56 ありがとうと乾杯
「あがりー。大富豪」
芽榴はそう言ってトランプをはらりと落とした。
ただいま楠原家の居間にて、翔太郎、風雅、有利、そして芽榴が大富豪をしている。
「また大貧民……」
風雅は机に伏してうなだれた。
先ほどから芽榴が大富豪、風雅が大貧民であることが前提で、翔太郎と有利が富豪と貧民を争うというゲーム展開になっていた。
「るーちゃん強いわね」
「当然の結果だと思うよ」
颯と来羅は真理子とお茶をしながら、そのゲームを傍観していた。
「芽榴ちゃん。家族でトランプしても絶対負けないのよ。戦略がすごいのも確かだけど、運も味方につけてるの」
真理子が口を尖らせながら言う。来羅はそれに驚き、颯は当然というように笑った。
「じゃあ、颯と対戦したらどっちが勝つかしらね?」
来羅は颯を横目に見ながら呟いた。
来羅の知る限りでは、颯も役員とのトランプゲームで負けたことはない。
負けなしの二人が対戦したらどうなるのだろうか。
「颯くんと芽榴ちゃんの戦いは盛り上がると思うわ」
真理子がそう言い、颯は笑う。
純粋な知的戦略のオセロでも颯と芽榴は五分五分の勝負なのだ。そこに運まで関わり、芽榴が運を味方につけるとなれば結果は見えている。
「でもきっと、芽榴は僕に気を使ってわざと負けますよ」
「るーちゃん、驚くくらい勝ちにこだわらないものね」
芽榴なら確かにそうするだろう。真理子もそう思っていた。
だが、まさか数ヶ月前に親しくなった二人がこれほど芽榴を理解していることに真理子は驚いた。
「なるほど、なるほど」
真理子は笑顔で楽しそうにトランプをする芽榴を見守った。
「うぎゃーーー!」
「蓮月くん、弱すぎー」
「楠原さんが強すぎるんですよ」
「確かに楠原は強いが、蓮月は弱すぎる」
「翔太郎クン、そんなズバッと言わなくてもいいじゃん!」
それから三回ほど大富豪を繰り返したが、やはり風雅は大貧民のままだった。
そんなことをしていると、外は薄暗くなり始めていた。
夏だから日が落ちるのは遅い。つまり薄暗くなっているのだから結構な時間が経っているのだ。
「みんな、夕飯食べていくー?」
芽榴はトランプを片づけながら尋ねる。
役員たちはさすがに遠慮がちだったが、顔には芽榴の手料理が食べたいと書いてあった。
「食べていって。もうすぐ重治さんと圭も帰ってくるから二人にも会ってよ」
真理子が空気を察して誘いの言葉を述べる。五人も彼女の言葉に甘えて、夕食をご馳走になることにした。
「何か手伝うわ、るーちゃん」
来羅が台所に行った芽榴の後を追うように立ち上がるが、それを真理子が制した。
「お客様は座ってていいの! それに台所は芽榴ちゃんのテリトリー。芽榴ちゃんは嫌になるくらい要領がいいから、かえって邪魔になって怒られちゃうわよ」
真理子がウインクする。そんなふうに言われれば、来羅も押し切ることはできず、おとなしく座っていることにした。
芽榴が台所に行って少しして玄関のドアが開いた。
「ただいま帰ったぞー!」
「ただいま……って靴の数おかしくね?」
重治と圭の声が同時に聞こえ、芽榴は料理を中断して居間に移動した。
芽榴が居間にやってくるのと、重治と圭が居間にあがるのは同時だった。
「おかえりー」
「おかえりなさい」
芽榴と真理子が二人にそう言い、役員たちもそれぞれ「お邪魔しています」と二人に頭を下げた。
「おー、大所帯になったな!」
「父さん、ツッコミ間違えてるから。もしかして生徒会役員のみなさんっすか?」
圭はエナメルバッグを放り投げて役員たちの前に正座になった。
「芽榴姉の弟の圭っす!」
「うわぁぁあ! やめてやめて! 圭クン、そんな畏まらないで!」
風雅はそう叫んでなぜか圭と互いに頭を下げあっている。
「えと、ボク蓮月風雅って言います。芽榴ちゃんのお父さんと弟ってことはいずれボクの義父と義弟に……」
「申し訳ありません。この馬鹿は無視して構いません。僕は神代颯です」
隣に座っていた颯が暴走しかけた風雅の頭を掴んで床にベチャッと押しつけた。
