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第六話

 柏原祐樹は海上の小学校のときからの幼馴染だ。家が近所だったということもあって小さな頃はよくお互いの家を行き来して遊んだし、お互いの家の親が仲が良かったこともあって、ときには泊りがけで遊んだりすることも珍しくなかった。


 柏原祐樹が病気になったのは、小学校五年生のときだった。そのとき海上は柏原と同じクラスだったのだが、ある日を境に、突然柏原は学校にこなくなってしまった。


 しばらくしてから学校の先生から説明があり、柏原が現在に脳に腫瘍ができるという難病にかかっていて病院に入院していることと、後日、その脳にできた腫瘍を取り除くための難しい手術が行われる予定だということが伝えられた。


 柏原の手術が無事成功するようにとクラスのみんなで千羽鶴を作り、それを海上も含めたクラスの代表何人かで柏原の入院している病院まで届けにいった。


 病院に行くと、柏原は脳にできた腫瘍のためかあまり自覚症状がないらしく、明るく、元気そうにしていた。まだ幼かった海上はもしかすると柏原は仮病をつかってズル休みをしているだけなんじゃなんかと疑わしく思ってしまったほどだった。


 その日は早く元気になってねといった励ましの言葉をかけて海上たちは病院をあとにした。



 それから一週間後くらいに手術は行われ、手術はなんとか無事に成功した。しかし、脳にできた腫瘍を取り除く手術のため、柏原には少し障害が残った。


 手術の終わった二週間後くらいに海上は両親と伴に柏原の入院している病院に見舞いに行ったのだが、そのとき、柏原は手術の後遺症のせいで全く言葉がしゃべれなくなってしまっていた。


 海上が話しかけると、柏原は口をあけて何か喋ろうとするのだが、それがあーとかうーといった意味のない声にしかならない。


 海上はそのときになってはじめて、柏原という友人が重い病気にかかってしまったのだということを理解した。



 柏原が学校に復学したのは、それから三ヶ月くらいが経過してからのことだった。


柏原はどうにか言葉が喋れるようになるまでには回復したみたいだった。


が、しかし、以前と全く同じというわけにはいかないようだった。聞いているこちらがもどかしくなるような非常にゆっくりとした速度でしか柏原は言葉を話すことができなくなってしまった。それ加えて柏原は以前に比べて圧倒的に体力が低下した。


柏原は以前は運動場を走り回るような活発な子供だったのだが、病院から帰ってきてからは激しい運動ができなくなり、体育の時間のほとんどをみんなから離れた場所で見学するようになった。

 

海上は友人のあまりの変わりように驚いたし、ひょっとすると、柏原はこのまま死んでしまうんじゃないかと心配になった。というのも、両親があの子はあまり長くは生きられないかもしれないと柏原のことを深刻な顔をして噂話をしているのを海上は偶然に耳にしてしまったからだ。


 海上は柏原が死んでしまうなんて冗談じゃないと思ったし、柏原が一刻も早く、以前と同じように本格的に回復することを願わずにはいられなかった。


 しかし、海上のそんな願いも虚しく、柏原の容態が本格的に回復することはなかった。相変わらず柏原はゆっくりとした速度でしか言葉を話すことができなかったし、以前のように運動することもできなかった。それどころか、体調を崩しやすくなり、学校を休みがちになった。


 しかし、それでもどうにか柏原はなんとか無事小学校を卒業し、小学校を卒業すると、海上と同じ中学校に入学した。


中学校に入ると、柏原の事情をよく知らない人間が、柏原のことをばかにしたり、からかったりするようになった。柏原は手術の後遺症のせいで相変わらずゆっくりとした速度でしか喋ることができなかったのだが、誰かがわざとその柏原の喋り方を真似てみんなで笑ったりするのだ。


海上はそんな現場にでくわすたびに柏原のことをかばってやったが、しかし、それにも限界があった。海上の知らないところで柏原のことをバカにしたり、あざけったりする人間があとを絶つことはなかった。



