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麗龍学園生徒会  作者: 穂兎ここあ
夏休み編
70/410

58 昔話とサングラス

「これは無理だねー」


 芽榴は背伸びをして遠くを眺めながら、隣に立つ青ざめた眼鏡男子に言った。


 なぜ彼が青ざめてしまっているのかということを説明すると、数分前に話が遡る。


 水浸しになった役員御一行は水から出て行き、ビーチバレーをすることにした。

 負けたチームが勝ったチームのメンバーの昼ごはんをおごるというルールで行なわれることになったのだが、そのチーム分けをしようとした瞬間に事件は起きた。

 水着を着た同年代くらいの女子たちが芽榴を押しのけてイケメン集団を囲んだのだ。自分たちもビーチバレーをやりたいと言い出し、挙げ句の果てにはどこから来たのか、年はいくつかとナンパといっても過言ではない事態になり始めた。


 除外された芽榴は一人ポツンと取り残され、人集りに背を向けてどうしようかと考えていた。

 しかし、その人集りの中から長身の男子がものすごい勢いで飛び出して来た。芽榴は驚いて振り返るが、振り向きおわる前にその人が芽榴の腕を掴んだ。


「楠原、走るぞ」

「え」


 芽榴はそのまま翔太郎に引き摺られるようにして人集りからだいぶ離れたところまで砂浜を駆けた。


 そして、芽榴は逃げてきた場所にて犠牲になった、否、取り残してきてしまった役員四人の様子を窺った。


 どうやら、うまい具合に言い訳をつけたのだろう。四人でビーチバレーをしていた。しかし、本気でするつもりらしく野次馬の女性たちに審判と応援を頼んだようだ。


 颯と来羅、風雅と有利というチーム編成になっていた。おそらく負けなし人間、颯が勝つだろうが、スポーツのこととなれば有利にも底しれない意地がある。おもしろい勝負になるだろう。

 芽榴はそんなことを思いながら、隣の男子を横目に見て困ったように笑う。


「そんなにダメ? 女の子」

「あんな裸のような格好で押し寄せるなど破廉恥だろうが」


 ゲッソリしながら言う翔太郎を見て、芽榴は肩を竦めた。


 翔太郎はすぐ後ろの階段の一段目に座りこんだ。今まで彼を見上げていた芽榴だが、今度は見下ろすことになる。翔太郎はサングラスをかけているため、今日一度も見れていなかった彼の瞳が上から少しだけ見えた。


「葛城くんの眼ってレンズを通したら効かないんだよね?」

「ああ、そうだが」


 なぜそんなことを尋ねるのか、と言いたげに翔太郎は芽榴を見上げた。


「じゃあ、鏡越しとかも効かないんだね」

「おそらく。それがどうした?」

「だって鏡越しで効くなら、自分に催眠術かけられるでしょ? そしたら女嫌いも直せるんじゃないかと思って」


 芽榴がそう言い、翔太郎は顔を戻した。まっすぐ海を見ていた。


「おそらく催眠術をかけることが可能であっても、俺は催眠術が効くような人間ではない」

「……確かにー」


 役員がみな、翔太郎の催眠術が効かないのだ。もちろん翔太郎も例外ではないだろう。


「でもさ、前に言ったけど……私が大丈夫なのに女嫌いっておかしいでしょ? あんなに露骨に女の子を拒絶してるのに、催眠術が効かないからって理由だけでこんなに普通に接することができるのは変だよ」

「……」

「やっぱり葛城くんの心の問題。偏見もあるんじゃないー?」


 芽榴は首を傾げて翔太郎に意見を求めた。翔太郎は何も言わなかった。


 そして、しばらく二人とも黙ってしまった。ただ波の音や周りのはしゃぎ声だけが耳を通り抜けて行く。


 すると、翔太郎がやっと口を開いた。


「おそらく……俺は人間が嫌いなんだろう」

「へ?」

「女であろうと、男であろうと、俺の催眠術にかかってしまう人間に俺は心を開くことができない。距離を置いてしまう。大抵の人間を嫌悪してしまう」


 だから、初めて颯に出会ったときはすごく驚いた反面、彼という存在がそれだけで信頼に値した、と翔太郎は言った。そして颯が手を差し伸べていった人たちはみな、翔太郎が心を開くことが可能な人たちばかりで、それが今の役員たちだ。彼らの存在があったからこそ翔太郎は自分の催眠誘導を受け入れることができたのだ。


