傍若無人
鉄柱すら易易と貫通する二本の鋭角が刻一刻と三方から迫る。そして今にも六本の剛角がその
肉体を貫かんとした││刹那、僅かに彼女の体が揺らいだ。次の瞬間三体の巨躯は軽々と中を舞い半ば倒壊し廃墟と化した建築物へと勢いよく突っ込む。続いて響くのは崩壊の轟音。粉塵が舞い上がり辺りを覆う。
おお、と完全に見物人へ徹していた周囲の軍人たちから響めきが上がった。先程の揺らぎを見てとったのは数人もいないであろう。確かに一瞬彼女は三人に増えた。分身術と体術の組み合わせだ。
しかし、これで討伐完了ではない、瓦礫の中から再び三つの巨体が飛び出てくる。そして
またもや紺服の女に襲いかかった。今度は陣形も何もない、激昂しているのだ。何度も何度も何度も、狂った様に双角を振り翳し女を刺し続けるが彼女の肉体は揺らぎ続けるだけで一向に倒れる様子ない。咆哮を上げ乱舞する獣、優雅に攻撃を回避し続ける女術師、戦闘を俯瞰して四十九院は嘲笑した。
「早くも結果は見えてもうたな。モノホンはもっと後ろや」
「ふむ、やるな」
極東陰陽寮当主が小さな感嘆を上げた。今使用しているのは忍術の一種、幻術である、それも可也高レベルの。魔獣どころか見物人の軍人たちも幻術へ嵌め、五感による位置認識を誤認させている。視覚、聴覚、嗅覚を総動員しても並みの魔獣、術師では本体の位置を把握できないだろう。そして数秒後、陽炎か蜃気楼の如くその体が雲散霧消し虚空に溶け消えた。次に現れた女は十二人増加していた。その一体一体が本人と何ら変わらぬ気(気配)を放っている。と、先程とは逆に全員が窮奇を円形に取り囲み同時に印を切った。九字の内四字、臨・兵・闘・者の手印を結ぶ。地に手を着くと全方向から業火が三匹に襲い掛かった。一匹は回避に成功したが後の二匹は煉獄の炎に包まれ断末魔の咆哮と伴に尽き果てる。
「火遁やな」
「ああ、〝煉獄十二陣の術〟だ」
印を結ぶのに所要した時間は一秒未満にも関わらず、二人は正確にそれを見てとった。幻術に火遁の術を組み込んである。十二方向から迫る火焔の内本物は一つだった。が、知能が比較的高度とされる人間でもそれを見極められないのだ、あの格の魔獣が絶命したのは自明の理とも言える。
続いて彼女は腰元に手を当てる。すると、二振りの黒鞘に納まった日本刀が音もなく現出した。
魔獣に加え数人の術師が蹈鞴を踏んだ。幻術に掛かった侭ならば剣の出現と伴に彼女の前進が巨
大化したように見えたはずだ。小さく口唇が動き言葉が漏れる。
「宮柳流八式〝双刀・燕返し〟」
交差は一瞬だった。匕首を切り斬撃を放ち交差し対になる白刃と黒刃を鞘に納める。その淀み
なく洗練された一連の動作における所要時間は一秒未満。紫電一閃、煌く斬撃、撫でるように袈裟斬りに四度日本刀を振り下ろされた日本刀を二人は見た。魔獣の体が五等分に切断され鮮血の血飛沫が舞い、盛大な音をたて地へと崩れ落ちる。
漂うのは血臭。湧き上がるは歓声。微かに荒れた呼気を整え、女は絶命した魔獣に目と落とした。
「お見事や、宮柳君」
柏手鳴らしながら、いつの間にか彼女の後ろに立っていた四十九院は何気なしに背後からその肩に触れ││
「「あっ」」
まるで禁忌に触れたかのような数人の声が重なり││四十九院の体が軽々と宙を舞った。
端的に表現すれば行使した体術は柔道の一本背負いである。
油断した自分に対し、悔恨の念を馳せるが時既に遅く天地逆転し身体は空を舞っている。それ
でも何とか受身をとったのは流石と褒められるべきであろう。彼は辛うじて地面への激突を回避する事に成功した。
「すっ、すいません四十九院殿!お怪我はありませんか!私、後ろから急に触れられると誰構わず投げ飛ばしてしまうんです。条件反射といいますか」
「いや、大丈夫や。・・・気にせんとき」
(・・・いや、マジで死ぬか思うたわ)
急場のアクロバットに挑戦し、背にビッショリと脂汗をかいた極東術師軍大将は二度とこの愚
行を繰り返さぬよう固く己に誓った。
「暫く見ぬうちに随分と腕を上げたな、宮柳」
