79 座布団とマシンガントーク
芽榴と有利は話が落ち着いた頃、隠れていた部屋を出た。
もうすぐ朝食の時間であるため、2人はそのままいつものみんなが集まる部屋へと向かう。
部屋の前にやってきて、2人は首を傾げた。中の様子が少し騒がしいのだ。おそらく中にいるのは颯、風雅、来羅、翔太郎、そして訪れているとしても功利か有利の祖父くらいだ。
あの颯の機嫌を前に、騒がしくなることが可能だとすれば有利の祖父くらいだろう。
芽榴がそう思っていると、隣で有利が盛大な溜息をついた。
「どしたの? 藍堂くん」
「いえ……」
有利は額を押さえて小さな声で返事をする。
「藍堂くんのおじいさん、朝から元気だね」
芽榴が中の様子を想像して言うと、有利は「え?」と間抜けな声をあげる。そしてその後に何かを納得して困り顔になった。
「おじいさんは確かに元気ですけど……。今の時間は稽古中のはずですから、ここにはいないと思いますよ」
「へ?」
今度は芽榴が間抜けな声をあげる番だった。
そして同時に芽榴が背にした障子戸がスッと開く。
「るーちゃん、有ちゃん。なぁに2人でコソコソしてるの?」
戸を開けた張本人である来羅がニヤッと笑いながら2人を見る。
「柊さん。別にコソコソはしてま……」
「有利ー! 遅かったじゃなぁい」
少しムッとした表情で来羅に文句を言おうとした有利だが、彼の言葉は突如彼に飛びついてきた女の人によって遮られた。
隣でいきなりそんなことが起きれば、芽榴も目をパチクリさせてしまう。
「芽榴ちゃん、こっち。そこいると危ないよ」
唖然としている芽榴の腕を引っ張り、風雅が芽榴を自分の隣に座らせた。
芽榴はそこで改めて有利に抱きついている女性のことをマジマジと見つめた。
和服で髪をアップにしている。顔は――功利と瓜二つ。いや、正確には功利よりも大人っぽくて魅力的な女性だ。
「蓮月くん、あの人……」
「うん。芽榴ちゃんの考えてる通りだと思うよ。あの人は有利クンのお母さん。さっき帰ってきたんだって」
風雅がそんなふうに目の前の女性の素性を芽榴に教えてくれた。芽榴は有利と彼の母親に目を向け、なんとなく彼が溜息をついた理由を把握できた。
「有利、久々なのに、相変わらず感情表現が下手ねぇ。もっと喜びなさいと言ってるでしょう? 功利も功利で見え見えの愛想笑いだし。兄妹そろって久々に会う親への出迎えがなってないわ。やっぱり父様には任せておけないのよ。それより有利、元気にしていたかしら?」
まさにマシンガントーク。
有利が一言も喋らずして約三分間喋り続けた有利の母はやっと久々に会う息子、有利に話をふった。
「はい。元気です。お母さんも相変わらずお元気そうで」
「だからどうして身内にまで敬語を使うのかっていう話なのよ、有利。いくら幼い頃から稽古で父様に礼儀を教え込まれたからって、あなた実際稽古のときは礼儀の『れ』の字も知らないような荒れっぷりじゃない。ほんとに意味がわからないわ」
「はあ……すみません。お父さんはご一緒じゃないんですか?」
「また敬語。まぁいいわ。あの人はまだ京都に滞在してるの。急遽茶会に参加しなくちゃならなくなったらしいわ。会長直々のお誘いらしいから断れなかったみたいよ」
有利の母は有利との会話に満足したのか、クルリと部屋を見渡し始めた。そして彼女は部屋にいるメンバーを確認し始める。
「んっとー、功利、颯くん、翔太郎くん、来羅くん、有利に風雅くん、で……あーっ!!」
有利の母は風雅の隣にいる芽榴を指さして大声をあげた。
そこにいた全員がその声に驚き、不安げな芽榴を背に、風雅が「どうしたの、おばさん」と少し裏返った声で尋ねた。
しかし、有利の母は風雅の質問には答えずにそのまま風雅を通り過ぎて芽榴の目の前にやってきた。
「えっと……あ、すみません。挨拶が遅れました。お邪魔しています。楠原……」
「きゃあーっ!」
有利の母は芽榴を指さしながら叫び、次の瞬間には芽榴に抱きついていた。
「え」
「……!?」
それぞれがその光景を見て、驚きに目を丸くする。当の本人である芽榴は誰より驚いているはずだ。
「えっと、あのー……」
「やっぱり帰ってきて正解だったわ。あの人も無理やり連れて帰ってくればよかったぁ。せっかくの機会なんだし、顔合わせは早い方がいいんだし……」
