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番外・弟の姉

ランキング上位。評価やブックマークを本当にありがとうございます。この作品最後の投稿です。

 




 僕には姉がいる。



 そして兄がいる。



 兄とは同じ血が流れているが、姉は違う。小学生の低学年の頃母親とともに戸籍上、家族に加わった義姉だ。


 以前の状態が『家族』と呼べるか怪しいと思うほど原型を留めてなかったのだが。



 その理由は至極簡単。

 母が亡くなり父が荒れ兄が捻くれ僕が…



 僕が、人嫌いだったからだ。




 *********





 物心つく前から常に妙な不快感が付いてまわっていた。

 それは成長する毎に膨らんでいき、ある日気づいた。



 ________人が自分に触れる。



 温度が感触が、全てが。


 嫌悪の対象なのだと。



 家族も例外ではなかったが赤の他人よりはいくらか和らぐらしい。

 物心がついた頃に近くにいるのはもう兄しか残っておらず結果的に兄の後を追う毎日だった。


 兄はできた人だった。賢く周りの環境に賢く器用に立ち向かう。子どもらしいところもあったがその天性の才は幼い頃から垣間見えていた。

 …近い将来その才能が頭を抱えるような事に使われるとは夢にも思わないのだが。



 そんな俗に言う“天才”を兄に持つ自分は普通だ。


 顔も普通。能力も普通。感性も普通。何もかも普通。


 平均は上回るかもしれない。だが兄と比較すれば平凡の部類。比べる相手がおかしいのかもしれないと最近は思えるようになったが、比べることがもう染み付いていて仕方ない。



 嫉妬…だったのだろうか。



 ともかく僕は兄と似らず一般の面白みのない男で。



 一緒に嫌悪していたはずの新しい姉といつの間にか…いや『一回目の事件』後親しくなっていた時。



 普通に思ったのだ。




 気持ち悪い。




 孤独という兄の内心を知っていながら、“赤の他人”に自ら近づこうとする兄に言い表せないほどの嫌悪を身を震わせたのを覚えている。




 *********





 姉ができて数年。

 僕は家族から適切な距離をとって生活していた。


 気持ちの悪くなった兄然り、義姉はもちろんのこと徹底的に最低限干渉しないよう避けていた。


 何が悲しくて赤の他人と親交を深めなければならないのか、理解不能。とにかく不快で反吐が出る茶番をするつもりは更々なかった。



 だが義姉は見下す目や拒絶の言葉や態度を歯牙にもかけずにただ淡々と接してくる。




 気味が悪かった。



 __________まるで我が儘を言う子どもをあしらっているような、そんな穏やかな視線を向けて。


 仕方ない、とでも言いたげな。



 寒気がした。鳥肌が立った。知ったような口を利くなと罵った。

 差し伸べられた手を振り払った。


 そうやって近付いて何を企んでいるのかああ気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。



 実際そうだ、いつもそうじゃないか人はいつだって……。






 違う。



 いつだって悪いのは自分だった。

 人に期待して裏切られる事に恐怖して離れたのは自分だ。失望される事が嫌で馴れ合いを拒絶したのは自分だ。同情されて跳ね除けながらも不幸ぶっていたのは自分だ。


 いつの日かいないものとされ誰の手さえ伸ばされないようにしたのは、この僕だ。



 自分だって餓鬼だった。一方的に兄のことを言えないくらい愚かな子どもだったのだ。


 そんな馬鹿な子どもにずっと名を呼び何年も抗う腕を引っ張ろうとしてくれた人。



 素直になりたいと思った自分に気付いた時には遅かった。


 嫌悪感を自分に感じながらも握り返そうとした時には力なく降ろされていった。





 小学校最後の冬の日、運良くなのか悪くなのか『二回目の事件』に出くわした僕は咄嗟に飛びかかる。


 複数の不審な男どもに群れられる姉に向かって。



 これが最初で最後のチャンスだろうと心のどこかで感じながら。





 *********





 下品な立ち振る舞いをする男が獣のような欲望を含む言葉を投げかけた瞬間、僕は近くにいた男の足に噛み付いた。



 屑らしい汚らしい叫び声だった。そのまま喰いちぎる勢いでいたが縛られていた手前あっさりと無力化された。


 頭部を蹴り上げられ馬乗りになり押さえつけられたぼくの意識が朦朧とする中、仮にも女が絶対言わないだろう罵詈雑言を吐きながら必死に抵抗していた姉の声が、不意にピタリと止まる。


