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最終話

 東京のアパートに帰りついたのはもう昼過ぎだった。


 海上がアパートに向かって歩いていくと、自分の部屋のドアの前で誰かが蹲っているのが見えてきた。誰だろうと思ってよく見てみると、それは直美だった。


 直美は海上が歩いてくるのに気がつくと、蹲っていた態勢から立ち上がり、微笑んで海上の顔を見つめた。


 こんなところでなにやってるの、と、海上が不思議に思って尋ねると、直美は苦笑して、家をでていくときに合鍵を持っていくのを忘れちゃったのよ、と、いいわけするように答えた。


 ほんとうは海上のケータイに電話しようかとも思ったのだが、なんとなく、このままずっと海上が帰ってくるのを待っていようと思ったのだ、と、直美は話した。


 どう答えたらいいのかわからなかったので、そっか、と、海上は曖昧に頷いた。


 少しの沈黙があって、それから直美は口を開くと、この前はごめん、と、小さな声で謝った。

「あんたの音楽のことを悪く言うつもりはなかったの。でも、ちょっとあのときはカアって頭に血が上っちゃって」


 そんなことだったら気にしなくていい、と、海上は笑って答えた。俺もたかがCD一枚くらいでムキになったりして悪かった、と、海上は直美に謝罪した。


 海上がそう言うと、直美は何も言わずに微笑んで、それから海上に黄色の袋にはいったものを手渡した。なんだろうと思って海上が見てみると、

「それ、わたしがこの前割っちゃったCD。ちゃんと弁償したからね。それからおまけのCDもつけといた」

 直美はそう言うと、少し笑った。

 

 べつに弁償なんてしなくて良かったのにと笑いながら、海上は渡された袋を受け取った。



 

 海上が柏原の死について話したのは、部屋に入って少し経ってからだった。


 海上は直美がいれてくれたインスタントのコーヒーを啜りながら、実は昨日、自分は幼馴染のお葬式にいっていたのだ、と、話した。


 すると、直美は海上の顔をじっと見つめた。海上のあまりにも突然な告白に声を失ってしまっているようだった。


 それから、海上は直美に柏原のことについて話して聞かせた。柏原がまだ幼い頃に重い病気にかかってしまったこと。それでも明るさを失わずにこれまで懸命に生きてきたこと。


 海上が話し終えると、直美は「そっか」と頷いただけで何も言わなかった。黙って柏原の死について何か考えている様子だった。


 海上はしばらくのあいだ黙っていてから、でも、俺は柏原のことをかわいそうとか、そんなふうには思いたくないんだ、と、言った。


 そう言うと、直美は俯けていた顔をあげて、不思議そうに海上の顔を見つめた。


「確かにまだ二十七歳とかそんな若さで死んでしまった柏原はかわいそうかもしれないけど、でも、俺はあいつはあいつりになりもう一生懸命に頑張ったって思うんだ」

 と、海上は言った。


 だから、俺は柏原は病気に負けてしまったわけじゃないと思いたいのだ、と、海上は続けて言った。柏原は自分にできることを精一杯やって、それで彼なりに何かをやりと遂げて死んでいったのだと思いたいのだと海上は直美に話した。


 すると、直美はしばらくのあいだ海上の言ったことついて考えるように黙っていてから、やがて、「そうね」と、少し寂しそうに微笑んで頷いた。



 

 今、海上は井の頭公園のベンチにギターを持って座っている。冬の冷たい風が吹いていて、かなり肌寒い。


 今日は月に一度の恒例の飲み会があった日だった。今はその飲み会が終わって、始発電車を待つために例によっていつもの公園でみんなで時間を潰しているところだ。


 海上は飲み会に行くときギターを持参していった。みんなはどうして海上がギターを持っているのかと不思議がったが、実はこのあとみんなに新曲を聞いてもらいたいと思っているのだと告げるのは恥ずかしかったので、ついさっきまでスタジオで練習していたからと咄嗟に嘘をついた。


