85 疾走と夏の終わり
夏休み編、最終回です!
長かった夏休みの最後をお楽しみください!
颯が芽榴を解放する。
改めて芽榴は颯の姿を見て溜息を吐いた。颯も浴衣姿で、これまたお美しい容姿が映えていた。それなのに――。
「言い遅れたけれど……浴衣似合っているよ」
そんなことを言う颯に芽榴は目を細めた。おそらくこれはお世辞じゃない。すでに他の役員にも同じことを言われている。毎度のことだが、自分たちの容姿がここまで整いすぎていると、少し崩れていたほうがよく見えてくるものなのだろうか、と真剣に考えるのだった。
いつの間にか穏やかな空気になっていて2人は忘れていた。あくまでここにはまだ不良男子たちが倒れているということを。
「て……めぇ……っ」
気を抜いていた芽榴の近くで倒れていた男子の意識が戻る。
背後をとられ、芽榴が振り向いてからでは間に合わない。颯もすぐに芽榴の腕を引くが、その不良男子の拳は避けられない。颯が芽榴を庇おうと半回転した。
ガッ
ものすごい打撃音がする。人を殴ったときにでる音ではない。
芽榴も颯も無傷だった。襲いかかってきた男子が間抜けな顔で倒れていくのを颯越しに芽榴は見つめる。その後ろから現れた人物は芽榴が予想していたとおりの人物だ。芽榴は彼の姿を見て安堵するが、彼のスイッチはすでに入っていて苦笑してしまう。
「遅いよ、有利」
颯は有利が来ることを知っていたかのように、不敵な笑みを浮かべる。スイッチの入った有利は今しがた自分が木刀で薙ぎ払った人物をものすごく冷たい眼差しで見下ろしていた。
「……るせぇよ。てめぇに当たってねぇんだから文句言ってんな」
有利の顔でそんな乱暴な物言いはやはり似合わない。
しかし、今の有利がそばにいればもう怖いものなんてないだろう。
「手加減する必要はないよ」
「する気もねぇよ。ほら、気失ってんじゃねぇぞ!」
そう言って有利は芽榴に気絶させられた男子どもを無理やりに叩き起こす。
目を覚ますや否や、不良男子たちは芽榴に目を向けるが、目の前で怒りを露わにする有利にその道を塞がれてしまう。
「へっ! 邪魔だ、どけ!」
「痛い目見んぞ!」
「お前みたいな細っこいのに負けるかよ! バーカ!」
「……あ?」
少年たちはそんな暴言をあろうことに今の有利に吐いてしまう。命知らずもいいところだ。身の程を知らない愚かな少年たちはその後、有利によって地獄を見せられたのは言うまでもない。
さっさと逃げていればよかったものを、と芽榴は思う。
「芽榴ちゃん!」
すると、遠くから風雅の声が聞こえる。
芽榴は笑顔でそちらに目を向けた。
「るーちゃん、大丈夫、よね?」
肯定系で聞く来羅に芽榴はクスリと笑って「うん、大丈夫」と言った。
「楠原さん……」
功利がゆっくりと芽榴に近づく。たとえ芽榴が無事でも巻き込んだことを謝るべきだと分かっていた。それでも一番言いたいことはそれじゃない。
「ありがとう、ございます……」
深くお辞儀をして告げる。
そんな功利を見て芽榴は嬉しそうに笑った。
2人のはにかんだ笑顔を見ていると、そばにいた来羅と風雅も思わずニヤけてしまった。
「藍堂。もうそれくらいでいいだろう」
翔太郎は事を収めるべく、有利の元へと向かう。しかし、有利は聞く耳を持たない。怯える不良少年を顔に似合わない強い言葉で怒鳴りつけていた。
「翔太郎さん」
困り果てた翔太郎の元に、功利がやってくる。翔太郎が拒絶しない程度の距離を保って功利は「兄様のことは任せてください」と告げる。
一体どうするのかと翔太郎が不思議そうに首を傾げる。
特に何も説明しないまま功利は有利のそばに行った。
「兄様」
「あ? うっせぇんだ……」
パンッ
有利の顔の真ん前で功利は両手を叩いて大きな音を立てる。
「……っ、功利。……すみません。ありがとうございます」