 もし、自分が柏原の立場だったら辛いだろうな、と、海上は思った。その頃海上は思春期特有の悩みなのか、生きることの意味や将来のことについて思い悩むことがよくあった。


 だから柏原の心境を思うと、いたたまれない気持ちになった。なりたくもない病気にかかり、言葉が不自由になり、以前のように思い通りに身体を動かすことができなくなった。それがこのうえどうして同級生から不当にバカにされたり、からかわれたりしなければならないのだろう。


 もし自分が柏原の立場だったら、きっと死にたくなったはすだと海上は思った。きっとこの世界のありとあらゆることが憎くて憎くてしょうがなくなっただろうと思った。しかし、それにも関らず、不思議と柏原がふさぎこんだり、暗くなったりすることはなかった。海上が話しかけると、柏原は明るい微笑を浮かべてゆっくりとながらも楽しそうに話をし、ときには冗談を言ったりもした。



 海上は一度だけ、柏原と生きることの意味について話をしたことがある。確か中間テストか何かの関係で学校が早く終わり、途中まで一緒に歩いて帰ったときのことだ。


 海上が柏原に生きていて辛くなったり、死にたくなったりすることはないのかと尋ねると、柏原は穏やかに笑ってそんなことはないと答えた。


 海上はその当時バスケットボール部に入っていたのだが、どれだけ一生懸命練習しても、なかなかレギュラーになれず、一方でろくすっぽ練習にもてでこないような部員があっさりとレギュラーになれてしまったりすることがあった。そういうとき、海上は理不尽なものを感じずにはいられなかった。


 また勉強に関してもそういこうを感じることがしばしばあった。海上がどんなに頑張って勉強しても、大して勉強もしていない人間にあっさとり負けてしまうことがある。



 結局、全てのことは、そのひとがもともと持っている素質や才能によって大きく左右されてしまう。努力が報われることは少ないし、願いは叶わない。この世界はなんて理不尽にできているのだろうと海上はよく思った。


 海上がそう言うと、でも、そういった、ときに虚しかったり、厳しかったりする人生のなかで、色んなことを感じて、考えて学んでいくことに、きっと生きる意味はあるのだろうと思うと柏原は答えた。


 人生とはたぶん何かを学ぶためにあるのであって、何かを勝ち得たり、結果を出すためにあるのではないと思う、と。だから、たとえ苦しくてもその苦しみのなかで必死にもがいて、自分にできることを精一杯やればそれで十分なのだ、と。


 もちろん、柏原が理論整然とそんなふうに語ったわけではないのだが、要約すると、柏原が海上に話したことはだいたいそのような意味になった。


 そのときの海上には柏原の語ったことは高尚過ぎて全てことをそのまま額縁通りに受け入れることはできなかった。やりは海上にしてみれば結果が出せなければ全ては無駄のように思えてしまうし、人生とは幸福になるためにあるのだという考えがあった。しかし、それでも、なるほどな、と考えさせられる部分はあった。


 少なくとも柏原の語った、人生とは自分にできることを精一杯やればそれで十分なのだという考え方には、救われるものがあった。結果がだせなくても、幸せでなくても、それでもそこには救いがあるのだ、と。



 その当時、まだ十四歳か十五歳に過ぎなかったのに、柏原は変に老成してしまっているところがあった。たぶん幼い頃に重い病気をし、ひとよりも何倍も辛い思いしたことが、柏原の心を普通のひとの何倍も早い速度で成長させたのだろうと海上は今になって思う。


 その後、海上は中学校を卒業すると、地元の進学校に進学し、柏原は学力や言葉の問題もあって、職業訓練学校のようなところに進学した。


 しかし、柏原はその職業訓練学校に進学してから間もなく体調を崩しやすくなり、頻繁に病院の入退院を繰り返すようになった。

 

 そして海上が高校を卒業する頃くらいには、柏原はほとんどの時間を病院で過ごすようになってしまった。

 

 


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