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第一話

 待ち合わせ場所のサーティワンアイスクリーム前のベンチに腰かけた海上弘樹は、かじかんできた両手に息を吹きかけた。

 

 寒い。十一月も半ばを過ぎ、いよいよ本格的な冬がやってきた気がする。

 

 五分程もすると、中平勝生と東海林良美のふたりが並んで歩いてきた。何でも来る途中でばったり一緒になったらしい。


 中平勝生と東海林良美のふたりとは、二年程前でアルバイトをしていた喫茶店で知り合って仲良くなった。少し遅れて山本ゆかりと松田祥子のふたりもやってくる。彼女たちもやはり昔やっていた喫茶店のアルバイト先で知り合って親しくなった。


 それぞれ年齢は異なるが、しかし、年齢の差なんてほとんど気にならないほど、このメンバーと一緒にいると、海上はリラックスすることができた。ちなみに、このメンバーのなかで一番の年長者は海上だ。


 今日は定例の飲み会がある日だった。


 アルバイトを辞めてからも、だいたい月に一度くらいこうやって集まってみんなで飲んでいる。海上は今まで様々なアルバイトをしてきたが、アルバイトを辞めてからも、今のように長く関係が続いたのは、これがはじめての経験だった。もしかすると、このメンバーとは一生の付き合いになったりするのかもしれないな、と、海上は考えたりする。


 サーティワンアイスクリームのベンチ前であまり意味のない雑談を交わしたあと、海上たちは予約を入れておいた居酒屋へと向かった。


 居酒屋での時間は穏やかに過ぎていった。みんな他愛もない話や、バカ話をして、それなりに盛り上がっているようだった。でも、今日の海上は気分が沈みがちで、上手くみんなの会話のなかに入っていくことができなかった。無理にテンションをあげても、途中ですぐ疲れてしまう。


 諦めた海上は楽しそうに話しているみんなを傍観しながら、ひとりで黙ってソフトドリンクを飲んでいた。すると、黙っている海上を見て、退屈していると勘違いしたのか、中平が話しかけてきた。

「ウナッチは最近どうよ?」

 と、あまり食べ物に手をつけていない海上に、中平は鳥のから揚げを進めながら話を振ってくる。中平は海上の二つ年下で、このメンバーのかなでは一番馬が合う。

「どうって?」

 と、海上は中平に勧められた鳥のから揚げを箸で口のなかに入れながら質問の趣旨を尋ねた。


「どうって色々あるっしょ」

 と、中平は酒を飲んでテンションがあがっているのか、変に明るい調子で尋ねてきた。

「たとえば、うーん、そうだね、タクシーをやめてからどうだとかさ」


 海上は最近になってそれまで続けていたタクシーというバンドを辞めた。

 

 海上の将来の目標は、プロのミュージシャンになることだ。タクシーというバンドを辞めたのは、べつにプロのミュージシャンになることを諦めたからではない。単純に方向性の違いが確定的になったからだ。他のバンドメンバーと自分の意見が頻繁に食い違うようになった。このまま無理にこのバンドでやっていくよりは、今のバンドを辞めてひとりで活動していった方が良いのではと思うようになった。だから、海上はバンドを辞めた。


「うーん。どうだろうね」

 と、海上は中平の問に苦笑するように笑ってから、

「まだはじめたばっかりだからね」

「でも、楽しいよ。バンド辞めて正解だったと思う。少なくとも今は自分の好きなように音楽できるからね」


 そう言った海上の言葉は、半分本当で半分嘘だった。ときどきバンドを辞めたりせずに、あのまま活動を続けておけば良かったかな、と、思ったりすることがなくもない。

バンドメンバーに、そこの演奏が違うとか、甘えているとか、言いたい放題言われてたまに頭にくることもあったが、しかし、バンドを組んで活動していくメリットは、確かにあったな、と、海上は今になってふと思ったりする。


 なにより、ひとりで活動するようになった今では、演奏をしてくれるひとがいないので、以前のようにライブを行えないのが、辛い。みんなに自分の音楽を聞いてもらうチャンスか少なくなったように感じる。


