83 意地っ張りと意気地なし
芽榴と風雅は、他の3人がいるであろう河原へと向かっていた。
目的の河原が見えてきたころ、芽榴は風雅の浴衣の裾を引っ張った。
「ごめん、お手洗い行くから先に行ってて」
「え、待ってるよ」
「すぐそこだし、迷わないから大丈夫。みんな待ってるだろうから先に行って」
芽榴が言い聞かせるように言うと、風雅は納得してくれて芽榴とそこで別れた。
お手洗いを済ませた芽榴はみんなのいるところへ向かおうと足を一歩前へ踏み出す。
そこでチラと後姿が功利に似た女の子が女子の集団に囲まれて少し暗い森の中に連れていかれるのが見えた。
まさか功利ではないだろう。しかし、功利はあとで顔を出す予定だと有利が言っていた。彼女である可能性はぬぐえない。でも、たとえあの女の子が功利だったとしても芽榴がつけてきたのを知れば「お節介」と怒るのだろう。
これ以上功利と気まずくなるのは避けたい。行くか行くまいか芽榴は思い悩む。
そこまで考えて芽榴は「あ」と声を漏らした。前の芽榴ならそんなウジウジした考え方をしていなかったはずだ。他人に好かれようなんて思っていなかった。道理で最近モヤモヤしていたのか、と一人納得する。
変わる必要のないところまで変わろうとしていたことに芽榴は気づいた。
もともと功利には好かれていないわけで、気になるなら少し様子を見てみればいい。
いつもの調子を取り戻し、そんなふうに思った芽榴は河原に向けていた足を森の方へと向けた。
女の子たちは森の深いところまで進む。外の暗闇は大丈夫な芽榴だが、それにしても森の中の暗闇は不気味で少しだけ怖い。
連れて行かれた女の子が功利ではないにせよ、こんなところではお目当ての花火は見れない。確実によい企みあっての行動ではないことくらい芽榴にも分かった。
しばらく歩くと、芽榴の耳に女の子特有の高い声が聞こえた。
「ねぇ、お金持ってきてって言ったじゃん」
「金持ちなんだから、それくらいしてよ」
やはり穏やかな話ではない。
カツアゲなんて初めて見る芽榴にとっては「本当にあるんだー」と呑気に感心してしまうほどに衝撃的だった。
そしてその中心、派手な女子に囲まれているその場に不釣り合いなほどに清楚なオーラを放つ女の子の顔が見え、芽榴は絶句する。
少しは予想していても、実際に見てしまえば、先ほどよりもさらに強い衝撃が芽榴を襲った。
「藍堂さんさぁ、ちょっと男子にカワイイとか言われてるからって調子のんないでよ、ほんと」
「うちら、あんたがどれだけ最低な子か知ってるんだよ?」
「そうそう。言ってほしくないならちゃんとお金持ってきなって」
女の子たちは功利に詰め寄り、彼女を木の幹に追いやる。一方、功利はとても不愉快な顔をして女の子たちを睨み返していた。
「別に言えばいいじゃないですか。ろくに何も知らないんでしょう?」
功利はすごく面倒そうな顔をして言う。芽榴は唖然とした。普通、この場面であそこまで強気ではいられない。素直に功利のことをすごいと思った。
しかし、あくまで呑気なことを考える芽榴とは裏腹に、功利から喧嘩を売られたと思う女の子たちは苛立ちを露わにした。
「はぁ!? 超生意気!」
「あんたやっぱ痛い目にあわないとわかんないんじゃん?」
そう女の子の一人が言うと、辺りの空気が少し変わる。ヤバイと思ったときにはすでに芽榴は駆け出していた。
女の子が功利に降りおろそうとした手を芽榴が自分の腕で弾く。
突然現れた芽榴に、目の前の女の子たちも功利もみんな目を丸くする。
「楠、原さ、ん」
功利は驚きすぎてうまく声が出せなかった。
芽榴は功利のぎこちない呼びかけに「ちょっと危ないから離れてー」と応え、ちょうどよく足元に落ちていた少し太い木の棒を手に取った。
「な、何する気よ……」
女の子たちは後ずさる。功利も芽榴が何をする気なのか、心配そうに見つめた。
「えいっ」
