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8月9日、七夕、星に願いを、上

 今年は猛暑ということで構えてはいたが、まさかこんなに暑くなると思いもよらなかった。

 八月。

 ナツヤスミという言葉がよく似合う原色の空。森林浴ができるほどに木々が本殿を覆う神楽神社はこの季節、蝉が音のすべてを支配している。

 が、神社の建物は当然日本建築であり、造りは夏の暑さを逃がすための工夫が随所にされているから、高所ということも含めて、二人の巫女がいるところは思った以上に汗をかかない。

 ナツヤスミのため、巫女舞の稽古は午前中である。そのため、午後の一番暑い時間には、朱里はジャージ姿のまま畳の一室に座り、蝉の声を聞いていた。

 櫻花も間もなくふすまを開けて入ってくる。巫女袴を捌くその所作がまるで茶道の家元のように優雅で美しく、普段の櫻花の豪快さを知る朱里はそれにいつも違和感を感じてしまう。が、彼女は曲がりなりにも神楽神社の次期宮司である。すべての所作には神の御前であるという魂が込められていた。

 そんな彼女の持つ盆には縦長のコップの外側に水滴をいっぱいつけた冷たそうな麦茶が注がれている。伊草の匂いとそのすずしげな光景が、この暑くてたまらない夏の昼下がり、ささやかな贅沢を感じさせた。

「この麦茶は朱里にはあげないよ」

「ええーーーーーーー!!!」

「うそうそ」

 簡単に乗せられてしまう朱里は、思えばこの櫻花に乗せられて、自然と神楽神社に通うようになってしまった。目下、三年後の御神楽奉納で再び日本を救う(?)ために、巫女舞の修行中である。

「今日は何の日だか知ってる?」

 味のある漢数字の日めくりカレンダーに目をやれば、大きな文字で"九"と書いてある。八月も中盤に差し掛かる、今日は九日だ。

「野球の日です」

「違うよ」

「え? ホントですよ」

 実際、野球の日らしい。語呂合わせから日本の某スポーツ用品店が生み出した。

「へー」

 櫻花は、これ以上ないほどに平坦な「へぇ」を投げると、「でもわたしが言いたいのはそれじゃない」と一蹴する。

「え、じゃあ何の日ですか? 矢久の日?」

「作者の日でもない」

「んーと……」

 お盆には少々早いこの真夏のさなかになにがあるのだろう。

「小学校の登校日?」

「違う」

「わたしのデズニーランド行った記念日」

「知らんわ」

「ダイエー一の市」

「考えてしゃべってる?」

 考えても思いつかないからしかたない。一通り出尽くしたところで櫻花は意外なことを言った。

「今日はね。七夕なのよ」

「え?」

 言ったとおり今日は八月九日だ。周知のとおり七夕は七月七日の行事であり、丸い地球に時差はあれど、一ヶ月の時間は埋められない。

 ……そんな困惑の表情を浮かべる朱里の頭を櫻花はなでた。

「日本はもともと太陰暦だからね。本当の七月は今の八月なのよ。だって、考えてもみなよ。今の七月七日なんて梅雨でしょ? 星の行事なのに星もろくに見えない時期に設定するわけないのよ」

 とんでも理論が飛び出したが、確かに八月の上旬なら天の川も燦然と輝いているだろう。

「つまりね、今日は織姫様と彦星様が一年で一度お会いになる日なの」

「今の七月七日には会ってないんですか?」

「会わないよ」

「何でそんなことが分かるんですか?」

 星の都合なのだ。そんなことは櫻花が断定できることではないのではないだろうか。

 が、彼女は事もなげに「わかるよ」と断定した。そして思い出したかのように押入れから巫女装束を取り出すと真綿を取り扱うようにやわらかく、朱里の両腕の上に乗せる。そして言った。

「だって、会うとこ、ここだもん。ほら、準備して」

「へ!?」

 呆気にとられる朱里を、準備を始めた櫻花はもう見てもいない。


 今回は本殿の一室を使用するらしく、さまざまな荷物をこちらの部屋から向こうの部屋へ移動している。正座したままの朱里からみたら、櫻花は見えたり消えたりを繰り返していた。