 それに、俺ももう二十七歳だ、と、海上は思う。海上は音楽に専念したいので今はアルバイトで生活をしているが、そういつまでもこんな状態は続けていられないだろうと焦る気持ちもあった。


 海上は今のこの自分の迷いや焦りをいっそこのこと中平にぶちまけてしまいたいような衝動に駆られた。しかし、そんなことを言えば、せっかくの飲み会の席が湿っぽくなってしまうと思い、結局口にだしては何も言わなかった。

「逆に、ヒラッチはどうなの?」

 と、海上はテーブルの上のもう残り少なくなってしまったウーロン茶を飲み干してしまってから、中平に同じ質問をぶつけてみた。


 中平は大学を卒業したあと、会社員をやっている。詳しく聞いたことがないので海上はよくわからなかったが、何でも環境に携わる仕事だという話だった。

「まあ、前よりはちょっと忙しくなったかな」

 と、中平は海上の問に少し考えてから答えた。

「やっぱり俺も今の会社に入って二年目だからね。それなりに仕事を任せられるようになって大変になったことはなったけど、でも、そのぶん仕事も面白くなってきたのかな」

「へー。ちゃんと仕事してるんだ」

 と、海上は感心して言った。


「当たり前でしょ。ウナッチ、もしかして俺がいい加減に仕事してると思ってた?」

 中平が笑いながら海上の科白に抗議してくる。

「いや、べつにそういうわけじゃないけどさ」

 と、海上は笑って答えると、向かいの席に座った東海林良美の顔に視線を向けて、

「東海林さんはどう?」

 と、同じ質問を振ってみた。


「えっ、わたし?」

 と、良美は酔ったせいでほおっとしていたのか、海上の質問にちょっと驚いたように答えると、

「うーん。どうだろう。大変なことは大変だけど、でも、最近はだいぶ慣れてきたかな」

 と、笑顔で答えた。

 彼女は海上の三つ年下で、保険会社で働いている。仕事の内容は主にクレームの処理のようで、働きはじめたばかり頃は電話をかけてきた客があまりにも理不尽なことを言うらしく、よく辞めたいと漏らしていたが、最近はそんな苦情にも動じなくなってきたようで、それなりに楽しんで仕事をしているようだった。


「東海林は給料がいいもんな」

 と、中平がからかうように言った。

「プチセレブ。プチセレブ」

「べつにプチセレブじゃないよ」

 と、良美は中平の言葉を笑って否定した。


 良美の働いている会社は大手の保険会社で、給料もいいようだった。海上はケータイ販売のアルバイトを週五日やっているが、良美の現在得ている収入には遠く及ばない。もちろん、ボーナスだってない。同じ時間働いてこうも収入が違うのかと唖然としてしまう。正社員か、と、海上は思う。俺もミュージシャンを目指すことなんて辞めて、どこか適当な会社に就職して働けばもうちょっと楽になれるのだろうか。海上は自分の感情のなかに、ふとそんな弱い想いが生まれてしまうのをどうすることもできなかった。


「山本さんと松田さんのふたりはどう?」

 と、海上が自分の思考のなかに沈み込んでいる側で、今度は良美が海上がしたのと同じ質問をふたりに振った。


 山本ゆかりと松田祥子のふたりは、今年短大を卒業したばかりで、今居るメンバーのなかでは一番年齢も若いし、社会に出てからの月日も浅い。

「朝早いし、先輩に気を使ったりすることが多くてそれなりに大変だけど」

 山本ゆかりは幼稚園の先生をしている。以前話したときに、幼稚園は先輩後輩の上下関係がはっきりしていて大変だと彼女が漏らしていたことを海上はふと思い出した。

「でも、それなりに楽しんでやってます」

と、彼女は笑顔で続けた。

「それにめっちゃ子供がかわいくて」


 そう言った彼女の顔はほんとうに子供がかわいくてたまらないといった様子だった。そんなゆかりの表情を見ているうちに、海上は、彼女が自分の知らないあいだに、着実に社会人として成長していっているんだな、と、思って眩しく感じた。