「若いなあ!」
重治はゲラゲラ笑う。どうも反応が的外れだ。
目の前でそんな会話がなされ、来羅は苦笑した。
「えっと、柊来羅です。あの、お久しぶりです」
「おお! 君か! ほほう。俺はそっちの格好のほうが嬉しいなあ」
重治は鼻をのばしながら言う。真理子はそれに納得しつつも、少し頬を膨らませた。
「あ、前にナンパされてた人っすよね?」
圭がそう言い、来羅は「覚えててくれたの?」と嬉しそうに笑った。
そんな来羅を見て、圭は頬を染めた。もちろん来羅が男であることは圭も知っている。
数か月前に一度会っただけだが、確かにナンパされていたところを助けたのだから印象深い。そして何より来羅ほどの美人を忘れるはずがないのだ。
「俺は葛城翔太郎です」
「あぁ! 催眠術が使える眼鏡くん!」
重治が翔太郎を指差して感動したように叫ぶ。テンションが真理子と似ている。さすが夫婦だと役員全員が思った。
「それなら、ぜひこの肩こりが治る催眠術をかけてほしいのだが」
「悪いですが、それは病院に行くべきだと思います」
翔太郎は目を細めながら答える。
重治と真理子は「えーっ」と抗議の声をもらし、芽榴と圭は頭を押さえた。
「僕は藍堂有利です。よろしくお願いします」
有利が正座で礼儀正しく挨拶する。
有利が顔をあげると、圭が目を輝かせながら有利に迫った。
「あなたが藍堂流免許皆伝した藍堂家の筆頭門弟の人っすか!?」
「一応……そういうことになりますね」
有利が遠慮がちにそう答えると、圭は有利の両手を握り「俺、ファンなんです!」と本当に感動していた。
圭はスポーツに関してはかなり詳しく、それは武芸も例外ではない。圭の見ているスポーツ番組でも藍堂流の名をよく聞く。
そうして、颯と翔太郎は重治の話相手をし、風雅は真理子に気に入られ、来羅と有利は圭と盛り上がり始めた。芽榴はその様子を穏やかな表情で見つめ、ふーっと大きく息を吸って台所へ向かった。
「じゃあ、私は夕飯作り続行するから、みんなごゆっくりー」
芽榴が台所に行って彼女の食事を待つあいだ、役員と重治、真理子、そして圭はテーブルを囲んで会話を弾ませていた。
「にしても、帰ってきたらこんなにいっぱい人がいたんで驚いたっすよ」
圭がそう言い、颯は改めてみんなを代表して謝った。
「すみません。急に押しかけてしまって……」
「いいのよ! 全然!」
真理子の言葉に重治も頷いた。
「俺も君たちに会ってみたかったんだ」
重治が優しい声音でそう言い、役員たちは首を傾げた。
「会ってみたかった……ですか?」
風雅は不安げに尋ねた。何か言われてしまうのではないかと少し身構えていた。
「蓮月風雅くん、藍堂有利くん、柊来羅ちゃん、葛城翔太郎くん、そして神代颯くん」
重治は名前を呼びながらそれぞれの顔を見てニコリと笑った。
「芽榴が嬉しそうにして教えてくれた名前だよ」
驚く役員たちの声がそろって居間に木霊した。その反応を見て、真理子は苦笑いをした。
「芽榴ちゃんは今まであんまり学校の話を私たちにしたことなかったの。聞いても『別に普通』としか言わなくて……」
「芽榴姉って、昔はもっと何事にも一生懸命だったんすよ。手を抜いたりなんか全然しなかったし……。でも、いろいろあって、あんな感じになっちゃったんです……」
圭も少し悲しそうにそう言った。役員たちは圭の言ったことがすぐには理解できなかった。今でこそたまに一生懸命になることはあるが、知り合ったばかりのころは何事にも手を抜き、要領よくすべてをこなしていた。そしてそれが芽榴の昔からの性質なのだと思っていた。異常な記憶力を持つ芽榴が他人から浮かないために昔からそうしてきたのだと――。
「芽榴ちゃんはいつも1人だったから」
真理子の言葉にみな黙った。たまに芽榴はそんな感じのことを口にしていた。でも、実際芽榴と接してみればみるほど、彼女ほど面倒見のいい人間に友達がいなかったなど信じられないのだ。
「でも、5月頃からだったかな。ちょうど生徒会に入ったころくらいか。芽榴が自分から学校であったことを話しはじめたんだ」
