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第五話

直美と口論になってしまったのは、海上がアパートに帰宅したその日の夜だった。


切っ掛は些細なことだった。


海上がフローリングの床の上に出しぱなしにしておいたCDを、直美が誤って踏んで割ってしまったのだ。


 直美は海上に謝罪すると、必ず明日新しいものを買って返すからとまで言ってくれた。


 いつもの海上であればそれくらいことで怒ったりはしなかった。多少とムッとしたりはしたかもしれないが、それくらいのことで真剣に腹を立てることはまずなかった。それに、もともとわかりづらい場所にCDを放置しておいた海上も悪かったのだ。


 でも、その日は斉藤のこともあって、海上は機嫌が悪かった。つい感情的になって、必要以上に直美のことを責めてしまった。


 気がついたときには口論になっていた。


 物別れが決定的になってしまったのは、直美が口にした科白だった。


 直美が海上に対して、あんたの音楽のせいで自分がどれだけ辛い思いをし、なおかつ色んなことを我慢しているかと難詰したのだ。いつまでもくだらない音楽なんてやっていないで就職したらどうなんだ、と。


 斉藤のこともあって、就職という言葉に過敏になっていた海上は、激昂して、そんなふうに思うのであれば俺と別れればいいだろうと怒鳴ってしまった。怒鳴ってしまってから、海上は少し言いすぎたかな、と、反省したのだが、そのときには既に遅かった。


 怒った直美は無表情にわかったとだけ言うと、着ていた服のうえからコートだけはおると、鞄を持って、家から出て行ってしまった。


 海上も今更ひくにひけなくなってしまい、家から出て行く直美をそのままにしてしまった。テレビをつけると、見たくもないテレビ番組を黙って眺めていた。


 海上がいくら冷静さを取り戻したのは、直美が出て行ってしまってから一時間以上が経過してからだった。海上はついさっきまでそこに直美のコートがかかっていたはずのハンガーを見つめながら、これまでにも何度も喧嘩はしてきたけれど、今回はもうだめかもしれないな、と、妙に冷静な気持ちで思った。



 でも、むしろ、これで良かったのかもしれない、と、海上は自分自身に言い聞かせるように思った。自分にとっても。直美にとっても。


 直美が部屋を出て行いくときにちゃんとドアをしめていかなかったらしく、ドアから隙間風が入ってきて寒かったので、海上はフローリングの床のうえから立ち上がると歩いていって部屋のドアを閉めた。


 部屋のドアを閉めると、ガチャンと思ったよりも大きな音が部屋に響いた。そしてドアを閉めた瞬間に、海上はもう後戻りすることができないくらいに何かが決定的に、酷く、損なわれてしまったことを悟った。






  三日経っても直美は戻ってこなかった。今まであればどんなに派手な喧嘩をしてもいつも大抵二日目には戻ってきていた。


 これはいよいよもうほんとうに駄目かもしれないな、と、海上は覚悟した。お互いのためにも別れ方がいいのかもしれないと思いながらも、やはり海上は直美に対して未練の気持ちがあったし、できることなら別れたくはなかった。


 でも、意地もあって、海上の方から直美に連絡を取ることはしなかった。


 このまま連絡を取らないことで彼女と別れることになってしまうのであれば、それはそれで仕方がないのかもしれない、と、海上は自分自身に言い聞かせた。



 喧嘩してから四日目の日、海上はその日、バイトも何も予定のない日だったので、いつ直美が戻ってきてもいいようにと一日部屋で待機していることにした。


 柄にもなく、部屋の掃除をしてみたりもした。


 しかし、朝が過ぎ、昼が過ぎ、夕方が過ぎようとしても、直美が戻ってくる気配はなかった。


 海上がもうだめだな、と、諦めかけた頃、唐突にケータイ電話の着信音が鳴った。


 もしかして直美からの電話かと思い、慌てて海上が電話に出ると、それは直美からの電話ではなく、母親からの電話だった。



「どうしたの?」

 と、海上が電話に出ると、母親は緊迫した口調で、落ち着いて聞きなさいよ、と、諭すように言った。

 母親の科白に、海上が思わず警戒すると、母親は、

「今朝、柏原くんが亡くなったって」

 と、唐突に言った。


 あまりのことに、海上が言葉を失っていると、母親は続けて言った。

「さっき、柏原くんのお母さんから連絡があったの」

 と、母親は言った。

 海上は黙っていた。何をどう言ったらいいのかわからなかったのだ。

「ちょっと聞いてるの?」

 と、海上が黙っていると、母親は苛立ったように言った。

 聞いてるよ、と、海上は答えた。

「今日がおつやで、明日がお葬式だから、明日、朝、こっちに帰ってきなさいね」

 と、母親は言った。

 海上の実家があるのは千葉だ。

 海上はわかったと答えて電話を切った。

 思考が麻痺してしまったように何も考えられなくなった。




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