「松田さんは?」

 と、中平がシーザーサラダを食べている松田祥子に振った。松田祥子は食べることに集中していたらしく、中平の問に少しむせると、口元を手で隠しながら、

「はい。なんとか頑張ってますよ」

 と、答えた。松田祥子は丸いでショップ店員をしている。

「色々規則とかうるさくてときどき辞めたくなったり、反抗したくなるときもあるけど、でも、なんとか続いてますね」

 と、祥子は苦笑するように笑って答えた。でも、どこかその彼女の表情は、自信に満ちているようにも海上には感じられた。


 みんなアルバイトを辞めてから色々妥協したり、苦労したりしながらも、社会のなかになんとか自分の居場所を見つけて頑張っているんだな、と、海上はみんなを遠くに感じた。みんな成長していっているんだ、と、海上は思った。そして、自分だけがいつまでも同じ場所に留まり続けているように感じた。なんとかしなきゃ、と、海上は焦った。でも、具体的にどうすればいいのかわからなかった。


 ふいに、海上は意味もなく哀しくなった。心の奥底から何かが手を伸ばしてきて、海上の気持ちを力任せにその心の奥底に引きずり降ろしていくのを感じた。

 

もう、俺はどこへもいけないのかもしれないな、と、海上はポツンと思った。そしてそう思った海上の言葉を、目に見えない誰かが小さな声で「そうだよ」と、肯定する声を海上は聞いたように感じた。





 居酒屋をあとすると、まだ飲み足りないという話になって、もう一軒海上たちは居酒屋を梯子した。そしてその二件目の居酒屋も閉店時間となり、店を出たのは、もう明け方の四時過ぎだった。


 始発電車が動き出すまでにはまだ少し時間があったので、それまでの時間を潰すために海上たちは近くの公園まで移動することにした。


 公園近くのコンビニに寄り、みんなおのおのに飲み物やお菓子を購入する。海上は温かい缶コーヒーをひとつ買った。


 訪れた公園は、もう冬で寒さが厳しいというのに、大学生くらいの人間が何組かいた。何を話しているのかまではわからなかったが、みんな大きな声でさわいだり、笑ったりして、楽しそうにしているようだった。悩み事なんて何もないように思えた。海上は、そこで楽しそうに時間を過ごしている学生たちに過去の自分の姿を見たように思った。


 海上も四、五年くらい前では悩みなんてなかった。それはもちろんどうやったらもっといい音楽を作れるだろうかといった悩みなからあったが、今のように自分の将来のことを考えて思い煩ったりすることなんてまずなかった。

 自分の未来は希望に満ちているに違いないと無条件に信じることができた。


 二十四歳くらいでインディーズデビューして、ファーストアルバムがじわじわと売れて、セカンドアルバムでメジャーデビュー。しかし、それが現実はどうだろう、と、海上は過去の自分の幼さが恥ずかしくなる。二十七歳になろうとしている今、自分はメジャーデビューどころか、インディーズデビューすらできていない。現実が厳しいということなんてわかっていたつもりだったけれど。


