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御神楽奉納、巫女舞アルバイト、上

 神楽神社の拝殿の脇には平屋の建物がある。

 その玄関の引き戸の前に立ち、呼び鈴を押した朱里あかりの手には一枚のチラシが握られていた。

 ガラガラガラ、と音を立てて開く引き戸。

「お、久しぶりだね。バイト巫女」

 敷居の向こうには、赤の鮮やかな袴を着る巫女、櫻花さくらの笑顔がある。そんなに美人ではないのだが、笑顔になるととても愛嬌のあるかわいらしさをかもす。神社の顔としてはぴったりの娘だ。

「バイトしに来てくれたんだね」

「違います」

 が、その笑顔に対して朱里の表情は憮然としていた。

「え、だってアンタ、手に持ってんの求人広告じゃないの?」

「そのとおりです!」

「今週の広告ってうちの求人載ってたよね?」

「はい!」

「それ持ってここ来たんだよね?」

「そうですけど!」

「なのにバイトしてかないの?」

「違います!! これはなんですかと聞きにきたんですっっ!!」

「求人広告だよ」

「内容!!!」

 朱里の差し出したチラシをみれば、ご丁寧に神楽神社の欄がピンクの蛍光マーカーで囲ってある。

 そこにはゆるキャラっぽい巫女のイラストがしゃべっているようなデザインでこう書かれていた。

<スタッフ募集! 袴が着られるお仕事してみませんか? 明るく元気な朱里さん大募集!! 年齢学歴不問だから安心ですよ朱里さん。応募資格、朱里さん>

「……わたしのこと名指しじゃないですかぁぁぁ!!!」

「うんうん。今回は一人でよかったからさ」

「答えになってません!!」

「ん? フルネームのほうが分かりやすかったってこと?」

「そうじゃなくて!!」

「ま、いいじゃん。おかげで朱里来たし……」

「そりゃ来ますよ! こんな広告出されたら」

「ホラ大成功」

 ウィンクしてみせる櫻花。

「大成功じゃ、なぁぁぁぁい!!!」

「まぁまぁ、そんなおっきい声出さなくても聞こえるよ。あたし地獄耳だし」

 巫女なのに地獄耳なのか。

 しかし、確かに声を荒げすぎた。神社に参ってる人がちらちらとこっちを見ているし、まずは冷静にならないといけない。

「えと……なんでわたしなんですか?」

「朱里ならお金渡せばなんでもしてくれると思った」

「うきーーーーーーー!!!!」

 ……冷静になれるわけがなかった。


「冗談だよ」

 櫻花はカラカラと笑う。朱里は信じない。

「冗談じゃないですよね?」

「うん」

「どっちですかぁぁ!!」

「まぁ、そういう理由もあった」

 いけしゃあしゃあと言ってのけた後、櫻花は少し背の低い朱里の頭をなでる。

「きれいな子がほしかったんだよ。今回の仕事は巫女舞だから」

「巫女舞……?」

「巫女舞知らない?」

 なんとなくは分かる。

「巫女が舞を舞うんですよね?」

「マンマダネ」

 認識としてはそれで間違いないのだが、軽い気持ちで行ってもらうのは困る。

「三週間後の御神楽奉納で神様来んのよ」

「はい……?」

「そこで踊ってほしいの。よろしくね。バイト巫女」

「まってまってまってまって」

 まだやるとは一言も言ってない。それに、

「神様……って……?」

「神様知らないの?」

「……神様って、あの、神様……?」

「あのかそのかは知らないけど、神様は神様だよ。goodよgood」

「goodは神じゃありませんけど……」

「え? ……まぁいいよ。ここは神社だからね。異境の言葉は知らなくても生きていけるところなの。とにかく神様」

「はぁ……」

 釈然としない。朱里があいまいな相槌をうつと、櫻花は言った。

「考えてもみなよ。神様がいなかったら何のための神社なの?」

「でも、お化け屋敷には本当のお化けはいないですよ」

「ふ……」

 楽しそうに鼻を鳴らす櫻花。

「相変わらずだね。求人出した甲斐があったわ」

「……っていうか求人出さなくても前回履歴書持って行きましたよね」

 電話番号も住所も載っていたはずである。しかし櫻花は首を振った。

「直接会わなきゃ逃げられると思った」

「確かにそうですけど」

 それは自信がある。

「まぁさ、今回のは戦いじゃないし、アンタがかわいいことを見込んでのお願いだし、巫女舞の衣装ってホントきれいだからいい記念にもなると思うよ」

「……」

 そんなふうに言われたら悪い気はしない。朱里がものを考える時の癖、首をかしげて目を泳がせるしぐさをし、櫻花はにこりと微笑んだ。

「とりあえず話だけでも聞いていけば?」

「じゃぁ……話だけ……」

 静かな声と共に敷居をまたいだ朱里。

 ……そのまま香の匂いのただよう部屋へと誘われて、出てくる茶菓子に甘さを感じる頃、ようやく、彼女は自分がすでに蟻地獄の底に落ちていることに気がつくのだった。


 御神楽奉納という神事で神様を前に舞を舞う。絡げればそういう話だ。

 内容を聞いて、朱里がつぶやいた言葉は、

「あのぅ……それって、わたしみたいなのが踊っちゃいけないんじゃないですか?」

 なにせ普通の女子大生である。聞けば聞くほど御神楽奉納という行事は由緒正しいものであり、神道でもなければ特別な修行も行ったことのない自分がしゃしゃり出ていいもののようには思えない。

 畳張りの部屋。障子越しの淡い光に照らされてた畳の上で、置物のように微動だにせず座っている櫻花はしかし、朱里のそのまじめさを笑った。

「いーのいーの。昔はそれこそ神様に近い神職様たちの専売特許だったけどね。今はもう全然、スーダラよスーダラ。お守りはバイト巫女が売ってるんだし、神主は高級外車乗りまわしてるしね。ありがたみも何もあったもんじゃないわよ」