まるで猫だましのようなその行為で、有利はハッと元の意識を取り戻した。
「有利クンのあれは颯クンでもなかなか止められないのに」
「さすが妹って感じねぇ」
風雅と来羅はその光景を見て感動する。有利のスイッチが入ったときは大抵手が付けられないというのに、一瞬でそれを止めてみせるのは役員たちにとってマジックに近いものがある。
「神代。どこまで記憶を操作する?」
「とりあえず、ここであったことは忘れてもらう方向で頼むよ。自分たちで殴り合っていて気絶していた、とかね」
颯の提案に頷いて翔太郎は眼鏡を外す。不良少年たちに一人一人催眠術をかけていった。
颯と翔太郎はそのまま事後処理を行う。一方で颯と仲直りできたことを芽榴が報告して風雅と来羅が喜びあっていた。
そして功利は有利と改めて向き合う。有利の顔をちゃんと見たのは昨日の朝、道場で向かいあったとき以来だ。たった数時間。それでもあの時と思っていることはまったくの別物だった。
「兄様、ありがとうございました。それと……昨日のご無礼申し訳ありませんでした」
功利はそう言って有利に頭を下げる。有利は「やめてください」と優しく言って功利の顔をあげさせた。
「功利、無事でよかったです」
有利は功利の頭をヨシヨシと撫でる。
懐かしいその手から伝わる思いに止まった涙が功利の目からまた溢れ出しそうになった。
有利にとって自分はただの重荷にしかならない。彼にとってもう自分は大切ではないのだと思っていた。
芽榴を巻き込んだことを怒られることも覚悟していたのに、彼も役員もみんな功利を責めなかった。
楠原芽榴という女の子は、あの役員たちと同様にもしくはそれ以上に素晴らしい人なのかもしれない。
あくまで功利の中でこれはまだ予測の範囲を抜けない考えだ。答えには至らない。それでも――。
「兄様。楠原さんみたいな女の人は、なかなかいませんよ」
功利の言葉に有利は目を見開く。
昨日まで、正確にはついさっきまで功利が芽榴に抱いていた感情は今功利が口にした言葉とは結びつかない。
功利が気づいた思いに、有利は少しだけ表情を崩して微笑んだ。
「分かっていますよ」
「逃したら、兄様一生1人かもしれませんね」
功利がそんな冗談を言って笑う。
そんな功利の笑顔を見るのは何年ぶりだろうか。
まるで少しだけ昔の功利に戻った気がして、有利の心の中の霧が晴れていった。
「ねぇ、人も揃ったし、河原に戻ろう。花火始まっちゃうよ」
風雅が提案して、みんなで花火を見に河原へと向かう。
今年最後の花火は星の見えない真っ暗な夜空に無数に咲いていく。
みんなの目が花火に釘付けだった。
花火を見終わって功利は家の仕事が残っているからと早めに家に帰ることになり、一同少し残念そうな顔をした。
それでもせっかくやっとみんな集まったのだから屋台をもう一度回りたい気持ちはあって、結局役員だけで来た道を戻る形で屋台通りを歩き始めた。が、ただ一人お面をつけている人物は不服そうなオーラを漂わせていた。
「みんなもお面つけるべきでしょ! なんでオレだけ!?」
珍しく最もらしい文句を口にする風雅だが、みんな聞こえないフリを突き通して黙殺する。間違ってもこんな人混みの中をお面をつけて歩くなんてしたくないというのがみんなの意見だ。
「まぁまぁ、蓮月くんが一番イケメンなんだからしょうがないよ」
「……芽榴ちゃんが、そう言うなら」
お面をつけて照れている風雅を見て来羅は失笑する。そんな来羅を見て自分にまで笑いが伝染しそうだった翔太郎が来羅を軽く叩いた。
「風雅の扱いがうまいね」
「まぁ、事実だし?」
隣で腕を組んで歩く颯に、芽榴がそう返す。颯は少しだけ目を細めた。
「なに?」
「風雅は来月仕事を増やすことにするよ」
「なぜそうなる……?」