目の前で困っている芽榴を放って、有利の母は一人喋り続ける。そして話にひと段落ついたころ、マジマジと芽榴を見つめて一言。
「楠原芽榴さん。父様から話は聞いているわ。有利の嫁候補でしょ?」
有利の母が何の思慮もなく発した言葉により、場の空気がピシッとまるで音を立てたかのように緊張に包まれる。
主に颯と有利、功利とそして芽榴から放たれる空気は異様である。
颯の隣にいる翔太郎は特にその空気が刺さるようにさえ感じられるほどで、溜息を吐く。いつもなら騒ぎ出す風雅も、空気を読んでおとなしい。
「お母さ……」
「有ちゃんのお母さん」
有利が自分の母を注意しようと口を開いたのとほぼ同時に来羅が立ち上がった。
来羅は有利の前を颯爽と通り過ぎ、風雅の目の前でフフンと笑う。風雅が「な……」と声をあげたときにはすでに来羅が有利の母から芽榴を取り返していた。
「来羅ちゃん?」
「るーちゃんは有ちゃんのじゃなくて私のですよ」
自分の胸に芽榴を抱き、ニコリと笑って来羅が言う。来羅がなぜ自分の方を見て笑ったのか理解した風雅は「ストップ、ストップ!」と言って芽榴から来羅を引き剥がした。
「芽榴ちゃんは有利クンのでも、来羅のでもない! オレのお嫁さん!」
そう言って風雅が来羅に喧嘩腰で詰め寄り、それを有利と翔太郎が止めに入る。予想通りの風雅の行動に来羅は笑っていた。
「私は誰のものでもないんですがー……」
芽榴が半目で抗議するも、誰も聞いていない。芽榴が溜息を吐くと、有利の母は楽しげに芽榴のことを見つめていた。
「芽榴さん、人気なのね」
「いや……私の意見は無視ですからどーなんですかね、これ」
「いいじゃない、楽しいから。でーも、困ったわ」
有利の母が芽榴を横目に見ながらフフッと笑う。何が困るのかと芽榴が首を傾げると、有利の母が芽榴の耳元に口を寄せた。
「だって、みんなに愛されてるなら、その中からたった一人を選ぶなんてできないでしょ? イイ子なら特に」
そう言って有利の母は芽榴から少し離れる。芽榴が彼女の言葉の意味を難しい顔で考えているのを見て、有利の母は声をあげて笑った。
「うん、父様が気に入りそうな子ね。興味わいたわ」
有利の母はそう言って芽榴に背を向けた。
「みなさん、朝食楽しんでくださいね。お邪魔してごめんなさい。うちの可愛げない息子をよろしくお願いします。……で、功利と芽榴さん」
有利の母が役員たちにお辞儀をした後、芽榴と功利をそれぞれ指差す。
「朝食終わったら私の部屋に来てちょうだい。芽榴さんは分からないだろうから……功利、案内してあげなさいね」
有利の母はそのまま部屋を出て行った。彼女の発言に、やはり有利と功利、芽榴が微妙な顔をする。
再び空気が悪くなりそうになったころ、来羅がまた風雅をからかって遊び始めた。
きっと来羅なりの場を和ませるための配慮なのだろう。芽榴は申し訳なく思いながら来羅に感謝した。
「葛城くん」
来羅と風雅の喧嘩とそれを宥める有利から逃れるように、芽榴は颯とは反対側の翔太郎の隣に座った。
「どうした」
「ありがと、おかげでよく眠れました」
芽榴が言うと、翔太郎は眼鏡のブリッジを押し上げてフッと一瞬だけ笑った。
「風ちゃんの荒れてた時代の話、るーちゃんにするわよ?」
「来羅ー!!」
来羅と抗争中の風雅は、来羅に向かって座布団を投げる。しかし、来羅がそれを避けてしまい、その座布団は見事に翔太郎の顔面に飛んで行った。
「うわー……」
「し、翔太郎クン! 今のは来羅が……」
「蓮月……」
「はいぃぃぃ!」
「表に出ろ。貴様にはいい加減我慢ならん」
翔太郎が立ち上がり、風雅の首根っこを掴み、部屋を出て行った。
「風ちゃん、ご愁傷様」
「柊さん……」
部屋の外では風雅の奇声が聞こえる。室内では来羅が楽しそうに笑い、有利が溜息をついていた。
「……」
にぎやかな空気の中、いつもなら何か注意の声をあげたであろう颯はまるで何事もなかったかのように静かに麦茶を飲む。
芽榴はそんな颯の姿には目を向けない。見れば嫌なことを考えてしまうから。
とにかく今は目の前の楽しい時間を壊さないように、運ばれてきた朝食を風雅たちと楽しく食べることに集中するのだった。