芽榴はバットを振るようにして棒を振り、木の幹にガンっと当てた。
すると――。
ミンミンミーン……バサバサッ
蝉がものすごい音を立てて女の子たちめがけて飛んでいく。
芽榴の予想通り、見た目から虫が苦手そうな女の子たちはものすごい奇声をあげながら去って行った。
「この木に3匹も蝉がいたとはビックリだねー」
女の子たちの去った後を眺めながら芽榴はつぶやく。
呑気なことを言う芽榴を功利は訝しげな表情で見ていた。
「なんで、こんな……」
功利が苦々しい様子で芽榴に尋ねる。芽榴は棒をクルクルっとバトンの要領で回してハハハと笑う。
「普通、虫に追いかけられるとか嫌でしょ? だから」
「そうじゃなくて……!」
どうして木の幹を叩きつけたのかを聞いているのではない。どうして自分を助けたのか、と功利は少し強い口調で言った。
「じゃあ見て見ぬ振りしたほうがよかった?」
「それは――」
「冗談。普通にただのお節介だと思ってー」
芽榴はそう言ってその場を離れようとしたが、それを功利が引き止めた。
芽榴は浮かない功利の顔をジッと無表情で見つめていた。
「笑えばいいじゃないですか」
「何を?」
「楠原さんにグチグチ言ってるけど、自分はいじめられてるじゃないかって……」
「それ、笑うところ? だとしたらごめんね。私の笑いのツボとは違うから笑わない」
芽榴は真顔で言う。
その顔つきはいつもの適当な芽榴の表情とは少しだけ放つオーラが違っていた。
「同情してるんですか」
功利は苛立ったように唇を噛みしめる。そんな功利を前にしても、芽榴は依然冷静で、功利の問いに頷いた。
「そーだね。同情かもしれないね」
「な……!」
功利は言葉を続けられなかった。同意されるとは思ってなかったのだ。絶対に否定してくる。それを「綺麗事だ」と告げようとしたのに、その言葉は吐息となって空中に消える。
「だって私も経験あるからあーいうの」
「うそ……」
「じゃないよ。別に詳しく話すつもりはないけどね」
芽榴は少し悲しげに笑う。人に言えた話ではない。実際に本当に酷い目にあった人だからこそ、軽々しくその体験を話せないのだと功利もすぐに理解できた。それでも相手が芽榴だからか、素直に納得できない想いが功利の中に住み着いていた。
「楠原さんは……私とは違います。私の気持ちが楠原さんに分かるわけないです」
功利は声を荒らげる。芽榴は何も言わない。ただジッと功利の言葉を待った。
「私だって昔はちゃんと友達がいたんです……」
功利は思い返す。
あの事件の後のことを。
功利は病院を退院して、木刀を震えなくなったこと以外はいつもと変わらない毎日を送っていた。
責任を感じてしまった兄に気を使わせないためにも、元気でいようと心に決めた矢先のことだった。功利にさらなる悲しい現実が突きつけられた。
ある放課後。
掃除当番を終えた功利はあの日一緒に公園にいた親友といつものように一緒に帰ろうと教室に向かっていた。
『はるちゃん、大丈夫?』
教室の中からそんな声が聞こえる。〝はる〟という名は功利の親友の名だった。何かあったのかと功利は一歩足を踏み出す。しかし、それ以上前には進めなかった。
『功利ちゃんとはもう一緒にいないほうがいいよ』
『うんうん。はるちゃん、かわいそうだもん』
突然のことで、功利にはわけがわからなかった。いったい誰の話をしているのか理解できなかった。
『でも……それってはるがひどい子みたいになっちゃうし……』
はるが言った台詞こそ、功利は耳を疑った。そこにいるのは本当に自分が仲良くしていたはるなのか、それさえもわからなくなり始めていた。
『そんなことないよー! 功利ちゃんのせいではるまで六年生に目をつけられたんだからさぁ』
『そうそう!』
『そぉ? でも、功利って真面目だから』
『あー、確かにぃ』
『それにね、功利ははるが有利お兄ちゃんのこと好きだと勘違いしてて、無理やりお兄ちゃんに会わせようしたりするんだぁ』
