第八話
柏原の死に顔は、その日の夜と同じように静かで清らかだった。まるでぐっすりと熟睡しているうちに死んでしまったという感じだった。
海上は棺桶に入れられた柏原の顔を見てはじめて、柏原がもう死んでしまったのだということが理解できた。そのときになってやっとはじめて友人を失ってしまったのだという激しい喪失感がこみ上げてきた。
気がつくと、海上は自分でも知らないうちに涙を零してしまっていた。
母親から電話があった次の日の朝、海上は一着しか持っていないスーツを着て実家のある千葉に帰った。そしてそのまま海上は柏原の葬式が行われている柏原の実家に向かった。
海上が柏原の実家を訪ねていくと、柏原のお母さんはわざわざ遠いところを訪ねてきてくれてありがとうと感謝の言葉を述べた。そして柏原のお母さんは、柏原が最後、ほとんど苦しむこともなく他界したことを海上に教えてくれた。
柏原はあの月夜の夜、自分でも予言した通り、海上が東京にいって間もなくまた体調を崩した。それまでは病院と実家を行ったりきたりする生活を送っていたのだが、その日を境に、もう、柏原が実家に戻ることはなかった。
海上は東京に行ってからもだいたい三ヶ月に一度くらいは地元の千葉に戻り、友人の入院している病院を訪ねていった。
海上が病院を訪ねていくと、柏原は自分の方が病気で苦しいはずなのに、色々と海上のことを気遣ってくれた。東京で元気でやっているか、とか、上手くいかないことがあっても頑張れよ、と。
海上は自分の方が励まなさなければならない立場にあるのに、いつも逆に柏原の言葉に勇気付けられたりすることになった。
柏原の様態が本格的に悪化したのは、柏原が二十五歳のときだった。
眠っていた柏原は突然苦しみ出すと、そのまま意識を失い、二週間ちかくのあいだを生死彷徨うことになった。
どうにか一命は取り留めたものの、その後、柏原は定期的に発作を起こして意識を失うようになった。回復したと思っても、またすぐに様態は悪化した。
海上が一番最後に帰省した十月のときも、柏原は例によって意識不明の重体から回復したばかりだった。身体中にいつくもの管を通さて苦しそうに横になっている柏原は側で見ていて痛々しいくらいだった。
しかし、それでも柏原はいつもの明るさを失わず、海上が心配して声をかけると、柏原は大丈夫だと笑って答え、それよりお前の方は大丈夫なのかと逆に海上のことを案じてくれさえした。頑張って音楽は続けているのか、と。
その後、柏原は小康状態が続いていて比較的に体調も良さそうにしていたらしいのだが、つい先日、眠っているときにまた発作がはじまり、そのまま意識を失った柏原はもう二度と目を覚ますことはなかったらしい。
海上は柏原のお母さんからそんな報告を受けながら、せめて最後、柏原が死んでしまうとき、どうして自分は柏原の側についていてあげられなかったのだろうと悔しかった。自分はあれほど柏原から励まされたり、勇気付けられたりしたというのに。
海上がそう言うと、柏原のお母さんは悲壮な笑みを浮かべて、そんなことは気にしなくていいと言った。あの子は定期的にあなたが訪ねてきてくれることをとても喜んでいたし、それだけで十分だ、と、柏原のお母さんは語った。
それにあの子はもうそろそろ楽になっても良い頃だったと思うの、と柏原のお母さんは続けて言った。あの子はもう十分すぎるほど苦しんだし、もう十分すぎるほど生きるために頑張ったと思う、と。あの子を褒めてあげたいと思う、と、柏原のお母さんは涙を堪えて静かに微笑んで言った。
柏原の亡骸は霊柩車に乗せられて火葬場に行き、そこで灰になった。
火葬場まで一緒についていった海上は柏原の遺骨を見せてもらったのだが、それはとても白くて、とても穏やかで、まるで柏原の精神そのもののように海上には思えた。
柏原の葬式があったその日の夜は海上は実家に泊まり、翌朝になってひとりでまた東京に戻った。
帰りの電車のなかで海上はずっと柏原のことを考え続けた。柏原と話したことや、柏原が教えてくれたこと。
天気はよく晴れていてきれいな青空が電車の窓の外には見えていた。窓から差し込んでくる冬の澄んだ穏やかな光を浴びていると、柏原が死んでしまったなんてとても信じられないような気持ちになってくる。ついさっきまで自分は眠っていてそれで悪い夢でも見ていたんじゃないか、と。
だけど、でも、間違いなく、柏原は死んでしまったのだった。