 霊脈の中心でものすごい罰当たりなことを言っている気がする。しかしそのうち、彼女の声にかげりが見えてきた。

「それに……かわいくないと神様が怒るし……」

「神様……」

 その言葉を聞くたびに違和感がある。が、朱里は別のことを聞いた。

「そういえば御神楽奉納の巫女舞って今回が初めてなんですか?」

「そんなわけないでしょ。鎌倉時代が初めって言われてるから……何年前になる?」

「じゃあ最近もやってるんですね」

「毎年ね。でも神様が来るのは三年に一回」

 奉納の際の巫女舞は二人がセットになって舞う。普段は櫻花ともう一人が適当にあてがわれるが、神が来る年はそうはいかない事情がある。

「まずかわいくなきゃダメ。若くなきゃダメ。舞に気持ちがこもってなきゃダメ。とにかくダメダメな神様なのよ」

 しかも、と彼女は言った。

「機嫌を損ねたらまずくてね。日本で何か悪いことが起きてるときはだいたい神様の機嫌が悪いんだから」

「……」

「そういう意味で朱里は合格。かわいいもん」

「はぁ……ありがとうございます」

 いや、しかし、朱里が聞きたいのはそこではない。

「あのぅ……前回の人ってどうしちゃったんですか?」

「え?」

 大げさに驚く櫻花。

「前回の人って……?」

「三年前にも神様が来たんですよね? その時の巫女さんは?」

「ああ。うん。えっと、本宮の巫女さんね。きれいな人だったよ」

「いえ、そうじゃなくて、その人はちゃんとした巫女さんなんでしょう? わたしがやるよりもその人に頼めないんですか?」

「うん。そうだよねー。でもちょっと事情があって……」

「事情?」

 プロを差し置いて自分のような素人が抜擢されるなんて、いかなる事情だというのだ。

 もともと少しほわほわとした性格なので『問い詰める』といった形にはならないが、それでも朱里はそこを執拗に聞きたがる。

 押し問答がだいぶ続いた後、終いには櫻花は意味不明の笑顔で答えてくれた。

「えとね……その人、神様に食べられちゃった。てへぺろ☆」

「は……?」

「その人すごくきれいだったんだけど、ちょっと性格がね……。神様、ちょっと怒っちゃって、ちょっと来いちょっと来いってして……あとはちょっとパクって……」

「……」

「あたし必死に『三秒ルールですよ!?』って言ったんだよ?」

「さ、三秒ルール……?」

 本来は床に落ちた食べ物も三秒以内であればそんなに汚れないから食べても平気……という意味合いを持つ言葉だが……。

「それは舞を三秒までは間違えてもしかたないって意味ですか?」

「ううん、口の中に入れるの三秒までってこと」

「……」

 茶菓子がおいしい。その最後の一口を飲み込んで、朱里はすっくと立ち上がった。

「帰ります」

「待って」

「だってそんな三秒ルール、意味違いますもんっっ!!」

「ふむ……」

 茶をすすり、湯飲みを静かに盆に戻した櫻花が声だけで追いかける。

「アンタ、二週間後の新聞にこう書かれるよ」

「新聞……?」

「朱里というバイト巫女が舞を拒否したために日本沈没」

「なんでですかーーー!!!」

「御神楽奉納の大切さがわかってないみたいだね。いい? 日本っていうのは八百万の神に支えられてるんだよ? それをないがしろにすればこんな火山帯のど真ん中にある国なんてとうの昔に溶岩に沈んでるんだから」

「まってまってまってまって」

 朱里も必死だ。

「なんでそんな重い責任を、お正月と節分に一時間アルバイトしただけのわたしが負えるわけないじゃないですか! しかもアルバイト代850円ですよ!?」

 前回のアルバイトのあと、ユニクロにレギンスを買いに行ったが130円(税抜)も足りなかった額だ。そんなしがないバイト巫女がなぜ日本の将来を左右しなきゃならないのか。