功利は目を丸くした。
はるはずっと有利のことが好きだった。有利と仲良くなりたいと言ったのも彼女で、有利の邪魔になるかもしれないと思ったが彼女のために功利は協力していた、はずだった。
『え、何それ!』
『それで、あの日も功利に連れて行かれて有利お兄ちゃん待ってたら六年生に囲まれて…』
『最低じゃん』
『功利ちゃんは自業自得にしても、はるはかわいそうだよ、それー』
『一緒にいないほうがいいって。危ないよ』
『功利ちゃんに何か言われたらうちらがはるのこと守るよ!』
『ありがとう、みんな』
わけがわからなかった。
わけがわからないまま、功利はひとりぼっちになった。
それでも有利にはバレないようにしようと功利は必死だった。何か熱中するものを見つければ、それを理由にして学校でも一人でいるのだと言い逃れられる。それで両親がやっている華道や茶道にも打ち込んだ。
それからというもの、他人が怖くなった。有利が初めて役員たちを連れてきたときも不信感丸出しで、でも彼らは別次元の人間で、自分などを相手にする器でないこともすぐに理解できた。
だから怖くなかった。
しかし、芽榴は違った。
そして有利は芽榴に心を開いてしまった。
芽榴の話を初めて聞いた時、功利はすぐにはるのことを思い出した。
芽榴も有利の本性を知ったり、巻き込まれたりすれば踵を返す。
傷つくのはまた有利だ。
そして芽榴に関われば、また自分まで巻き込まれるかもしれない。
『最低じゃん』
あんな言葉は二度と聞きたくない。
いろんな思いが噴き出して、功利は唇を噛んだ。思い出すだけでも悔しいのだ。
「いつも……理由も分からないまま、私が悪者になって……。そんなの、おかしいじゃないですか……」
功利の声は小さく、とても弱々しかった。
「誰かのためにしたことも少しレールを外れたら全部私が悪いって……そんなの」
苦しそうに話す功利の頭に芽榴は優しく触れた。
功利は瞠目する。同じ目線にいる芽榴はとても穏やかな顔をしていた。
自分が今、とんでもなく理不尽に芽榴に思いをぶつけているというのに、芽榴は何一つ不満を顔に出していなかった。
「ごめんね。私が嫌なこと言わせちゃった」
「っ……」
「やっぱり同情はちょっと違うかもしれないね。昔から私は友達なんていなかったから」
功利はもう何も言えない。
芽榴の言葉が嘘ではないと彼女の手の温もりが伝えていた。
「でも、麗龍に来て……初めて友達が出来て分かったことは……友達と一緒にいるのが楽しいってこと、それと失うことが怖いってこと」
「――」
「だから功利ちゃんが、今抱えている思いは私なんかに理解できるほど簡単じゃないことくらいは分かってるつもり」
それさえも分かっていないと言われたらそれまでだと芽榴は思っていた。でも、功利はもう何も言わなかった。芽榴は小さく息を吐いて「だからお願い」と付け加えた。
「私がやっとできた友達をどれくらい大切に思ってるかっていうのは、功利ちゃんになら分かるはずだよ」
今、孤独な功利の前に信頼できる友達が現れたならきっと、絶対に失いたくないと彼女は必死でその友達を繋ぎとめるだろう。
もし本当に芽榴が功利と同じように孤独を経験したことがあるのなら、それと同じくらい芽榴は真剣なのだということになる。
功利は本当は分かっていた。
有利こそ簡単に人を信用するような人ではないことも、芽榴が本当は功利の予想していたような人間でないことも。それでもただ認めたくなかった。意地を張って、自分だけ孤独のまま置いていかれるのを怖がったことを。
「うわあぁぁぁ」
全てを認めた途端、功利の目から涙が溢れ出た。
恥ずかしさも、醜さも、意地も、すべて洗い流すように声をあげて功利は泣いた。
借り物の浴衣を汚すわけにはいかず、でも放っておくことなんてやはりできず、芽榴は功利が泣き止むまでずっと彼女の頭を撫でていた。