「大抵の人間が催眠誘導に逆らえない。それは仕方のないことだということも理解できた。だがしかし、それでも女という生き物だけを異常に嫌悪してしまうのは……」


 翔太郎は海で遊ぶ家族を見ながら、寂しげに言葉を連ねた。


「俺自体が女という存在を、その存在に関わることを、恐れているからなのかもしれない」


 翔太郎がそう告げたとき、常より大きな波が周囲の存在をかき消すように音を立てた。


 芽榴は何も言わず、ただ翔太郎のことを見つめた。そんな芽榴を見て翔太郎はフッと笑った。


「少しだけ俺の話を聞いてくれるか?」


 翔太郎がサングラスを外す。

 見えた翔太郎の瞳は寂しげに揺れていた。

 芽榴はゆっくりとしゃがんで、翔太郎の隣に座った。


「俺がまだ幼い頃、俺は父と母と三人で暮らしていた」


 そう言って翔太郎は淡々と自分の昔話を始めた。




 翔太郎の父は仕事熱心な男だった。家族のことにはそれほど興味がなく、翔太郎の記憶にも父と遊んだ記憶はほとんどなかった。対して、翔太郎の母はとても愛に飢えた女性だった。そのくせ、彼女はお人好しで、父の邪魔をするわけにもいかず、その閉じ込められた欲求はすべて生まれてきた愛しい息子に注がれた。


 翔太郎は父親の愛情は薄けれど、母親の多大なる愛情で満たされ、それなりに不自由なく過ごしていた。母親はまさに目にいれても痛くないほど翔太郎を可愛がった。

 その可愛がりようは、他人から見て狂っているようにさえ思えた。誰にも翔太郎を触らせようとしなかった。


 しかし、翔太郎が園児になった頃くらいから、周囲の人が翔太郎の異能に気づきはじめていた。


 そしてまもなく翔太郎の瞳が催眠誘導を引き起こすということが分かった。


 その日から母の態度は一変した。


 彼女は翔太郎の名を呼ばなくなった。抱きしめることもなくなった。そしてずっと笑顔を向けていた彼の瞳から目をそらすようになった。


 母は夜な夜な「翔太郎は死んだのよ」と世迷言を述べていた。

 翔太郎が母に近づくたび、彼女は体を震わせていた。


 そして母は父と離婚することを決めた。もちろん翔太郎の親権は父のものとなった。


 そこまで話して、翔太郎は一息ついて、芽榴に向き直った。


「母親が出て行く前に、俺はあの人に催眠術をかけた。最初で最後の、な」


 翔太郎はその内容が何か分かるかと芽榴に尋ねた。芽榴は首を横に振った。


「俺のことを忘れてください」

「……え」


 芽榴は口を開けたまま、閉じることができなかった。


「扉を出て行くときには、あの人の中に俺を生んだ記憶はなかった。それでも、最後の最後まで……あの人は俺の眼を嫌っていた。催眠誘導するときでさえ、俺の眼を見て号泣していた」


 翔太郎はフッと自嘲ぎみに鼻で笑った。


「一番信頼したいはずの女という存在がそうだった。それ以降、どうしても女には嫌悪感が先走るようになってしまった。我ながら愚かだと分かっているが……どうしようもなかった」


