その名はハークリッド=ジン
数ヶ月前。
「よし、通っていいぞ」
「……」
門の検査を通り抜けた俺は、ゆっくりとフードを取った。
門を通る前と後。その差はほんの数メートルもないというのに、空気はまるで違っていた。
さっきまでは緊張でうるさかった心臓の音を、街の音が上書きした。
「すっげぇ……」
これまで自分が過ごしてきた田舎とはまるで違う。街全体が活気を鳴らしていた。
夢にまで見た王都。しかし、夢以上の光景がそこにはあった。
「っと。こんなことしてる場合じゃなかった」
王都には似合わないボロボロの鞄から、少し日焼けのしたマップを取り出す。
ここまでの道中、マップを何度も確認したせいか、買ったばかりだというのにもうクシャクシャになっている。
そんな手元にある王都のマップと、今の自分のいる場所を何度も確認しながら、目的地を目指す。
目指す場所はただ一つ。
そう――冒険者ギ
「……っと、うわっ!?」
しかし、これまで田舎暮らししていた人にとって、人の流れというのは最大の敵だった。
何度も人にぶつかっては押し流され、かと思ったら流され戻され、歩いて数分と書かれたはずの目的地にたどり着くのに少し時間が掛かってしまう。
それに加えて。
「き、気持ち悪い」
人混み酔い。
これまで多くて一回に十人程度しか見てこなかった視界を、人の顔で埋め尽くされ、頭はパンク寸前になっていた。
それでもようやく目的地にたどり着くと、呼吸を整えるために大きく息を吸った。
「……ふぅ。ここが王都の冒険者ギルドか」
もう一度大きく深呼吸を取ると、覚悟を決めてギルドの門を叩く。
「……いくぞ」
緊張した面付きでギルドの入り口をくぐると、そこはまさに自分がイメージしたとおりだった。
昼間からテーブルで楽しく酒を飲んでいる集団もいれば、次の仕事だろうか、真剣に何かを語り合っている者達。
逆に、一人でテーブルに伏して寝ている者までいる。
皆が自由に暮らして、自由に生きる場所。
「ここが、冒険者ギルド」
今日から自分がその一員となる。
その事実に胸の高鳴りが抑えられない。
「希望を胸に。自由を掲げろ」
昔言われた言葉を呟くと、顔を真っ直ぐ上げる。
受付はどうやら奥にあるようだ。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付の前に立つと、女性の従業員が出てきた。
率直な意見として、とても美人だった。
艶のある長い黒髪がギルドのライトを反射して、透き通るような白い肌をいっそうと際立たせる。
少し膨らみのある胸には「シルヴィ」と書かれた名札がぶら下がっており、これが彼女の名前であることが窺える。
そして何より、この女性が受付の奥から出てきたとき、周りの視線が自然とこの女性に集まったことから、どうやらこの女性はギルドの中でもとりわけ一目置かれている人物であることを察知した。
「……? あの、どうかしましたか?」
「あ、い、いえ!! なんでもないです!」
「そうですか? それで、本日のご用件についてですが……」
「は、はい!」
緊張のあまり高い声が出てしまい、目の前の女性にクスリと笑われてしまったが、不思議なことにあまり嫌な気はしない。それどころか、その笑みに見惚れてしまったくらいだ。
「そんな緊張しなくて大丈夫ですよ。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「あ、はい! ハークリッド=ジンです!」
「ジン様ですね? 本日はどうされましたか?」
「あ、あの。冒険者登録をしたいんですが……」
「冒険者登録ですね。少々お待ちくださいね」
シルヴィはそう言うと受付の机の下から一枚の紙を取り出した。
「こちらの紙にお名前と出身をお書きいただけますか。こちらをもとに身分証を発行いたしますので」
「は、はい!」
一つ一つの所作が丁寧でなんとも艶っぽい。
そんなシルヴィに見られながら紙に必要事項を書いていると、シルヴィは何かを思い出したかのようにいったん受付を離れて、また何かを持って戻ってくる。