内心冷汗をかいていた相方を尻目に側から一連の騒動を静観していた御堂が珍しく褒め言葉
をかけた。彼はフェミニストではない。性別関係なく、幼児からロートルに至るまで││とは言
わないが部下には厳格、厳正な態度で臨む、それが御堂志衛という男である。(その為、彼は若い
術師達から畏怖の対象、不動明王の権化とされている) 故にこれはリップサービスではなかった。
軽薄な見た目と言動からどこか抜けていそうな性格に見られることが多々あるが、実際、四十
九院帝を投げ飛ばすのは並大抵の者では不可能である。先程も臨戦態勢で無かったといえ彼は極東で五本指に入る実力を持つ人物だ。陰陽道だけではなく体術を主とする肉体戦闘にも秀でる。空手、柔道、合気道、中国拳法、ボクシング、ムエタイ、サンボ、レスリング、eta・・・、様々な武術を学び、極めるまでは行かずとも玄人の域には十二分に到達しているのだから。
〝宮柳朧・K(果心居心)〟は〝剣聖″の異名を持ち、極東きっての凄腕剣士であ
ると同時に忍術(主に幻術)使いでもある。忍術の基本である体術は無論、嘗て極東に連綿と伝わ
っていた五つの剣術流派、新陰流、一刀流、神道流、そして佐々木小次郎が開き〝燕返し″で
有名な巌流、宮本武蔵が編み出した二天一流を残された書物から独学し、それらを統合させた新
たな流派〝宮柳流″を編み出した若干二十三歳。腰に揃える二本の太刀は妖刀と揶揄された宝
具〝正村・村雨″。霊名の〝果心居心〟は戦国時代の武将、織田信長、豊臣秀吉に幻術を披露し
たと言われる術師である。
「光栄です。御堂殿」
未だ何時もよりぎこちない笑みを浮かべている四十九院を無視して姿勢正しく敬礼をとる宮柳
朧と鷹揚に頷く御堂。
「遅いぞ!一体お前ら術師達は何をやっているんだ!」
「いえ、ですが・・・」
「黙れ!お前たち術師は人に奉仕する事が目的だろうが!」
唐突に銅鑼声が響いた。見ると数人の中年軍人が術師に食ってかかっている。四十九院が割って入った。
「あのなぁ、おっちゃん、僕ら極東陰陽寮は国家術師でも軍人でもないんやで。そんなこと言われてもお門違いも甚だしいわ」
「なんだとっ!道具の分際で偉そうに・・・」
「僕らは道具ちゃうんや。もう一遍言うたら魔獣の群れん中放り込むで」
全身に殺気が漲り、男の胸倉をつかみあげた。
「やめろ、四十九院」
「確かに我々術師は貴男方一般人にはない力を持っています。しかし、それだけです。貴方がたと同じように飯を食らい、睡眠を欲し、誰かを愛し、撃たれれば赤い血を流し、寿命が来れば死に至ります。恐怖も絶望も希望も同じように感じています。
私は力あるものの義務は力無き弱きものを守る事にあると思っています。だが、だからといって我々術師は単なる奉仕道具、『モノ』などでは断じてない。我々は術師である以前に各々が確立した一個体である人間なのです。そこをご理解頂きたい」
「っ・・・」
「一つしかない命大事にしぃや」
「政府に喧嘩を売ってどうする」
表情に変化もなく口調に抑揚もない何時通り淡々と言葉を置くように彼は告げた。
「志衛君甘すぎるで、どうせ日本政府、いや各国の政府なんてただのお飾りや。それに官僚は僕ら術師なんて唯の道具としか思うとらん」
「だとしても、問題を起こされるのは困る。きちんと対価を貰っている間はな」
「逸そのこと、政府ごと消さん?」
細目が見開かれ眼光が強まる。それは軽口にしては本気の色が強すぎた。だからだろうか、
「滅多な事を言うな」
御堂の口調に初めて微かな非難の色が混じった。
「はいはい、冗談やで、冗談」
御堂は己も帰還
すべく移住区画へと足を向けた。と、唐突にその足を止め懐から一枚の呪符を取り出す。
呪文の刻まれた札を眼前へ掲げると瞬時にそれは形態を変え、一〇㎝程の人型をとる極東術
師における簡易通信符だ。携帯電話もこの距離なら辛うじて繋がるが御堂は機械音痴であった」そこから聞こえてきたのは清流のせせらぎを思わせる澄んだ女性の声だった。