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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
夏休み編
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73 迷い猫とはぐれもの

 初日の仕事は深夜を過ぎてやっと終わりを告げた。


 みんな疲れきって部屋に戻り、早々と眠りにつく。そんな中、芽榴は一人部屋の前の廊下に座り、夜風にあたっていた。


「さすがに人様の家で、電気つけっぱなしってのは……ね」


 困ったように呟いて廊下の主柱に右肩を預けた。

 合宿に行くと決めたときから、ほとんど眠れないことは予想していたのだ。

 布団で寝るほど快適でないにせよ、夜風にあたりながら眠るのも悪くない。

 芽榴は風鈴の音を聞きながら、ゆっくり目を閉じた。







 スー……パタッ


 芽榴はどこかの障子戸が開閉する音で目を覚ました。

 夜明け前らしく、空は薄暗い。

 音がしたほうに目を向けると、久々に見る紫がかった綺麗な短い髪が藍堂家の門を出ていくのが目に映った。


「来羅ちゃん……?」


 芽榴は立ち上がり、人影の後をゆっくりとした足取りで追いかけた。


 門の外を見て辺りをキョロキョロ見回すと、門から少し先のところで男姿の来羅がしゃがみこんでいた。


 芽榴からは来羅の後姿しか見えない。心配になった芽榴は来羅に駆け寄ろうとした。


「来羅ちゃ……」

「美味しい? ごめんね、有ちゃんが起きたら……頼んで何かご飯持ってきてあげるからね」

「ニャー……」


 芽榴は来羅に駆け寄ろうとした足を止め、目を大きく見開いた。

 よく見てみると、来羅の目の前には小さな子猫がいたのだ。そして、来羅はその子猫に牛乳をあげているところだったらしい。


「どーしたの? その子猫」

「ひゃっ!」


 芽榴が尋ねると、来羅は肩を大きく揺らして驚いた。

 振り向いて芽榴の姿を確認すると、来羅は安堵したように「るーちゃんかぁ」と言ってフワリと笑った。


「ごめん、驚かせちゃったね」

「ううん。それにしても、るーちゃん早起きね」

「それを言うなら来羅ちゃんもでしょ?」


 芽榴が言うと、来羅は「そうよね」と頷いて笑った。


「目が覚めて……まだ日も照ってないし、今日はいつもより涼しいから、朝の散歩でもしようかなって、外に出たら……この子がいたの」


 そう言って来羅は目の前の子猫に目を向けた。


「そこのコンビニで牛乳を買って、いったん容器を取りに調理場へ行って……それでミルクをあげてたら、るーちゃんが来たの」


 芽榴も子猫に目を向ける。まだ小さい白と茶色のまだらな可愛らしい猫だ。二人が見つめる中、猫はぴちゃぴちゃとミルクをゆっくりとたくさん飲んでいた。


「有ちゃんが起きたら、何かご飯あげられないかなぁって……」


 来羅はそう言って子猫の頭を撫でた。最初はビクッと怯えた子猫だが、来羅が優しく撫でると「ニャー……」と甘えた声を出した。


「その子猫ちゃん、来羅ちゃんのこと好きみたいだね」

「そうかな? そうだといいなぁ」


 そう言って来羅は笑った。男姿でもこの笑顔は来羅のものだ。芽榴はそんな来羅を見て優しく微笑んだ。


「野良猫かなー? 首輪してないし」


 芽榴は来羅の隣りにしゃがみこんだ。芽榴の問いかけに来羅は少し悲しそうな顔をした。


「親猫が見つからなかったら……ひとりぼっちなのよね、この子」

「……うん」


 芽榴の小さな相槌はシンとした空気の中に消えていく。

 気まずい空気を作り出してしまった来羅は「ごめんね」と芽榴に向かって苦笑した。


「私、放っておけないんだよね。こういう子たちって……」


 来羅は子猫のことを見つめながら寂しげな声で呟く。芽榴も来羅の隣でただジッとその子猫のことを眺めた。


「私自身がずっと迷子だからかな? 自分と重なって見えるんだよね」

「……迷子?」


 芽榴は首を少し傾けて、来羅の顔を見ながら問いかけた。芽榴の真っ直ぐな瞳を見て、来羅は薄く笑った。


「この子は親猫のもとにどんな姿で帰ってもきっと受け入れてもらえる。でも、私はこの姿で親の前に帰っても《柊来羅》じゃないの」


 来羅は膝に顔を伏せた。来羅は母の前では女装していなければならない。それが父との約束で、来羅と彼女の母のためになることなのだ。

 昨日も、合宿に女装で来たのは朝一番に母親に会う、そのためだけなのだ。


「親はすぐそばにいるのに、すごく遠く感じるの。嘘の私が本当で、本当の私が嘘で……私が何なのかも分からなくて……まるで地に足がつかなくて……」