 目を伏せる翔太郎に芽榴はゆっくりと頭を下げた。


「ごめん。何も知らないのに知ったようなこと言って」


 翔太郎はいつも嫌味を言うし、ひねくれているが、彼の本質は優しい。

 そんな彼だからこそ、女嫌いも『ただの捻くれの偏見』とそんなふうにしか考えていなかった。

 こんな思いを抱えているなど知る由もなかった。翔太郎は悲しげな素振りを見せたことは今まで一度もなかったから。


「貴様が謝ることはない。貴様の意見は間違ってはいない」


 翔太郎の声音がいつもより優しく感じられた。


「女で、催眠術にかかり、俺に近寄る。それだけであの人を思い出し、姿が重なる。心を許しても、いつかあの人のように俺を裏切り捨てる。俺はそれを恐れているのだろう。偏見以外の何でもない。情けない話だ」


 翔太郎の女嫌いのすべては彼が母の姿を思い出したくないからだった。

 催眠術にかからない芽榴はたとえ女であっても翔太郎の母と同じようなことはしない。


 芽榴は今だって、ちゃんと翔太郎の瞳を見ているのだ。

 芽榴は自分を見失わない。翔太郎の眼を見て、それでもちゃんと彼女の意思をぶつけてくれる。


 ずっと求めていた存在を、拒絶できるはずがないのだ。


「俺が一番最初に出会った女が貴様だったなら、俺の人生は変わっていたかもしれんな」


 翔太郎はそう言ってサングラスをかけようとした。


 しかし、芽榴はその腕を掴んで彼の瞳を覗き込んだ。


「楠原?」

「私は……葛城くんのお母さんにはなれないよ」


 芽榴の頓狂な発言に翔太郎は困ったように眉を寄せた。しかし、芽榴の顔があまりにも真剣で文句の言葉は出なかった。


「でもね、葛城くんのそんな過去がなければ、きっと葛城くんと私が今、こうして話してることだってありえないんだよ」


 翔太郎が孤独を抱え、颯が彼の手を取り、役員たちと行動を共にして、そして翔太郎と芽榴は出会った。


「よく言うでしょ? 全部繋がってるって。だから葛城くんが小さいころにそれだけの辛いことがあったならこれからは幸せなことがいっぱいあって、それが今こうして海水浴で遊ぶことなのかもしれないじゃない? だったらお母さんのことも不幸とは言い切れないかなって……」


 芽榴はそこまで言って苦笑した。


「ごめん。最低なこと言ってるね」


 芽榴は翔太郎の手を離し、立ち上がった。


「葛城くんには味方が五人もいるんだよ? 何も怖がることはないじゃない」

「味方、だと?」

「うん。もし、葛城くんが女の子に心を開いて、催眠術にかかっちゃうのはしょうがないだろうけど……それで葛城くんを裏切ったり酷いことしたりしたなら」


 芽榴は振り返ってニコリと笑った。


「私がすぐに駆けつけるよ」


 その言葉に翔太郎は瞠目した。


「きっと蓮月くんと来羅ちゃんはプンプン怒って、藍堂くんなんかスイッチ入って、神代くんに至っては考えるのも恐ろしいようなことしちゃったりしてさ……。そんな味方が葛城くんにはいるでしょ?」


 芽榴は笑って、遠くのビーチバレーのほうに目を向けた。

 そろそろ試合も終わりそうだ。勝つのはやはり颯チームのようだ。


「よし。じゃあ行こー、葛城くん」


 芽榴は笑顔で翔太郎に手を差し出した。

 翔太郎はその手を掴んだ。芽榴の手は一切震えてはいない。ただ力強さだけが感じられる。


 立ち上がり、その手を離して翔太郎は微笑んだ。


「あら? もう繋がなくていーの?」


 戯けて言う芽榴に翔太郎はいつもの不機嫌な顔で答えた。


「調子に乗るな。貴様とて許容できる程度だ。手など握るわけないだろう。馬鹿め」


 翔太郎はそう言って芽榴を置いて砂浜をザクザクと音を立てて歩く。芽榴は「待ってー」とその背を追いかけた。


 芽榴がチラと見た翔太郎の横顔はいつもより清々しく思えた。

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