「『蓮月くんはすごくカッコいいのにお馬鹿なの。でも、本当にいい人で、この飴が好きみたいだからお裾分けしてあげよう』とかね」
真理子は風雅を見ながらそう言って笑った。
風雅はそれを聞いて瞠目していた。
いつも、芽榴は風雅のことを面倒がっている素振りを見せる。
芽榴がラ・ファウスト学園に編入する前に風雅に感謝していると言ったが、それも風雅は自分を励ますための芽榴の気遣いだと内心思っていた。
まさか芽榴がそんなことを言っているなどとは思わなかった。そして家族にわざわざ言っているのだからそれが芽榴の本音なのだ。
「風雅くんだけじゃなくてね、みんなのこともちゃーんと聞いてるわ」
そう言って真理子は芽榴の言っていたことを思い返し、目を閉じる。
『藍堂くんはね、藍堂流の免許皆伝で、すっごく強くて礼儀正しいんだけど……たまに別人みたいになっちゃって、でもそれがまたおもしろいんだよねー』
『来羅ちゃんはすっごく可愛くて誰よりも女の子らしいけど、実は男の子で、何でも作れちゃうすごい子なんだー』
『葛城くんは女嫌いなのに私とは仲良くしてくれて、ちょっとツンデレなんだよね。催眠術が使えて要領もよくて、さすがは副会長って思うよー』
『神代くんはいつも先のことを考えてて……私も助けてもらってばっかり。成績もずーっと満点トップで負け知らずなの。すごいでしょー?』
真理子は記憶に残る芽榴の言葉をそのままみんなに伝えていた。
「芽榴ちゃんはみんなのこと『友達』って言ったわ。無意識だろうけど」
真理子はそう言って笑い、「口が疲れちゃった」とお茶を飲んだ。真理子は芽榴ほどの記憶力はない。それでも覚えてしまうくらい芽榴は家でいつも少しずつ彼らの話をしていたのだ。
「あの子が頑張ったり、楽しそうに笑うようになったのは君たちのおかげだ」
重治はみんなに頭を下げた。真理子も圭もほほ笑んだ。
「ありがとう」
重治の感謝の言葉に役員たちは首を振った。
「それはこちらのセリフです」
有利は重治に「顔をあげてください」と言った。
「私のほうこそ、芽榴ちゃんに助けられたんですよ。いろんな意味で」
「俺もです」
「オレも」
翔太郎と風雅が来羅の意見に賛同した。
「僕たちはみんな、ずっと他人から孤立していました。誰も僕たちに正面から向き合うことはしません。どんなにすごいと言われてもそこには常に壁があります。でも、芽榴は違いました。僕たちが芽榴を生徒会に勧誘したのは芽榴の能力だけじゃなく、彼女が僕たち自身をちゃんと見てくれたからです」
颯は凛とした顔で、声で、そう言った。
「彼女と一緒にいたいと思ったのは僕たちで、どちらかといえば僕たちの勝手に芽榴は付き合わされたようなものです。お礼を言うのは僕たちのほうなんですよ」
颯は「ありがとうございます」と告げた。
「芽榴姉が聞いたら喜びますよ」
圭は少し寂しげな顔をしていたが、でも本当に嬉しそうに言った。
そんな話をして、部屋がシンとなる。
すると、食事を作り終えた芽榴が戻ってきた。
「え、なに。この沈黙」
芽榴は少し焦り気味に問いかけた。
「圭のギャグが冷めてしまったんだ」
「え!?」
重治の無茶ぶりに圭は声を裏返した。それを無視して、真理子は芽榴が料理を運ぶのを手伝い始めた。
「わあ! 今日は豪華ね! 芽榴ちゃん気合いいれたわね?」
「別にー」
真理子がニヤリと笑うと、芽榴はそっぽを向いた。
テーブルの上には芽榴のお手製、青椒肉絲と棒棒鶏、夏野菜のマリネ、ペペロンチーノ、炒飯、冷やしスープやもずく酢。それに定番の唐揚げやだし巻き卵などがテーブルに並んだ。
短時間でこれだけ作れたことにみんな感動した。
「食べようか、いただきます」
重治がそう言ってみんな箸をとる。料理を口にして部屋には「美味しい」という感嘆の声が木霊した。
「芽榴ちゃん」
真理子が隣に座る芽榴に話しかけた。
「いいお友達ね」
「でしょー」
芽榴は自慢げに言う。
楽しい晩餐は夜遅くまで続いたのだった。