 冷たい風が吹きぬけていき、周囲の足元に散らばった枯れ葉が乾いた音を立てて地面を転がっていった。海上は寒さで身体を丸めた。

 ふと、夜空に視線を向けると、空のだいぶ低い場所に月が見えている。小さな、物静かな光を放つ月だった。


 海上は適当に空いているベンチに腰を下ろすと、缶コーヒーのプリリングを開けて一口飲んだ。液体の甘さと温かさがじんわりと身体に広がっていく。


 山本ゆかりが歩いてきて、海上のとなりに腰を下ろした。

「明日はバイトないんですか?」

 と、ゆかりは口を開くと言った。

 海上はゆかりの問に、あることはあるが、でも昼からの仕事だし、ちょっと眠ることもできるので問題ない、と、答えた。

「逆に山本さんは仕事大丈夫なの?」

 と、海上は自分のとなりでペットボトルのお茶を飲んでいるゆかりに同じ質問を返した。

「あっ、明日は休みだから大丈夫です」

 と、ゆかりは小さく笑って答えた。

「へー。明日は幼稚園休みなんだ」

 と、海上は少し意外に思って頷いた。すると、ゆかりはちょっと可笑しそうに笑って、

「明日は日曜日ですよ」

 と、忠告するように言った。

「そっか。今日って日曜日だったんだ」

 と、海上は答えて苦笑した。海上はアルバイトなので普段あまり今日が何曜日あるかということを意識することがない。


 少しの沈黙があって、その沈黙なかに、中平が何か言って、良美と祥子のふたりが笑う声が聞こえた。


「今日は月がきれいですね」

 と、しばらくしてからゆかりがふと思いついたように言った。

「そうだね」

 と、海上は頷いて言った。海上は改めて夜空の隅の方に引っかかっている月に注意を向けてみた。

「なんていうか、寒くなってきたせいで空気が澄んでるのか、心なしか色んなものがきれい見える気がするよね」

 と、海上は言った。

「海上さんって案外ロマンチストですよね」

 と、ゆかりは海上の科白に可笑しそうに微笑して言った。

「うん。俺って基本的に究極のロマンチストだからね」

 と、海上は答えると、冗談めかして少し笑った。それに誘われるようにしてゆかりも少し笑った。

 弱い風が頬を撫でた。目の前の道を誰かが横切っていく。


「・・・そういえば、海上さんって昔わたしがライブ行ったとき、何か月がでてくる歌を歌ってませんでした?今日は月がきれいに見えててとかそういうの」

「よく覚えてるね」

 と、海上はゆかりの科白に笑って答えた。その歌は「月の見える夜にきみが僕に語ったこと」という題名の歌だった。

「わたし、あの歌好きなんですよ」

 と、ゆかりは微笑んで言った。

「あのライブのとき、百円で売ってたCD、わたし今でもよく聞いてますよ」

「へー」

 海上は意外に思ってゆかりの横顔に視線を向けた。そのCDというのは、三曲入りの、自主制作したものだ。


「あの歌って、友達のことについて歌った歌ですよね?」

「そうだよ」

 と、海上はゆかりの質問に頷いて言った。


 海上があるとき月を見ていると、ふいに海上は友達のことを思い出した。そしてその友達のことを考えながらものの十分程で、海上はその歌を作りあげてしまった。普段、曲作りにすごく時間のかかってしまう海上としては珍しいことだった。

「あの歌、いいですよね」

 と、ゆかりは言った。声の感じからして、ゆかりが本気でそう思っているということが伝わってきた。

「そうかな?」

 と、海上は少し照れ臭くなって笑って答えた。

「うん。すこぐいいと思います。恋とか失恋の歌じゃなくて、純粋に友達のことを想って、友達を大切していきたいっていう想いが伝わってきていいなって思います」

「ありがとう」

 と、海上は笑って礼を述べた。

「山本さんはいいひとだ」

「海上さんって近いうちにまたライブやる予定とかないんですか?」

「うーん、今のところないかな」

 と、海上は答えた。

「またライブやることがあったらぜひ教えてくださいね」

 と、ゆかりは微笑んで言った。

「だいたい夜には仕事終わってるし、行けると思うんでぜひ声をかけてください。またあの月の歌みたいないい歌作ってくださいね。楽しみにしてるんで」


 海上はゆかりの言葉にどう答えたらいいのかわらかなかったので、曖昧に微笑しただけだった。それに、自分にはこれから先新しい曲を作れるかどうか海上はいまひとつ自信がもてなかった。


 と、海上がそんなことを思っていると、良美と祥子のふたりが急に慌てた声を出すのが聞こえた。どうしたのだろうと思い、海上が声の聞こえた方向に視線を向けてみると、どういうわけか、中平が大量の鼻血を出している。チョコレートでも食べ過ぎたのだろうか。やれやれと思いながら、海上は中平の介抱をしている良美と祥子のふたりを手伝うためにベンチから立ち上がった。









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