 その、見えたタイミングで朱里が声をかける。

「あの……ホントに織姫と彦星が……?」

「次からは様をつけたほうがいいよ。神様だから」

「わたしがいてもいいんですか」

「あたりまえでしょ。アンタはどこの巫女だと思ってんの」

「わたし、巫女じゃないと思うんですけど……」

「なにいってんの。神様公認の巫女じゃないの」

 少なくとも次回の巫女舞の一人に、ヤマタノオロチは彼女を指名している。

「じゃあせめてお給料……」

「とにかく!!」

 櫻花が会話をさえぎるように声を上げた。

「七夕になにやるか知ってる?」

「た、七夕……?」

 そういえばそんな話だった。

「えっと……」

 首をかしげる朱里。傾いた耳に、桐の箱を運んできた櫻花の「早く着替えてね」という言葉が入ってくる。

「七夕……」

 七夕など『子供の頃に意識したこともある』程度の認識しかない。その頃の記憶をたどれば、

「短冊にお願い事を書いて笹の葉に結わえます」

「そうそう」

「あ、そうなんですね」

 またにべもなく「違う」と言われると思ったが、意外にも櫻花の望む答えだったようだ。

「彦星様が先にいらっしゃるんだけどね。これをしっかりおもてなして織姫様がいらっしゃるまでがんばると、願いを一つかなえてくれるのよ」

「へぇぇ」

 それはすごい。ぴんと来ないので話半分だが、朱里は無言で首を傾け、目をころころと泳がせた。

(どんなお願いしようかな……)

 彼女の脳裏では、すでにそんな思考が働いているようだった。

「分かったら早く着替えてね。神様にジャージで会うつもり?」

「あ、はい!」

 すでに部屋の準備も進んでいるのにずっと座ったままであった自分に今頃気づく朱里であった。


 拝殿の外から声がしたのは夕方になってからだ。

「悪いけど朱里行って」

 重そうな屏風を運んでいた櫻花がすでに全開に開け放たれている拝殿の入り口を顎で指す。朱里は巫女袴の裾を踏まないようにやや持ち上げると、パタパタと駆けていった。

 拝殿は敷居が高く、広い木製の段が設けられているのだが、その上まで上がりこんで、座敷の前で立っていたのは烏帽子を頭に乗せたタレ目の老人である。朱里を見るなり「こっちだ」と合図をした。

「どちら様ですか?」

「新しい巫女さんか」

「はい。最近神社のお手伝いをしています」

 朱里はこの人が彦星なのだろうと察した。流れからしても間違いないだろう。

「名は?」

「朱里です」

「歳は?」

「二十歳です」

「ちょうどいい。朱里さん、マグロ漁船に興味はないか?」

「へ?」

「説明しよう。ちょっと向こうへ行こうか」

 神社の外を指差した。朱里はこの神社における七夕やそれに携わる神への作法を知らないので、言われたとおりにするのが無難だろうと、言われるがままに草履を履こうとかがむ。

 と、その頭上を突如、巨大な人影が通り過ぎた。次に、弾ける「ぱぁぁぁぁぁん!!」という巨大な音。

「なにーー!?」

 驚いて顔を上げた朱里が何かを言う前に続いたのは櫻花の声だ。

「帰れぇぇぇぇぇぇ!!!!!」

 ぱぁんぱぁんぱぁんぱぁぁん!!!

 右手には巨大なハリセンが握られている。櫻花はその切っ先を返すと、その老人を百叩きにして、最後に蹴っ飛ばし、木製の階段の下まで転がり落とした。

「ひぃぃ!!」

 頭をおさえて一目散に逃げ出す老人。櫻花はその背中に向けて一掴みの塩を投げつけていた。

「あ……あの……」

 やや息の切れている櫻花の背中で呆然と立ち尽くす朱里。

「神様にあんなことしちゃっていいんですか……?」

「馬鹿! 神様じゃないよ」

「へ……?」

「人さらいだよ。あれは」

「ええええーーーーーーーー!!!」

「神様に扮してバイト巫女騙して、いろんなとこに売りつけちゃうの。奴ら巫女とか大好物なんだから、気をつけてよね!!」

「わかるわけないじゃないですかぁぁぁぁぁ!!!!」

 神楽神社はなにが起こるのか、毎度の事ながら朱里にはまったく想像もつかない場所だ。


「なにを騒いでいるんだい」

 その老人は、二人がやり取りしているその脇に、いつの間にかいた。

 先ほどの偽物と同じような烏帽子をかぶり、鸚緑おうりょくの水干を身にまとうその老人は、小柄な朱里と比べてもさらに小柄なのにその存在感は鋭く、触ると高電圧でも流れてきそうな雰囲気だ。

 ……と、朱里が思ったところで、尾てい骨の下にぬっと何かが入ってくるような違和感を感じて飛びのいた。それをいたずらっぽい声が追いかけてくる。

「別に高電圧なんて流れておらんだろ?」

「え……?」

「お久しぶりです。彦星様」

 いろんな意味で呆気にとられて固まってる朱里をよそに、櫻花がその場に正座してかしこまる。

「うむ、今宵の星が満ちるまで待たせてもらうぞ」

 三つ指を立てる櫻花を通り過ぎて歩いてゆく。毎年、待つ部屋は決まっているのだろう。その歩調に迷いはない。

 その形のまま、二人は彫刻のように固まっていたが、やがて朱里が櫻花を見下ろした。

「あれが、彦星……様?」

「うん」

 なんか自然と受け入れていたが思えばもう少し……というか、ものすごく若者をイメージしていた。そんなことを言えば、

「七夕が始まってから何年がたってると思ってんのよ……」

 言われれば確かにそうなのだが、恋愛に携わる神様なんだからもう少し融通を利かせてくれてもいいと思う。しかも、年をとってなお鋭い眼光を携えた彼の顔はりりしく、往年の顔のよさを思わせるだけになおさら残念だった。