 来羅の綺麗な声が鼻声に変わる。震える声を我慢して出しているのが芽榴にも伝わった。


「このままじゃいけないって……そう思えば思うほど、迷子になっちゃう」


 来羅はそこまで言って大きなため息を吐いた。

 芽榴が来羅を見つめるのと同様に、子猫もまたミルクを飲むのも止めて来羅のことを見つめていた。


「ニャー……」


 子猫は来羅に擦り寄り、来羅の手の甲をペロッと舐めた。

 来羅は顔をあげ、少し赤くなった目を細めて子猫に柔らかく笑いかけた。


 そんな光景を見て、芽榴はゆっくりと口を開いた。


「迷子ってさ、二種類あるよね」

「え……?」


 芽榴の意味深な発言に来羅は首を傾げた。来羅が芽榴に視線を移すと、子猫もまた芽榴のことを見つめた。


「道に迷う迷子と、はぐれものの迷子」

「……うん」


 芽榴が何を言いたいのか分からず、来羅は戸惑いながら頷いた。

 そんな来羅の様子に気づいてもなお、芽榴は冷静に言葉を続けた。


「道に迷うのは、みんなが経験することだよ。迷い道のない人生なんてあり得ないと思うし。だから世の中の人みーんな迷子」


 芽榴は子猫の頭に触れようとしたが、後退りされてしまった。きっと、芽榴のことはまだ怖いのだろう。

 芽榴は少し残念そうに触ろうとした手を引いた。


「でも……はぐれものの迷子っていうのは特殊で、誰もが経験するわけじゃないよね。世の中に自分のことを見てくれる人がいなくてはぐれてしまう迷子さん」


 芽榴はそう言って子猫に向かって笑った。


「だから、キミも迷子じゃないよー」

「ニャー……? ……! ニャッ!」


 子猫が何かに反応し、後ろを振り返る。子猫の様子を見て芽榴と来羅もそのほうを見た。


「ニャー」


 子猫と同じ模様の大きな猫がそこにはいた。きっと親猫なのだろう。


 子猫は顔をもう一度こちらに向け、来羅に最後に再び擦り寄って、そして親猫の元にテクテクと走って行った。


「親猫、見つかってよかったねー」


 芽榴が笑うと、来羅は感心したように息を吐いた。


「私、気づかなかった。親猫が迎えに来てるなんて」

「私も気づかなかったよー?」

「え、でもるーちゃん『迷子じゃない』って……」

「あー、あれね」


 芽榴はハハハと照れ臭そうに笑った。


「だって、あの子猫ちゃん。親猫が見つからなくても来羅ちゃんにちゃんと見てもらえてたから。迷子じゃないでしょ?」

「……」

「一般的に親からはぐれると『迷子』って言うでしょ? でも、あれはさ……親なら子どものことを絶対に理解してくれるから、なんだよ。親にさえ見てもらえなくなったら誰にも見てもらえないっていう固定概念」


 芽榴はゆっくりと立ち上がって、うーんと伸びをした。


「だから来羅ちゃんも迷子じゃないよ」

「……え?」

「だって、みんな来羅ちゃんのそばにいて見ていてくれるじゃん」


 瞠目する来羅の前で、芽榴はニコリと笑った。


「そんな考え方、したことなかった……」

「じゃあ、今度からそう考えてみなよ。少しは気が楽になるかもしれないし」


 芽榴の提案に、来羅は頷いて肯定を示した。


「でも……るーちゃんはあんなにいい家族に囲まれてるのに、そんなふうに考えられるなんて……すごいわ。普通できない」

「……あんないい家族に囲まれてるから、こそなんだけどね」


 芽榴は小さな声で苦笑した。


 子猫もいなくなり、来羅もゆっくり立ち上がった。


「まだ朝食まで時間あるし、もう一眠りしようかしら」

「そーだね。私ももうちょっとゆっくりしよー」

「今日もお仕事大変よ」


 颯が持参した仕事の予定表を見たらしい来羅は遠い目でそう言った。


「じゃあ、体力温存しておかないとねー」


 芽榴も半目で笑う。

 目のあった二人は互いの顔を見て再び笑った。


「じゃあ、またあとでね」


 廊下の別れ道で芽榴は来羅に手を振る。来羅はそんな芽榴を呼び止めた。


「どしたの? 来羅ちゃん」

「あの……見苦しいとこ、見せちゃってごめんね。聞いてくれてありがとう。るーちゃんに話して本当によかった」


 来羅は芽榴の手を両手で掴んでもう一度「ありがとう」と心からの感謝を口にした。


「気休めにしかならないかもしれないけど。私はいつもの、元気に笑う来羅ちゃんがいーから」


 芽榴がはにかんで笑うと、来羅もそれにつられて頬を緩めてしまった。


「るーちゃん、それ反則」


 来羅は芽榴の額に軽くデコピンをして去って行った。


「……? まぁいーや。もう一休みしよーっと……ふぁぁあ」


 芽榴は欠伸をして、先ほどまで座っていた場所に腰をおろし、主柱に肩を預けて再び軽い眠りについたのだった。

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