 同時に喉元に冷たい感触が触れた。



 その正体に気付いた途端思わずヒクリと喉の奥で鳴り、怯んだ。



 刃物。



 人を成り行きとはいえ二人も攫い金を奪おうとし、更にはまだ体の出来上がっていない発育途中の姉を犯そうとする卑劣な犯罪者だ。刃物の一つや二つ持っていたとしてもおかしくない。


 その隙に姉の衣服を引き裂いていく下衆。白くて細い身体を荒く弄る無数の下賤で低俗な塵共。



 やめてくれ。


 叫ぼうとしたが刃物は姉の喉元にも当てられていた。被害が及ぶのは僕だけじゃない。仮に叫んだとしてもこの手の塵は余興として喜ばせるだけだ。だから大人しく……



 …そう、言い訳を自分に言い聞かせる自分に愕然とした。



 姉が身を挺して守ろうとしている中、自分は保身に走っている?女に、普段罵り見下している奴に?



 乾いた笑いしか出てこない。塵はどっちだ。


 柔らかく笑う姉に嫌悪を振り撒いた。下劣に嗤う犯罪者どもにも嫌悪した。

 それの比ではないくらい今は、自分の何もかもが気持ち悪い。一秒が何分も何時間にも感じられた。



 自我を持ち始めてからずっと感じていた不快感は、自分こそが原因だったのだと知った。



 衝撃的な真実に呆然としていると、嗚咽を堪える姉と視線を交えた。


 すると一瞬目を見開き何故か驚愕の色を見せ、ふっとその目を細める。




 _________ああ、どうして。違うだろう?





 震える唇を微かに動かし彼女は。





  ダ イ ジョ ウ ブ



 微笑んだ。


 諦めを孕む虚空を光を宿して。







 誰かの理性なんて微塵も感じられない絶叫が頭に響いて五月蝿い。




 誰の声だろうか。誰の叫びだろうか。

 誰の心の悲鳴だろうか。




 視界がぼやけて感覚さえもわからない。


 ただ一つわかるのは、優しく強い筈だった姉のこと。





 ________貴女はそんな目をするべき人じゃないだろう…?







 いつだったか。小さな絵本で得た知識。



 この世には正義を形にしたような『ヒーロー』と。


 それに助けられ愛を分かち合い寄り添う『ヒロイン』という者がいるらしい。



 これを知った時、僕はそんなものには成れないとすぐに悟った。



 きっと僕は、『ヒロイン』を攫う悪役の子分くらいにしか成れない。





 壊したのは、何時迄も愚かな子ども。





 *********





 白い部屋で姉の容態を兄から聞くと、瞬時にベットから慌ただしく飛び降りた。


 制止の声を背中に受けながら思考を支配するのはただただ姉の事だけで、痛む身体を二の次に走り続ける。



 漸く見つけた名前に乱暴に開く扉。




 そこで見た光景は…半狂乱に泣き叫び恐怖をその身で表す姉の姿。

 医者や看護師が手がつけられないほど怯え、目に当てられないくらい取り乱す一人の小さな女の子の成れ果てだった。



 僕に気付いた看護師に病室を追い出されると、人気のない廊下で閉じられた扉を背にズルズルと膝から崩れ落ちる。


 まだ扉越しに一人の女の子の悲鳴が聴こえる。



 耳に錆のように蔓延り、中で反響する。




 …酷い眩暈がして顔を片手で覆った。

 途端流れ出すのは後悔や怒りや嘆きや苦しみや、とにかく自責の念。

 液体として目から溢れる。




 心の何処かで思っていた。きっと姉なら大丈夫だろうと。

 自力で誘拐犯罪者から逃げてきた奴だ。どんな言葉をぶつけても涙一つ見せなかった鉄の女だ。

 また自分で如何にかするだろうと。



 …そんなの運が良かっただけだ。彼女は細い腕だった。小さな体だった。強い?あの人はただ耐えていただけだ。そうするしか方法が無かった現実に立ち向かっていただけの、ただの女の子だった。