 それよりも……

「わたし、さっきおしり触られた気がしたんですけど」

 すると櫻花はカラカラっと笑った。

「あ、やられた? あの方、なにせ一年に一回女の人に会うだけの神様でしょ? もうね、女好きなのよ」

「櫻花さんもやられたことあるんですか?」

「当然」

 もう、わたしなんて好かれちゃって好かれっちゃってね、と、なんだかまんざらでもない様子だ。

「大丈夫。お相手はあたししかできないんだから」

 アンタはおとなしく座ってみてればいいよ、と胸を張る。

「わたしもいるんですか?」

 雰囲気的に夜まで残業だろう。夜勤になれば1,25倍の時給となるはずだが……。

 櫻花はそれを笑った。

「そんなケチくさいこと言わないの。だって、成功したら願いをかなえてくれるのよ?」

「わたしも?」

「うん」

「……どんな願いでも、ですか?」

「日本沈没させてくださいとかは無理だと思うけど、朱里がかなえてほしいくらいのことはだいたいかなうと思うよ」

 ……それは確かに魅力的だ。本当であれば、ここでもらえる時給などすべて吹っ飛ぶくらいものすごい話である。

「相手って……実際なにをすれば……?」

「基本的にはお酒ついであげてればおっけ。だけど、見てればいいよ。あたしがやるから。あ、そうだ」

 正座しっぱなしだった櫻花はようやく立ち上がった。

「これ、かけときなさいよ」

 渡されたのは黒縁のめがねである。おせじにも色気のあるものではない。

「ちょっとはセクハラも減るかもよ」

 櫻花のお決まりのウィンクに、彼女は従うことにする。


 彦星が向かった本殿の内陣……つまり神社の中心……ご神体の祀ってある部屋には、最奥に置かれた巨大な石と、その真上にある神棚、石の前に丸い鏡が置かれている。朱里にはその価値は分からないが、和の神秘というか、特別な空間であることだけは一目にしてわかる。

 床は畳を敷いておらず板張であり、滅多に人も入らないのに手入れが行き届いて光を淡く反射していた。

 神は部屋に入るなり、自分のために用意されたさかずきに酒を注ぐと、ツヤもないその楕円形の石に流し込むようにふりかけた。

「動けんのは不便だな」

 言ってその場に腰掛ける。二人が意図した場所とはまったく別の場所だ。

「あの……座布団があります……けど……」

 朱里がおそるおそる声をかけると、彦星は振り返り、別のことを言った。

「若いのぉ。いくつだ」

「二十歳です」

「織姫も何百年か前はお前さんみたいに若かったんだがね」

 神も歳をとるらしい。

「さぁ、酌をたのむ」

「え?」

 驚いたのは櫻花のほうだ。

「彦星様。先任はわたしですが」

「あぁ、細かいことは気にせんよ」

「あ、いえ、でも、だって……」

 しどろもどろ、明らかに動揺している櫻花を見て、黒縁めがねの朱里が一歩引いて、

「わたし、作法とかも分かりませんし、やっぱり櫻……」

「ああ、大丈夫大丈夫。お主の方がかわいい。いいから

「かっ!?」

 朱里が櫻花の顔を見れば、彼女は神を凝視。凍り付いて瞬きもしない。

「(櫻花さん、行ったほうがいいですか……?)」

「……」

「さ、櫻花さん……?」

「早よ来」

 どうしていいのかわからないままに朱里はお神酒を両手に収め、進み出る。

「名は?」

「朱里です」

「ふむ……」

 お神酒を杯で受けた彦星は一息にそれを喉に流し込んで笑う。そして朱里に手を伸ばしたかと思うと、その肩に手を回して抱き込んだ。

「ひゃ!!」

「お前、代わりに織姫にならんか?」

「は、はい!?」

「あの婆はいささか飽きた。お前がその気なら神にしてやろう」

「はいーーーー!?」

 老人とは思えない腕の力が、万力のように彼女の肩を締め上げて離さない。朱里はばたばたもがきながら何とか逃れようとしたが、そこで櫻花が意外な力で彼女を引っぺがした。

「彦星様。お取り込み中ですが、彼女、持病のつわりが出たようです。あたしが介抱しますから落ち着くまでしばしお待ちを」

 そして有無も言わせず、朱里を引きずるように内陣を出た櫻花であった。

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