  海上はみんなと一緒に飲み屋から公園に移動したあと、ベンチに腰を下ろすと、さりげなくギターケースのなかからギターを取り出すと手に持った。


 寒さで手がかじかんでしまってちゃんと演奏できるかいまひとつ自信がなかったが、それでもせっかくの機会なので無理でも弾いてみようと思った。


「何か弾くんですか?」

 と、海上がギターの調弦をやっていると、山本ゆかりが興味をひかれたように微笑みながら尋ねてきた。

 海上はゆかりの問に曖昧に微笑してちょっとねと答えると、

「はい、みんな集合」

 と、照れ隠しのためにおどけた口調で言った。


 海上のかけた号令に、思い思いの場所にちらばっていたみんながどうしたのだろうと集まってくる。


「なにか弾くの?」

 と、東海林良美がコートのポケットに手を突っ込んでゆかりがしたのと同じ質問をした。

「もしかして弾きがたりとかしてくれるんですか?」

 と、良美のとなりにいた松田祥子が明るい声で言った。


 海上はふたりの問には何も答えずに、みんなそこに並んで、と、言った。みんなこれから何がはじまるのだろうと言葉をささやきながら海上に指示されたとおりに並んだ。


 海上はわざともったいぶって間をあけると、

「えー、じゃあ、今日これから新曲を発表したいと思います」

 と、海上は宣言した。

 海上のコメントにみんな弾んだ声を出したり、笑ったりした。

「楽しみー!!」

 と、酔っ払った中平が近所迷惑になるような大声を出した。

「ちょっとそこ静かにして」

 と、海上は笑って中平を注意すると、

「えーと、今年ももう少しで終わりだし、来年、みんながいい年を迎えられるようにと思って、この日のためにちょっと新曲なんかを作ってみたりしました。良かったらきいてやってください」

 今日は十二月三十日で、あともう一日で今年も終わりだ。来年はどんな年になるのだろうと海上は思う。

「前置きはいいから早く!」

 と、酔っ払った中平がまた大声を出した。


 海上は苦笑すると、改めてギターを待ちなおし、ギターの弦を指で押さえた。高校のとき生まれてはじめて体育館のステージで歌ったときみたいにすごく緊張する。海上は大きく息を吸って、吐き出した。吐き出した息は、寒さのせいで吐き出した息の形に凍りつく。


 海上はみんなの顔を一瞥すると、ちょっと躊躇ってから歌いはじめた。



 今回の新曲は、いつもの激しい曲調とは違って、静かめの曲になった。少し哀しくて、だけど、優しい歌。たとえば祈りや願いのような。それそのものでは直接誰かを救うことも、何かを変えることもできないけれど、でも、その歌を聴いたひとの心を暖め、希望へと誘うことができる歌。果たして作者の意図通りにこの曲が聞く人に届くかどうかはわからなかったけれど、それでも可能な限り、海上は心を込めて丁寧に歌った。



 海上がこの曲を完成させたのは、柏原の葬式から東京に戻ってきたその日の夜だった。その日、海上は眠ろうと思ったのだが、なかなか寝付くことができず、諦めた海上は新曲作りに挑戦してみることにした。すると、自分でも思いがけず、柏原が曲作りを手伝ってくれたかのように比較的簡単に新しい曲を作ることができた。

 


  海上は柏原がそうしたように、精一杯もがいてみようと決意した。最後まで。往生際悪く。自分が今一番やりたいと思っていることは音楽を作ることだ。だから、そのことを最後まで続けてみようと思った。たとえこのさき誰からも認められなくて、無駄な努力だとバカにされて、笑われたとしても。もっと歳をとっておじさんになっても音楽にしがみついて滑稽に生きてやろうと海上は開き直った。


 ギター一本あればホームレスになったって音楽を続けていくことはできるはずだ。実際にそんなふうに思い続けられるかどうはわからないけど、少なくとも今は諦めることは間違ったことのように思えた。


 海上は希望は信じてみたいと強く思った。

 



 曲が、もうすぐ終わろうとしている。ふと夜空に視線を向けてみると、夜空に片隅に月が浮かんでいるのが見えた。その月を見つめながら、海上は死んでしまった友達のことを思い、これからの明日を思った。


 曲が終わると、ギャラリーから暖かい拍手と喝采が起こった。海上は片手をあげて声援に答えると、

「みんな愛してる」

 と、ふざけて言った。

 海上の科白にみんなが可笑しそうに声をあげて笑った。



 海上はもう一度友達の姿を探し求めように空を仰いだ。


 夜空は冷たく透き通った青色に染まっている。まるで夜空の内側から新しい朝が透けて見えるかのようだ。そしてそんな朝の光と夜の暗闇が静かに溶け合う空の端で、月は、物静かに、どこか微笑みかけるようにそっと光を放っていた。









 


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