 ああどうして、僕はいつもいつも大事なものを見逃してしまうのか。



 そんなもの分かっている。僕が弱いから、自分勝手に振る舞って独り善がりの行動をして。


 結果、バチが当たったのだ。




 一人の女の子を壊した。




 しばらく蹲っていると扉が開く。いつの間にか側にいた兄に肩を支えられながらゆっくり入った。


 先刻の悲鳴が嘘だったかのように静まり返っていた室内には、白いベットの上で小さな体を更に縮こませた女の子。



 姉さん。



 ポツリと掠れながら呟いたがピクリとも反応しない。もう一度呼んだがやはり反応はなかった。



 眠っているのかとその身に触れようと手を伸ばして…


 振り払われた。



 姉は僕が拒絶する度にこんな思いをしていたのか…?


 叩かれて乾いた音を立てた自分の手をまた愕然としながら見つめ、そして、嗤う。自分を嘲るしかなかった。

 今までしてきた行為を返されて、それで傷つく資格なんてない癖に。何処まで愚かなんだろう。


 微弱に震える姉を見つめる。

 寒い倉庫のような所で縛られ嬲られた彼女の白い手は霜焼けだろうか所々赤くなっていた。



 あの手を包み込んで温めることも駄目なのか?

 もう寒くないのに、身を震わせる彼女と目を合わせることも駄目なのか?



 何処まで罪を実感すればいいのか。



 どうしたら、赦される?




 何も持っていない僕は何の変哲も無い謝罪の言葉を繰り返すしかできなかった。





 *********





 兄は僕を責めなかった。


 助けられず、ただ巻き込まれ足手まといになるしかできなかった不出来な弟を責め立てずに慰める。



「お前は何も悪くないよ」



 お前が無事でよかった、そう優しく笑うだけ。


 瞳には様々な感情を滾らせつつ隠しながら。



 どうせなら怒鳴り散らして責め立ててくれれば良かったものを。それとも敢えてだったのかは僕にはわからなかった。




 それから僕は姉から逃げるようにして遠方の全寮制中学校に進学した。


 赦されたい、そう思いながらも普通である僕には兄のように姉を“守る”なんて勇気はない。強さもない。自信もなく。


 あの日一緒にいたのがヒーローのような兄であったらと、そんな馬鹿な考えを思い巡らせ現実から目を背けようとするくらいには弱虫で情けない男だった。



 要は全てから逃げる選択をしたのだ。



 あの事件から心の奥底でずっと燻るわだかまりを胸に、姉と直接会うことは四年は無かった。




 それから数年後、兄からの着信で姉との再会の機会を得た。





『ナツが誘拐された』




 よく誘拐される人だと呆れる反面、前の傷を抉られるのではと焦燥と畏怖と緊迫した気持ち襲われた。


 折角、記憶を失ってくれたのに。



 防衛本能か、どちらの事件もなかった事にし記憶を封じた姉は、僕が一人だけで寮生活をしていることにかなり心配して良く電話をしてきていた。


 そんな資格ないと罪悪感に駆られる反面、脆くても気にかけてくれる姉に温かいものを感じる僕。「アキ」と名前を呼んでくれる度に嬉しく思う僕。


 やっぱり塵で屑で糞な自分に嫌悪しながら。



 そんな中での『三回目の事件』。

 兄はこれまでの経緯を話し、僕に協力してくれと頼んできた。一体何を、と思いかけパソコンに目をやる。


 僕は少し、パソコンに自信がある。例えば…………



 まさか?