 そんな朱里をしばらくじっと見据えていた櫻花だったが、やがて意を決したように立ち上がり、朱里の肩に手を置いた。

「わかった! じゃあ今回は奮発して870円出そう!!」

「そういう意味ちがぁぁぁぁう!!!」

「なによーー、ノリ悪いなぁ……」

「ノリとかじゃなくて!!」

どういえば伝わるのだ。朱里は息を荒げて、必死に言葉を探す。

「じゃあたとえば870円としましょう。870円で命賭ける人がどこにいるんですか!!」

「え、だって前回850円で命賭けてくれたよね?」

「いや、あれは!!」

 内容をまったく知らされていなかった。

「だって、内容知ったら逃げられると思ったし」

「間違いないです」

「ホラ、作戦成功だったでしょ?」

 彼女がウィンクするたびに自分の寿命が縮まっている気がするのはなぜか。

「ああいう行事の時はアンタに限らずアルバイトには内容知らせないんだよ。誰もやってくれないから」

「そんなの詐欺だーーーー!!」

「アンタってホント食い下がるよねー。そういうとこ気にいってんだ、あたし」

「うれしくないですっ!!」

「じゃあなに、いくらならやってくれるの。……あ、違う、じゃあ、アンタの命の額はいくらだと思ってんのよ」

「え……?」

 難しい問いをしてくる。目がころころと泳ぎ、彼女は思考モードに入ったが、やがて、

「お金じゃないと思う……」

 言った。

 人間は金などでは買えるものではない。人間の尊厳とはそのようなちっぽけな基準では図れないものなのだ。お金じゃない。

「わかった! じゃあ報酬として北海道のクマの木彫りでどうだ!!」

「そういうことじゃなぁぁぁいーーーー!!」

「だってお金じゃないんでしょう?」

「お金じゃないですけどクマの木彫りでもないです!!」

「じゃあなに。六華亭のイチゴチョコみたいなのがいいの?」

「物々交換しなぁぁい!!!」

 しかもイチゴチョコじゃ明らかに熊の木彫りより安い。

「もぅ……わかんないよー。平成世代の考えてることは」

「もうあなたは昭和に帰ってくださいーーーー!!」

「面白い事を言うわ。バイト巫女」

 悪魔のような誘いをかけてきているのに、櫻花は笑うと相変わらず福の神のようだ。


 櫻花の説得はまだ続く。

「お金でもダメ。モノでもダメ。アンタが舞ってくれないと日本が滅ぶってのにどうしたらいいの?」

「まってまって、そもそもおかしくありませんか?」

「ない」

「あるーーーー!!!」

「なにがおかしいのよ」

「だから、わたしが、命を賭けて、日本を、救わないと、いけないのは、なぜですか!」

 分かりやすく、櫻花が勘違いしないように、こま切れに、確実に話す朱里。

「だってアンタ、日本が滅んだら困るでしょう?」

「困りますけど……」

「じゃ、やるしかないじゃない」

「わたし以外にはいないんですかぁぁ!!」