それは、手のひらサイズの水晶玉のようなものだった。
必要事項の書かれた紙を一通り確認したシルヴィは、紙を受け取ると、その球体を机の上に置いた。
「こちらは魔力を測る道具です。魔力量を量ってもよろしいですか?」
「あ、はい」
「そちらに手を置いて、魔力を込めてください。あまり込めすぎてしまうと壊れてしまうので、少しで大丈夫ですよ」
言われたままに球体の上に手を置いて魔力を込める。するとすぐに、球体から白い文字と数字が浮かび上がった。白い文字はどうやら自分の名前のようだ。そしてその下にある数字は。
「魔力量は……十万くらいですね」
そうシルヴィが言ったが、それが高いのかどうかが自分にはわからない。
「あの、それは高い方ですか?」
「そうですね、一般の方でだいたい三万ぐらいですので。充分に高い方だと思いますよ」
「といっても冒険者にはもっと高い魔力を持っている人もいます」とシルヴィは最後に付け足す。傲ってはいけない、ということなんだろう。
彼女は魔力測定器を片付けるためにもう一度奥に入ると、しばらくして小さなカードを持ってきた。
「はい、こちらがジン様の冒険者カードになります」
手渡されたその小さなカードには、ジンの名前と魔力量、そして【ランク】という文字と、その隣に【未定】という文字が書かれていた。
「このランクっていうのは?」
「簡単に言えば強さ、みたいなことですよ」
A~Eまでの計五段階があり、クエストと呼ばれる依頼を解決することで、自動的にそのクエストのレベルにあわせてランクが上がったり、下がったりするらしい。
しかし、これにはギルドからの信頼度なども換算されているようで、ランクが強さの絶対的評価になるわけではないらしいが、基本的にはその認識で構わないそう。
そして、クエストには推定ランクというものがあるらしく、その推定ランクの一つ下のランクから受けることができるらしい。
例えば、推定ランクが【B】ならランク【C】~【A】の人から受けることができる。
ただし推定が【A】のときだけはランク【A】の人しか受けられないそうだ。
どうやらA難度のクエストは国をあげてのクエストらしく、それには失敗が許されないとのことらしい。それ故に、信頼と実績、そして絶対的な強さを持った者にしか任せてはいけない、という厳しいルールがあるのだとか。
シルヴィの丁寧な説明を聞いていると。
「ん? そこにいるのは俺のシルヴィじゃないか?」
後ろからそんな声が聞こえたと思ったら、肩を引っ張られた。
前にいた俺を押し退けシルヴィに話しかけた人物は、いかにも人相の良くない顔をしていた。
シルヴィに加えて、周りの冒険者達もその男に険しい顔を向けていたが、男はそれにまったく気付いていないのか、はたまた気付いていて無視しているのか。
それがさも当然かのようにシルヴィの全身を舐めるように下から上まで眺める。
シルヴィさんは身体を少し隠すように言い返した。
「またあなたですか。いい加減にしてください。私はあなたのものではありません」
前にも何回かこういうことがあったのだろう、シルヴィがそうはっきり宣言するが、男は下卑た笑みを絶やさない。
「俺と一緒にいた方がお前のためだって言ってるだろう? 俺は貴族だぜ。お前が欲しいものは何でもやれる」
「いりません。用がなければお引き取りください」
「つれないねぇ。いいじゃん、ほら」
「なっ!? や、やめてください!」
カウンター越しにシルヴィの腕を男が掴むと、手荒に引っ張ろうとする。
「……んあ?」
だが、その直前で貴族の男の腕を掴み、固定する。
「それ以上はやめた方がいい」
「なんだ、コイツ?」
頭一つ分大きい男が俺を見下ろす。
まるでこうなることがわからないとばかり、首を傾げる。
これまでどれだけ自分勝手な生き方をしていたのか、この短時間ですぐにわかる。
誰にでも自由は与えられるべきだとは思う。けど、身勝手な生き方は、自由とは言わない。
だから言ってやるのだ。
「だっせぇの」
2023/09/16 改稿