

「とにかく、サインお願いします……あ!!」

 その時、架沓師は、背中がやけに軽いことに気がついた。

「今度は札入れた箱を置いてきちまいました!! 取りにいってきまっす!!」

「え、え、え!?」

「たぶん次くるの、また一ヵ月後になると思うんで!」

 走り去る背中を目で追った朱里が、頭でカレンダーをめくってみる。

 ……すると、次にくるのはちょうどバレンタインの辺りだ。


 櫻花があきれている。

「……なにがいいのよ……あんなうっかりハチベエ……」

「えー、かっこいいじゃないですかぁ……」

「どこが?」

「島根とここを走って往復してるってすごくないですか?」

「そういうのは、かっこいいっていうんじゃなくて馬鹿だっていうのよ!」

「ジジコンの櫻花さんの基準で考えないでください!」

「ジジコン言うな!!」

「ジジコン以外の何者でもないじゃないですかぁぁ!!」

 櫻花に言われて朱里は一度、彼女のために合コンをセッティングしたことがある。友達のお兄さんの会社の人たちなので、年齢不詳の櫻花とも歳が近い人はいたはずだったのだが……。

「櫻花さん、なんて言ったか覚えてます!?」

 この昭和生まれは、一言「若すぎ」と、あっさり切って捨てた。

「最高齢三十八歳でしたよ!? どこが若いんですか!!」

「男の渋みは六十から出るのよ」

「渋すぎて枯れてます!!」

 櫻花が想いを寄せていたのはなにせ超老齢の彦星だ。赤子の頃に親をなくして、彼女の発育環境に若者が一切いなかったからなのか、恋愛対象の年齢に極端な価値観を持っている。

「とにかく、じゃあ、櫻花さんはあの人にチョコをあげるという発想はないんですね?」

「それ以前にチョコをあげる意味自体がわかんない」

「ならいいんです」

 ライバルはいないということだ。朱里はほっと胸をなでおろした。

「これ終わったら、スーパー行ってきますね」

「あたしも行く」

 ……なんだかんだ言っても仲のいい二人である。


 意気揚々とスーパーを出る櫻花、それに続く朱里……のほうは釈然としない。

「あのーぅ、櫻花さん」

「ん? なに?」

「やっぱりなんかちょっとおかしいと思うんですよ……」

「なにが?」

 ……発端は「あたしもチョコほしい」という言葉だった。

 バレンタインはいつからか、女子同士でも渡し合うこともめずらしくなくなっているから、朱里はそんな提案をしたわけだが……。

「わたしはゴテバのチョコをあげましたよね?」

「ウン、超うれしい」

「で、わたしがもらったのはティロルチョコなわけです」

「そうだね」

「……おかしいですよね?」

「なにが?」

「どう考えても吊り合いません」

 補足の説明をすると、ゴテバのチョコは一粒三百円だ。ティロルチョコは十円である。単純に考えても値段は三十倍違う。朱里はその点を指摘したわけだ。

「ばかねぇ」

 しかし、そんな朱里を櫻花は笑った。

「よく考えてみなよ。今スーパーで使ったPポイントカードあるよね?」

「はい。横文字なのによく知ってますね」

「馬鹿にしてるの? スーパーにあるモノは知ってるわよ。あたしも持ってるし」

 いいから聞きなさい……と、櫻花は話を戻す。

「朱里はお金を支払って、Pポイントももらったよね?」

「はい」

「でも、三千二百円分買って、Pポイントは十六ポイントだよね?」

「そうですね」

「同じことだよ。朱里はゴテバをあたしにくれた。で、戻ってきたのはティロルチョコだった。朱里は支払いをしたわけだけど、それによってちょっと得したわけでしょ?」

「あぁ……なるほど……」

 朱里の首が傾いたままうなずく。それに櫻花は言葉をかぶせた。

「ともかくさ、それをあの架沓師にあげるのがバーンシュタインなの?」

「そうですね」

 ちなみに朱里が握っているチョコは市販のものだ。相手は名前も知らない、ほぼ初対面の青年なわけで、いきなり手作りを渡すのはリスクを感じた。コニャックが練りこまれた赤いハートチョコがハート型に並んでいて、真ん中に小さなメッセージカードが挟めるようになっている。正直、値段に物をいわせた一品であった。

 本命……というにはあまりに彼のことを知らなすぎなのだが、他に渡す人もいない。彼女なりに、久しぶりに渡したい人が見つかったことを楽しもうという思いが、チョコに込められていた。

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