颯の気まぐれに付き合わされる風雅を哀れに思う芽榴は、風雅の仕事倍増の原因が自分の発言によるものだとは思いもしていないのだ。
「ねぇ、翔ちゃん。あれで勝負しましょう」
芽榴の目の前で来羅が翔太郎の袖を掴み、射的のほうに引っ張っていく。
「勝負? 一人でやればいいだろう。見ておいてやるからさっさと済ませろ」
翔太郎は面倒そうに眼鏡を押し上げて来羅に言う。来羅はとてもつまらないものを見るような目で翔太郎を見た。
「な、なんだ?」
「るーちゃん。今の聞いた?」
来羅が芽榴のところにやってきて翔太郎を指差す。
「私に負けるのが怖いからって勝負を断る。そういうのって男としてどう? 情けないと思わない?」
「え? それはまぁ……」
「柊!!」
芽榴が困りながらも肯定すると。翔太郎はものすごい顔をして来羅の首根っこを掴んだ。
「いいだろう。貴様ごときに俺が負けるはずがない。勝負だ」
なぜか翔太郎がムキになって、来羅よりも先に屋台のおじさんにお金を払っている。それを見て来羅は満足げに笑う。
「そうこなくっちゃ」
「あ、オレもオレもー!」
「風雅、お前は少し僕とお話をしようか」
「え、話? ったたた! 颯クン、身をつかんでるから! ちょ、え!?」
颯は仕事倍増の前に、風雅に少し話があるようで、彼の浴衣の襟首を体の身ごと掴んで引っ張っていく。
相変わらず暴君な颯と哀れな風雅である。
「楠原さん」
「藍堂くんはしなくていーの? 男試し射的」
芽榴はただの射的にそんなナンセンスなネーミングをつけて楽しそうに笑った。
「僕はいいです。楠原さんは何かしたいことはないんですか?」
「見てるだけで楽しいから」
我慢してるでも何でもなく、本当に芽榴は楽しんでいた。
興味がないことを見ていても楽しめない。来羅と翔太郎の射的も、話し合いという名の颯による風雅の説教も、全部見ているだけで芽榴は楽しかった。
「楠原さん、ありがとうございました」
「何が?」
「功利を助けてくれたことです」
有利が言って、芽榴は首を竦めた。
「それさ、実際私が功利ちゃん助けないで見捨てたら……それはそれで問題でしょう? だからお礼なんて言わないでよ」
「……本当に、そういうところは楠原さんらしいですね」
有利は苦笑する。
素直に感謝されていいことなのに、当たり前のことだと芽榴は言う。
功利の言うとおり、芽榴を逃せば有利の目に適う女の子なんてもう二度と現れないのではないのだろうか。そんなことを有利は思ってしまう。
ましてそんなことを思っているのは有利だけではないのだから困った話だ。
「藍堂くん? どしたの? 溜息なんか吐いて」
「どんな大会で優勝するよりも難しいですよ……」
有利の言葉の意味はやはり芽榴には分からない。どういうことなのか聞こうかとも思ったが、前方から聞こえるおじさんの怒鳴り声に思考が移ってしまった。
「こーらぁぁあ! 景品全部なくなっちまうだろぉが!! 商売あがったりだ! 加減を考えろぉ!」
白熱した勝負の末、景品をほぼ全部撃ち落とす勢いで射的をする来羅と翔太郎に店のおじさんが怒っている。
「きゃああああ! あそこに蓮月風雅がいるーー! てかもう一人の人も超かっこいい!」
そんな女子の喚き声が聞こえて颯と風雅のいた場所に目を向ければ、颯に説教されている間に風雅の面がはずれているのだ。
人の数が相乗効果で増えていく。
小柄な芽榴はきっと、人混みにのまれてはぐれてしまうだろう。
「楠原さん」
その前に有利が芽榴の手を握った。
「藍堂くん?」
「逃げましょう」
有利が芽榴の腕を引く。最初は引っ張られていた芽榴もすぐに有利の横に並んで自らの足で走り出していた。
「賛成ー」
お祭りを駆け抜ける。
長いようで短かった夏休みはもう時期終わる。
心が晴れて新たな決意を胸に、芽榴の足は前へと進む。
青春と波乱の新学期はもう芽榴の目の前に来ていた。