 兄の異常な過保護な行動は普段姉から聴いていたが、その話を聞いてドン引きが更に距離を長くした。最早僕の中で兄の評価がマイナスまで下がりに下がって底が見えない状態だ。



 だけどそんな滅茶苦茶な方法だったら早く姉を救い出せるかもしれない。手遅れにならないかもしれない。




 償いになるだろうか?




 辛かった。偽りの平穏を過ごしてもまとわりつく自分への嫌悪感と姉への罪悪感。解放されたかった。

 貪欲で最低な僕は愚かな身でありながら無様にも…姉に全て受け入れてもらいたいとこの期に及んで思ってしまった。



 だから馬鹿みたいな提案を呑んだ。



 馬鹿みたいだなんて今更だった。





 *********





 姉は全てを思い出した。


 それでいて表上では平静を装えるくらいには元気があって安堵した。強いという認識はあながち間違いではなかった。



 取り乱さず目覚めてくれて感極まって抱き着いたのは今でも恥ずかしく思う。そういえば自分から人に触れたのはこれが初めてだった。


 不快感や嫌悪感に邪魔されず抱きしめ姉を直に感じた。歓喜に打ち震えていた思考では柔らかくて温かかった…としか覚えていない。いや充分か。




 最終的に姉は僕を赦した。


 土下座して懺悔する僕を困惑しながら見つめ、それから微笑む。



「別に、アキにはなんの責任もなかったでしょ?」



 そもそもヘタレなアキに責任なんて大層なもの荷が重すぎるし気にするだけ無駄だって。


 どうしてもって言うなら、もっと私に構って。会えなくて寂しいしもっとアキのこと知りたいから。



 そんな軽口をたたき少し目尻を下げて微笑んだ。




 恨むも何も、姉は僕を憎んでいなかった。


 数年間蝕んでいた黒い靄が急激に萎んで、呆気なく整理された心。



 零れ落ちる雫を手の甲で拭いながら、なるべく優しい表情を浮かべられるように努力した。




「それじゃあ、手を。手を握ってもいい?」



 貴女のように。




 謝るのはこれっきりにするから。





 *********





 中学を卒業した僕はこの春から兄たちと同じ高校に進学することにした。


 漸く家族と和解できたのだ、どうせならこれまでの時間の埋め合わせするくらい良いだろう。



 そして兄の変態じみた行動を妨害していこうと思ってもいる。流石に姉が可哀想だ。なんだ盗聴器って。なんだ監視&録画カメラって。絶対に自分の家の中に置く物じゃない。


 姉が過労死でもしたら確実に兄の所為だろう。させるわけないが。




 帰ってくると伝えると兄は嬉しそうに笑っていた。その瞳に微かに複雑そうな感情を覗かせて。


 ________きっと兄は姉に家族以上の感情を抱いている。別に僕は邪魔も応援もする気はない。良くは思わないが。まあしばらくは何も起こらないだろう。明らかに姉はそんなものを望んでいないから。



 出会った頃に比べて感情の起伏があまり表に出ず、表情が乏しくなった姉。しかしそれが最近、ほんの少しずつ、笑顔が増えてきていると僕は感じている。心の底からそれが嬉しい。




 僕はまだ勇気や自信がない弱虫のままだけど、助ける守るなんて大口叩けないけど。


 傍にいて姉に降り注ぐ危険を代わりに引き受けることくらいは出来るだろうから。




 兄は『ヒーロー』、姉は『ヒロイン』。


 それなら僕は『ヒロイン』を支える『友人』に成りたい。



 少しでも多くの“優しさ”を彼女に返したい。



 家族になりたい。








 もう嫌悪なんて微塵も感じない。




以上で完全に完結とします。兄弟たちが何をやらかしたのかはご想像にお任せいたします…。読者様方に言葉に尽くせないくらいの感謝を。

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