「今から他の人探して時間を浪費して、巫女舞が満足に練習もできずに神様怒らせたらどうするの。……ねえ、朱里」

 その雰囲気がまるで母親が娘を諭すような大きな包容力を帯びる。

「人間はご縁で繋がってるものよ。アンタ、なんだかんだって文句言いながら今ここにいんじゃない。それが、神様が朱里に舞いなさいって言ってるってことだと思うんだよ」

「……」

「大丈夫。ちゃんと練習すれば振り付け自体はそんなに難しいものじゃないから。ね? 日本を救おうよ。あたしたち二人で」

「……」

 なにかがおかしい。おかしいのに、説得され始めてる朱里がいる。

「とりあえずさ、巫女舞の衣装着てみようよ。朱里なら絶対似合うと思うんだよね」

 ここを機とばかりに櫻花はふすまの向こうへ飛び出し、

「手伝ってあげる。ホラ、それ脱いで」

 舌の根も乾かないうちに桐の衣装箱を抱えて戻ってきた。

「え、ここでですか!?」

「大丈夫、今の時間はあたししかいないから」

「あーーーれーーー!!」

 言いながら半ば剥ぎ取るように朱里の服を奪い取り、その勢いが強すぎてくるくると回転している彼女に小袖を通させる。まるで歌舞伎の衣装換えのような手際のよさで、気がつけば彼女は緋袴に千早まで着せられた完全な祭礼着を身につけていた。

「うわぁぁ……ぴったり!!」

 三歩下がって朱里を見、櫻花が喉の奥から感嘆の声を上げた。

 実際美しい。まるであつらえたかのように朱里の身体に馴染んでいて、袖から覗く白い肌を神々しく見せている。

 巫女にしては短髪なので幼い印象も受けるが、巫女袴にもかかわらず、その姿は由緒ある武家の姫君のようであった。

 櫻花は全身鏡を持ち出して彼女の前に置き、

「知ってる? この袴は瑞祈袴みずきばかまって言って、特殊な霊力を宿してるの。これがこんなに馴染むっていうことは、朱里はやっぱり舞を舞うのにふさわしい、選ばれた人なんだよ。だって……」

 櫻花の声のトーンがやや落ちる。

「あたしですらこの袴は合わないんだよ……? 生まれたころから神道の娘として神に仕えてきた身なのに……」

 ちょっとジェラシーだよ。とニコリともせずに結んだ。

 朱里もしばらく鏡に映る自分から目が離せない。確かにきれいなのだ。

 いや、これは何も彼女がナルシストというわけではない。言ってみれば、初めてウェディングドレスを身にまとって鏡に映った自分を見た時のような……あの胸の奥に揺れる小さな感激が今の彼女を捕らえていた。

 ともあれ呆然と立ち尽くす朱里がいる。

「これはもう決まりでしょ。今日朱里がここに来ることは瑞祈袴が知ってたってことだね」

「でも……わたしにできるかな……」

「できるよ絶対! がんばろ!!」

「……はい」

 ……もはや悪徳商法や催眠術に近い。


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